さてさて、このページはおまけです、それもかなり私的なおまけページです (^^;)
内容は、お山歩中に訪ねた黒島埠頭での青函連絡船「羊蹄丸」船内見学。
そもそも、急に新居浜に行く気になったのも、
廃船される前に羊蹄丸を一目見ておきたかったからでした。
ですが、すでに船内見学も終了、羊蹄丸は2012年7月に廃船と、
もう2度と見ることができない風景です。
お山と全然、関係ないページですが、ご了承ください。

海沿いを走って羊蹄丸が停船してた黒島埠頭へ。


訪ねた日は羊蹄丸が船内公開してた最終日で、
お天気がよかったのも手伝って駐車場はいっぱいだし-

流行りのB級グルメの屋台もずらずらっと並んで、
わさわさ、まるでお祭り状態でした。 



愛媛マンダリンパイレーツのマッピー君も登場。
階段を上がって船の2階にある入口へ。

船内へ。
船に乗るの、久しぶり (^o^)



あ、そうそう。
入場したとき、僕のすぐ前で「6万人目のお客様!」って、
家族連れがフラッシュを浴びてました。
寄り道しなかったら、6万人目になれたかなぁ…。

写真は「アドミラルホール」、写真展示が行われていました。



羊蹄丸は引退後、東京・お台場の船の科学館にて、
船の博物館に生まれ変わって余生を送っていました。
写真は「シー&シップワールド」のロボット船長。

こんなお子様向けのコーナーもありました。



エントランス・ロビーに戻ると、この賑わい。
エスカレーターで1階へ。



「青函シアター」では記録映画を上映中でしたが、
ゆっくり見てる時間がなかったので、すぐ退場。



一番印象的だったのが、この「青函ワールド」。
昭和30年代の古き良き時代の青森駅界隈を再現。

魚屋さんがあったり-

行商の親子が子犬とたわむれてたり-

後ろの張り紙もリアル。

「ゴジラの逆襲」、映画看板もありました。

冬の設定なので軒には雪が積もってたり、つららまで。
でも、空調が効いてなくて、実際は暑かったけどね。

七輪もめらめら、いい感じにリアル。
ノスタルジーあふれるジオラマです。

通りの先にあるのは青森駅。
ブレてないのはすべて人形です。
駅員さんも荷物を背負った人たちも人形です。

切符を買う親子も等身大。
人形には触れられない展示が普通だけど、
並んで写真も撮り放題。

次の船を待つ間に待ちくたびれて、
荷物に埋もれて寝ちゃた旅人も。
長旅の途中だったのでしょうか。

時刻表もちゃんと再現してあります。

連絡船に乗り込みます。

デッキから見送るお姉さん。
別れの景色に心がきゅんとなってしまう。

青函連絡船の船底にはレールが引いてあり、
なんと、貨車をまるごと載せて海を渡っていました。
昭和29年(1954)、台風15号の暴風雨で連絡船ほか5隻が沈没。
1,430人が亡くなった洞爺丸事故までは客車も運んでいました。
このコーナーには、写真の国鉄DE10形ディーゼル機関車のほか、
旧客車のスハフ44系客車も展示。
中央にはスクリーンがあり、当時の懐かしい記録映像が流れてました。

「青函ワールド」を出ると、エンジンルームを覗ける穴。
でも、本物のエンジンはすでになく、
自力航行ができない羊蹄丸はタグボートに曳航されて来ました。
未公開の船底ツアーなんかもあったそうですが、
時すでに遅し、もっと早く、見に来れば良かったぁ。

当時の制服などゆかりの品の展示。



階段で3階へ。
休憩スペースでは「津軽海峡冬景色」を生演奏中。



デッキへ出てみました。
動いてないのに、動いてる気がしちゃう。

西側の景色を。
船から見る景色はまたどこか違って見える不思議。



後部のオープンデッキへ。

にっこりイルカが可愛いシンボルマーク。
お山は富士山じゃないよ、羊蹄山だよ。

後部デッキから見た垣生山。



3階へ。



入る前から大賑わいなブリッジ。

船の中枢、舵やレーダー、無線装置など、
様々な機器を実際に触れることができるため、
大人も子供もわくわくいじってました。
船の制服を着たガイドさんは当時から乗船されてた方らしく、
マニアックな質問にも丁寧に解説されてました。
船内見学最終日ということで、
笑顔の裏で涙をこらえながらガイドされてらしたのかも知れません。

ブリッジから見た久貢山。



一巡し終わり、下船前に会場を撮影。
午後3時を回ってお客さんも落ち着いてきてました。

下船後に訪ねた黒島山。
三角点があったのは、黄緑色に見える竹林の辺りでした。 



いよいよ、さよらな羊蹄丸。
「ごくろうさま」、なでなでしてから、
ゆっくりと下船しました。

船内の電気は発電機から供給してました。
夕方には発電機を停止する、
さよならイベントが行われたそうです。

廃船・リサイクルされるため、
もう二度と載ることができない羊蹄丸。
青函連絡船として活躍してた頃に載ってみたかったなぁ。

最後に船体のショット。

船首のロゴ。

船首越しの久貢山。

貨車を取り込んでいた船尾。
レールの端っこもちらり。

船の科学館の別館だった頃に書かれたロゴ。

以上、さよなら羊蹄丸でした。

ひとりごと

新居浜まで早起きして行ったのは、実はこの羊蹄丸に会いたかったからです。
羊蹄丸は言わずと知れた(?)、青函連絡船として活躍した「鉄道連絡船」です。
活躍したのは、昭和40年(1965)から昭和63年(1988)。
その期間に陸路で北海道に旅行された方は、羊蹄丸か八甲田丸、摩周丸に乗船されたことでしょう。
僕が北海道に初めて行ったのは、青函トンネルが開通した後でした。
寝台特急「北斗星」はあっさり、長く暗いトンネルに吸い込まれて行きました。
なので、僕にはこれといった思い出のある船ではありません。
でも、廃船(スクラップに)されると聞き、もう二度と見ることができなくなると思ったら、どうしても見ておきたくなりました。
子供の頃に乗れなかったから、せめて大人になってから…。
…といっても、八甲田丸は青森市に、摩周丸は函館市に係留され、青函連絡船メモリアルシップとして船内見学できるんですけど。

平成8年(1996)3月22日から平成23年(2011)9月30日まで、羊蹄丸は、東京・お台場の船の科学館にいました。
「フローティングパビリオン羊蹄丸」、海に浮かぶ博物館として屋外展示されてました。
けれど、船の科学館自体が老朽化で閉館となり、羊蹄丸も譲渡先を公募していました。
11件あった申請の中で選ばれたのが、「えひめ東予シップリサイクル研究会」。
新居浜市や新居浜工業高等専門学校、商工会議所、地元企業などで発足した産学官連携組織です。
2009年のシップリサイクル条約の発行で“自国の船は自国でリサイクル”が義務となります。
廃船リサイクルが新居浜にとって新たなビジネスチャンスとなるか、実際に船を解体して調査研究するのが目的で、羊蹄丸を譲り受けました。
同時に、新居浜市制75周年、及び、新居浜高専創立50周年の記念事業で、遠路はるばる、タグボートに引っ張られて新居浜までやって来ました。
上にも書きましたが、エンジンがすでに無いので、自力航行ができないため、曳航されてきました。
瀬戸内海の横断はパスし、一旦、高知沖を通過し、豊後水道を北上し、佐田岬を回ってやって来ました。

「新居浜に羊蹄丸がやってきた!~旧青函連絡船 最後の一般公開~」と題して、4月27日から6月10日まで船内公開が行われました。
僕が訪ねたのはその最終日。
えひめのご当地グルメや津山ホルモンうどん、 横手やきそば、十和田バラ焼きなどのB-1グランプリ出場のB級グルメの屋台がずらり。
まるでお祭りのような賑わいでした。
僕が乗船したとき、ちょうど、隣の列で「6万人目のお客様です!」って、家族連れがフラッシュを浴びていました。
「○○人目のお客様です!」イベントに初めて遭遇。
多喜浜でゆっくりホカ弁なんか食べてなかったら、もしかしたら…。

船内はもう人だらけ。
大勢が駆けつけてのお祭り騒ぎみたくなったけど、羊蹄丸も最後が賑やかでよかったよね。

船内は人いきれでむっとしてて、汗を拭き拭き、うろちょろしました。
一番楽しかったのは、昭和30年代の古き良き時代の青森駅界隈を再現した「青函ワールド」でした。
お台場の船の科学館にいた頃に、船内に作られた展示施設。
雪が積もった軒先の下にリンゴを並べた店が軒を連ね、店の奥には七輪で暖をとってるおばさんの人形がいたり。
呼び込みが飛び交う中を歩きますが、ここも大勢の見学者がひっきりなしでした。
それがかえって当時の賑わい、雑踏を再現してる感じがして、僕もエキストラ気分で体感してきました。
青森駅構内も時刻表から売店の雑誌に至るまで丹念に再現されていました。
ノスタルジーあふれる昭和な駅風景が切ないくらい良かったです。
そんな「青函ワールド」も壊しちゃうのかぁ、残念だなぁ、もったいないなぁ…。
と思ってたら、ディーゼル機関車以外、青森港にいる八甲田丸への移設が決まったとのこと。
駅で居眠りしてたおじさんも、安心して二度寝三度寝できそう。
一安心しました。

船を下りるとき、「よく頑張ったね、ごくろうさま」って、撫で撫でしてきました。

羊蹄丸はこの後、香川県の港まで曳航され、7月半ばには多度津町の船舶リサイクル会社で解体されました。

最終日はちょっと人だらけすぎたので、空いてただろう平日に来ればよかったよ、いまさらだけど。
記録映像もじっくり鑑賞したかったし、タモリ倶楽部でも紹介された船底のツアーにも参加したかったなぁ。
貨車を船内に載せるためのレールなんかもそのままだったろうし。
見たかったなぁ。

この日は、垣生山に登って久貢山へ行き、羊蹄丸を見学して、黒島に行き、肉離れを起こして帰りました。
暑い、充実した一日でした。

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