へ行こう!
小久貢~大久貢 | |||||||||
①②③④⑤⑥⑦ | |||||||||
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①信号機だらけの江ノ口交差点から再開。
目指す久貢山は左折、東港・黒島埠頭方面へ。
県道336号新居浜東港線を東へ。
右の堤防の向こうを流れているのは落神川。
②落神橋の交差点を通過…。
今度は五差路。
変わった形の交差点が多いなぁ。
…と思ったら、今度はパゴダ(ミャンマー式の仏塔)がある幼稚園。
お釈迦さまの住む家がある不思議な風景。
③江ノ口交差点から1.5kmのまた変形交差点。
大通りが二股に分かれますが、
その中州のような空間に久貢山(小久貢・大久貢)が並んでいます。
まず、正面の森が小久貢です。
小久貢には信号を直進し、右にカーブするところに-
④小久貢の麓まで入ることができる階段があります。
また、東側にも入口がありますので、
クルマの方は東隣の久貢山公園駐車場が便利です。
十数段、ぴょこぴょこっと登れば-
可愛らしい小久貢の目の前です。
登ってみたかったんですが-
周囲をフェンスで囲まれていました。
1分とかからず、登り切れそうな高さですが、残念。
⑤次は大久貢、小久貢の南側の道を東へ。
写真左のフェンスの向こうは久貢山公園。
秋の新居浜太鼓祭りには、
川東地区の太鼓台が集まって勇壮なかきくらべが行われたりします。
⑥柳川の河口近くに架かる柳川橋を渡ります。
橋の上から見えるのが大久貢です。
柳川の上流方向の景色。
柳川はすぐそこの山並みから発する短い川だから、
この川幅を満たしているのは海水多めの汽水。
その証拠に-
刺されたらヒドいことになりそうな、
クラゲがプカプカ、漂ってました。
⑦橋を渡り終えると山裾にある史跡「久貢屋敷」の生け垣があります。
クルマは先のふれあい公園の駐車場へ。
生け垣の切れ間が-
入口です。
入ってすぐ裏に「市指定史跡 久貢屋敷」
多喜浜塩田の開発に生涯を捧げた天野喜四郎元明が、
屋敷を構えたのがここ、久貢屋敷跡。
現在はとても手入れされた庭園が開放されています。
左に酒井黙禅の句碑。
「濱屋しき 西日に映ゆる 大蘇鉄」
庭園中央には県の天然記念物に指定されている巨大なソテツ。
享保年間(1730年頃)に、湊神社、岡本家(白浜)、
そしてここに一株ずつ植えられたものの1本です。
樹齢280年の大ソテツです。
埋め立ての影響で根を傷めたり、化学工場の影響など、
一時、樹勢が衰えた時期もあったそうです。
移設して土盛りなど保護に努めたおかげで、
いまでもますます成長しているそうです。
県指定 天然記念物 |
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ソテツ(蘇鉄) |
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昭和32(1957)年12月14日指定 |
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根回り…7m・高さ…5m |
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享保年間(1730年ころ)多喜浜塩田の開祖天野喜四郎元明氏が、ここを本拠にして塩田の開発を進めました。 |
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新居浜市教育委員会 |
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ソテツの奥、山裾に一段と大きな顕彰碑があります。
「多喜浜塩田開基
天野喜四郎翁顕彰碑
鷲尾勘解治題」
天野喜四郎翁事績 |
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抑々 |
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昭和45年弥生 |
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新居浜市文化財保存委員会 |
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では、山頂へ…と庭園の周りを歩いてみたのですが、
道がまるっきり見当たりせんでした。
おまけに、山の上からは海鳥がゲーゲーギャーギャー啼き声がすごくて、
辺りの草はフンで真っ白。
柳川寄りの方にあったのかも知れませんが、
民家の私有地って感じだったので引き返しました。
山頂には天野喜四郎翁らのお墓があるそうで、
行ってみたかったのですが、残念。
ひとりごと | ||
小久貢も大久貢も登れなかったのが残念でした。 さて、久貢山も垣生山と同じ陸繋島です。 久貢山の古地図も載せておきます。 明治の頃はまだ海に面した部分があったようですね。
始まりは、別子銅山が開坑したのと同じ時代、元禄13年(1700)。 戦後、廃田になった大きな理由は生産過剰だったようですが、六左衛門の訪来から260年、喜四郎の登場からは236年後のことでした。 江戸時代の西条藩は塩田のおかげで藩政も潤い、多喜浜界隈では大飢饉でもひとりの餓死者も出すことがなかったと云います。 たった50年前に廃田になったばかりですが、塩田が拡がっていた面影はほとんど無く、工場や畑が拡がるばかり。 |
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