多喜浜のお山
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多喜浜駅~中西登山口~垣生山展望台
距離 約600m
標高差 約100m
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
見晴らしあり

今回は新居浜の多喜浜駅を起点にしてみました。
特急が素通りしちゃうので、
松山な僕にはなかなか訪れる機会が少ない、
シンプルな無人駅です。



駅すぐの交差点をまっすぐ渡ります。
横切ってるのは県道13号壬生川新居浜野田線。
西条からは国道11号線より、県道13号が近道です。

北・海側に向かって走るけど、
標識には「↑新居浜市街」の文字。



変形5差路の江ノ口交差点も直進。
県道336号新居浜東港線(敷島通り)が横切ってたり、
斜めに落神川が流れていたりで、
車用・歩行者用、信号機を数えたくなるくらいたくさん。



  

垣生公民館の手前、「垣生唐樋」バス停のとこを、
右に曲がりました。
クルマは垣生小学校の交差点を右折した方が広いです。

三浦綿業さん側に立つ「垣生唐樋」バス停。
バスはそれなりにやってくるようです。

初めての町、はじめての道。

  

通りから入ってすぐの辻は左折。

すると、正面に垣生山の姿。
これから登る斜面が見えてます。



水路沿いの通りに出ます。
垣生山に向かって進み-



  

通りや水路が右にカーブする辻を、
今回は登山口として歩き始めることにしました。
この先は狭い住宅街でスクーターを駐められそうな場所もなかったので。
ちなみに、水路をたどると300mほどで垣生漁港に出ます。

左にくぃっと曲がり、住宅街へ。
左の角は月極駐車場ですので、無断で駐めないようにね。

  

水路から50mくらい歩くと右に狭い小路がありますので、
右折して垣生山へだんだん近づいて行きます。

用水路があったのか、暗渠っぽい段差があります。
S字にゆるくカーブする道を歩き- 



  

山裾の通りを渡りますが、右のブロック塀には-

「←垣生山遊歩道 登山口」の看板がありました。
この看板がなければ登山口に見えない場所なので、
ほっと一安心。

通りを渡ると、民家の裏手に回り込むような感じで
農道を利用した遊歩道が始まります。
ここからはずっと登り坂です。



道の左右には日当たりのいい斜面を生かした畑になってます。

  

分かれ道には道しるべ完備、安心して歩けます。

少し登っただけでこの見晴らし (^_^)
畑になってるおかげで視界が広くとれて、新居浜市内まで見通せました。



  

大体まっすぐ登ってくると丁字路に行き当たります。
山頂は左へ曲がります。

「中西↓」がいま登ってきた登山口方面です。
山頂は「←展望台」です。
「笹谷→」は三昧所や金比羅神社方面に下ります。

左折して少し登ると-



  

また丁字路があります。
登り坂の右の方へ曲がります。

「展望台→」の方が山頂方面。
「←大西・女乙山(おめんとさん)」へ下ると、
ムクの巨木がある女乙宮、法泉寺方面に行けます。

来た道を振り返って。

坂の先に森が迫ってきました。
畑も右側に少しあるだけです。



森に入る直前、キレイに下刈りされた空間にベンチがありました。
垣生山の遊歩道などは、地元有志のボランティア団体、
「垣生山よもだ会」が20年以上にわたり、整備されてきたものです。
垣生山は地元愛あふれるお山です。

遊歩道はいよいよ登山道らしく。
急坂なので手すりもある、優しい道です。

  

ベンチの前からふり返り見たパノラマです。
下は多喜浜の町並み、写真右が新居浜市街地。
落神山の低い丘陵地の奥に黒森山や沓掛山、笹ヶ峰やちち山、
東西赤石山など奥山の高山は雲がかかって山頂部分は拝めませんでした。

の辺りを見下ろして。

登山再開。
木の葉で滑る坂を足慣らしにゆっくり登ります。 



  

尾根に出ました。
木の根方に立つ道標の前で左にくいっとまがります。

「←展望台」の方へ。
下山時、まっすぐ尾根を下りそうになるので、
この道標を見逃さないように。



曲がればすぐに、下刈りされた野原が印象的な
桜並木に囲まれた展望台エリアです。
斜めってるベンチの前に立つと、
東向きに視界がぱっと開けて爽快です。

  

眼下には新居浜東港が横たわり、そのそばにこの後に訪れる久貢山や黒島。
黒島の後ろには大島、久貢山の後ろは、
多喜浜の町並みと土居町との境をなす山並み。
ずっと奥の赤星山や二ッ岳、エビラ山は雲の中でした。

  

港をアップ。
垣生山のすぐ下にはフェリーターミナルがあって、
愛媛と関西を結ぶ唯一のカーフェリーになってしまった、
四国オレンジフェリーの「おれんじホープ」が停船中。
オレンジフェリーの乗下船はここと東予港だけ。
対岸は黒島埠頭で、その写真右方向に停船している大きな船は、
青函連絡船として活躍していた羊蹄丸。
羊蹄丸は、東京の船の科学館で博物館に利用されていましたが、
四国で廃船されることが決まり、
新居浜で最後の船内公開が行われていました(すでに終了)。

新居浜の町に向かって立つ「火の用心」。

後ろの桜並木をくぐると-



東屋の休憩所が目印の展望台がある「守丸山」ピークに到着。
展望台(38平方メートルあまり)も「よもだ会」が整備されたものです。

「垣生山展望臺」。

展望台は西向きに開けていて、
新居浜市街から燧灘まで一望することができます。

パノラマを解説したプレートもありました。

市街地部分を拡大。

北へ少し下がると小屋がありました。
毎年5月に揚げられる鯉のぼりや、
登山道の整備工具等を納めてあるそうです。

「出乳母山荘」と書いて“でつぼ”山荘と読みます。
「出乳母」はこの辺りの地名です。

トイレもあります。

さて、山頂方面は展望台ピークから一旦、小さく下ります。

ひとりごと

朝から行ってきました。
新居浜は遠いですから。
唯一の足がスクーターですから。
高速道路にも頼れませんから。
小松から県道13号をずっと走ってきました。
ちょっと寝坊したので、多喜浜に着いたらもうお昼。
多喜浜駅の待合室でホカ弁タイム、させてもらいました。

そもそも、なぜ、多喜浜?って感じですが、それは船内見学が行われてた羊蹄丸を見に行きたかったから。
で、じゃあ、港の周りには何があるんだろうって地図を眺めていたときに、この垣生山も見つけました。
時間が無かったので、いつもの図書館下調べはできませんでしたが、ネットでざっとですが情報を仕入れました。
いつも参考にしてる国土地理院の三角点情報『点の記』からも、遊歩道情報を入手。
道があるってだけでも全然、心強い情報なので、ひとまず、安心して出かけることができました。
現地に着いてまず探したのはその登山口。
ここかなぁ?と半信半疑で路地に入ると、「←垣生山遊歩道」の看板を発見。
正直、“登山口はこっち”な看板ひとつないお山がほとんどですから、表通りから入った見つけにくいところにあるとはいえ、あるだけで立派です。
水路の脇にスクーターを駐めさせてもらい、歩き始めました。
貴重な梅雨の晴れ間でしたが、湿度も高かったからか、暑くて、自前のスポーツドリンクも歩き始めからどんどん消費。

畑の間を登って行くと、すぐに見晴らしが良くなりました。
振り返るのが楽しいお山っていいですね、挨拶代わりのパノラマです。
丁字路のような分かれ道にもちゃんと道標完備。
地元に愛されてる感がとても感じられました。
私事ですが、道標に知らない地名を見ちゃうとね、行って確かめたくなる性分。
時間の関係でスルーしなきゃなんないのが、だいぶ心残りでしたよ。

畑沿いの道は直射日光バンバンだったけど、木陰の道に入ったら涼しくて、しばらくは急めな坂だったので一息付けました。
そんな風にどんどん登るのも展望台まで。
東港のパノラマは暑さを忘れる素晴らしい景色でした。
垣生山の後に訪ねる山山や港も一望できたのもうれしかったです。

歩きやすい遊歩道も、展望台も、途中の小屋も、地元の方たちがみんな整備されたものだそうです。
その名も「よもだ会」。
「よもだせられん!」なんて怒られた経験が愛媛県人なら大抵あるだろう、なじみの方言を冠した会は平成2年結成。
昭和63年に青少年育成ふるさとづくり事業の一環で垣生山遊歩道建設に取り組まれたのがきっかけだったそうです。
結成当時、メンバーの平均年齢は70歳だったそうです。
展望台周辺もキレイに草刈りされてるし、目立つゴミも落ちてないし、“垣生山LOVE”はしっかり後継者に受け継がれてるようですね。
よもだ会については、公益財団法人あしたの日本を創る協会のサイト「垣生山遊歩道づくりに専念し5年」を参考にさせてもらいました。
初期の5年間における活動内容を一部引用させてもらうと、

(1)遊歩道中間地点に管埋拠点小屋「よもだ山荘」20平方ノートルを建設。
(2)栗・桜・山茶花等の植樹。
(3)手づくりベンチの設置。
(4)遊歩道案内看板・道標設置。
(5)文集「遊歩道」毎年1月に2、000部発行、全家庭配布。
(6)遊歩道沿い自然岩に「芽木の間に里を見下ろす遊歩道」の句碑設置。
(7)毎年5月は山項に鯉のぼりを泳がす。
(8)垣生山展望台38平方メートル完成。
(9)鯉のぼりの格納、機械・工具等の保管場所に「出乳母山荘」を建設した。

登山道周りの草刈りだけでも大変なのにぃ。
松山じゃ、淡路ヶ峠とか、同じように公民館ぐるみで活動されてる方々がいらっしゃいますが、よもだ会、すごいです。
せっかくですから、サクラの頃にも来たいですね。

さてさて。
垣生山はその名前の通り、垣生地区にあります。
今回、“多喜浜の…”くくりに入れてしまいましたが、本来は“垣生の…”くくりが正しいですよね、すみません。
とりあえず、垣生の地名について補足を。
“垣生”という地名はここ新居浜のほか、松山、西予市三瓶、あと、福岡県の中間市に存在します。
松山の垣生山も垣生地域にあります。
松山の垣生もだけど、「埴生」が誤って「垣生」となったとする説がよく用いられています。
“埴”は土器や陶器・瓦をつくるきめの細かい赤色の粘土を意味しています。
“埴”のある土地、“埴”が生まれる地を“埴生(はにゅう)”と呼んでいました。
粘土で作られた「はにわ」も漢字で書くと“埴輪”ですね。
垣生山周辺でも良質な粘土が採れたのか、それで「埴生」と呼ばれたのかも知れません。
“埴生”は“はにゅう”のほか、“はにふ”や“はぶ”とも読みます。
「埴生」の地名があるところは、山口県の山陽町や、富山の石動町など。
長野の更埴市(現在は千曲市)の“埴”は埴科(はにしな)埴生(はにゅう)町から来ています。
大阪の羽曳野丘陵は「埴生山」とも呼ばれ、その山を越える坂は「埴生坂」と云います。
ちなみに、広島の因島の「土生」も“はぶ”と読みますね。
パソコンの漢字変換ソフトでは、“はぶ”と打てば“垣生”に“埴生”もでてきます。
全国的に“はぶ”は「埴生」の方が優勢で「垣生」は限定的です。
だから、“埴”と“垣”の字は似てるし、誰かが書き間違えたんだろうって説もあながち嘘ではなさそうです。
愛媛と福岡だけの地名です。
大昔、都から左遷されてきたお役人が、「はぶ? ああ、垣生ね」って書き間違えたりしたんじゃないかな。
でも、当時は識字率が低いし、お偉いさん相手だから、垣生って書かれても「そうですか」って感じで受け入れちゃう。
で今度は福岡に左遷されてって、またあっちでも「垣生ね」って。
案外、そんなことだったかもね。

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