多喜浜のお山
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黒島埠頭~黒島山~黒島海浜公園展望台
距離 約250m
標高差 約40m
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
見晴らしあり
距離 約250m
標高差 約30m

新居浜東港の風景を撮りたくて、小久貢の方に戻り、
多喜浜埠頭を訪ねてみました。

  

港湾の最南部にある多喜浜埠頭から見た新居浜東港。
写真左に見えるお山がさっき登った垣生山で、いまでも島のような姿です。
その横、フェリー岸壁に停泊しているのがオレンジフェリー。
船尾方面に見えている数本のポールがある辺りは「にいはま 海の駅」マリンパーク新居浜。
海を挟んで写真左側は黒島埠頭。
工場が建ち並ぶ工業団地の後ろに黒島山。
上半分がクリーム色の船が青函連絡船だった羊蹄丸で、
今日はこの船を見たくて延々やって来たのです。
写真右端の小山が大久貢です。
その手前に見えている新柳川橋を-

渡って-



大久貢を北から。
久貢山元は海に浮かぶ小島でしたが、
塩田開発で海と別れて以来、まさに陸の孤島です。

通りをまっすぐ東へ走り-



  

突き当たりの丁字路を左折すれば-


黒島埠頭の工業団地を南北に走る通称「マリンロード」。
写真左(西)が工業団地、右(東)が昔からの黒島地区、
民家が立ち並んでる生活エリアです。
道の左側が大体、埋め立て地です。

  

工業団地の地図。



  

道の途中にある漁業団地入口へ、右折。

「漁業団地入口」の看板が目印。

  

突き当たりで左折します。

名前は団地だけど、昔からの漁師町という趣きです。
道も狭いです。
クルマは、黒島港の方からアクセスを。



  

カーブミラーのところで右折。

黒島山に向かって進み-



  

丁字路を右折。

  

道なりに進み、左折したら-

駐車場の入口があって-



黒嶋神宮です。

では、境内へ。

神額。

石段は短め。

内式 黒嶋神社

神社名

黒嶋神宮、黒嶋大明神

鎮座地

愛媛県新居浜市黒島百七番地

祭神

大山祗神、木花咲耶姫命、天御中主神末社、天神社、松尾神社、稲荷神社、若宮神社、恵比寿神社、海神社

社格等

延喜式内社(伊豫國二十四社の内)、南朝勅願所、西条藩祈願所(六社内)
明治四年郷社 昭和十四年縣社

沿革

斉明天皇西征の折、軍船中の大田姫が産気づき黒島に下船し、神社に安産祈願した所、大伯皇女(おおくのひめみこ)を安産した。
当時この燧灘を大伯海(おおくのうみ)と云っていた。
木花咲耶姫命の御神徳とされ、以後遠近より妊婦の参拝が多い。
安産石を一ヶ持って帰り御礼に二ヶにして返すと子供が元気に育つと云う。

祭礼

大祭旧暦9月8・9日、現代は新居浜市統一に合わせている。
歳旦祭、夏祭(輪くぐり)神嘗祭、大祓、月次祭

文化財等

西条藩主御墨付、各種古文書多数、境内林、市指定天然記念物「椿の群林」

安産祈願、厄除祈願、海上安全、交通安全、家内安全、試験合格、命名相談等に参拝者が多い。

句碑がありました。

雨遷先生の句碑

雨遷は馬越(中山)三郎先生の俳号なり旧制西条中学、次いで三島中学で教鞭を取られ、俳句、和歌を愛された。
この作品は昭和3年三島中学校友会誌に発表されたものである。
先生は黒嶋神社の氏子なり。

昭和61年4月吉日
門弟 真鍋充親建之

「神苑を木深く灯し初詣」

前方の灯籠は宇田屋利兵衛の子孫が、祭、正月には火を灯して参拝者を向えた大晦日の光景である。


境内に上がると狛犬さんがお出迎え。

久しぶりの狛犬コレクション、吽- 

阿。

天然記念物

ツバキの群生林 昭和60年(1985)12月5日 市指定

 黒鴫神宮境内に群生する椿は、ヤブツバキの類で、市内の山や林等によく見られる常緑樹ですが、このように、大・小さまざまのヤブツバキの生い茂る林はとても珍しいことです。
 この林は、クロガネモチ、クスノキ、エノキ等の大木やヤブニッケイ、サカキ、カゴノキ、アラカシ、イヌガシ、トベラ、マテバシイ等の照葉樹のまじり合った林になっています。
 そして、昭和20年(1945)ごろまで、これらのヤブツバキの実から油を採取していたそうですが、今では小鳥の好いねぐらになったり、花の密を吸いにいろいろな小鳥の集まる場所になっている。
 この貴重なツバキの林をみんなで大切に保存することにつとめましょう。

新居浜市教育委員会

神様にひと言ことわってから入山します。

2礼2拍手1礼、よろしくお願いします…。
ご神体はす、スライム、じゃありません。

三色の宝珠だそうで、赤は情、青は智、黄は意。
一念をこめて持ち上げると珠が軽くなるそうです。

さあ、山頂へ行くぞ!と拝殿の周りを探したら、
左奥に小径を発見!

おお! これはいい感じか!
と、たどってみたら-

森林の守り神だそうな、大松神社で行き止まり。
後ろは混んだ竹林で入れそうもない。
やっぱり、道はないのか…、ひとまず、引き返し。

次に境内の右側、小社が並んでるところに裏口が。
クルマが上がれる裏道みたいだけど、出てみよう…。

  

裏道にはただ下るだけ。
それじゃあと、左の竹林の方をよく見てみたら-

けもの道状の踏み跡が竹林の中へ!
そう、これが唯一のルートでした。

意を決して入ってみると、道はないけど、
意味ありげなピンクリボンが点点と結んでありました。
正直、このルート(しか無いけど)、
登山道でもなんでもない、ただのヤブ歩きです。
なので、ヤブやヤブ蚊が嫌いな方、
方向感覚に自信の無い方はマネしないでください。

道っぽく見えるけど、幻覚です (^^;)
リボンを追って登るだけ。



それにしても、一体、誰がなんのために印を付けたんだろう?
タケノコ採りのためのただの印だったらどうしよう…。
山頂には近づいてるようだけど、不安でいっぱい。



  

ああ、不安的中!!
竹林が終わったと思ったら、
山頂部分がササダケの密生したヤブに覆われてる!
心が折れかけましたが、辺りを見回すと、
ピンクリボンが左の方に続いていました。

リボンを追ってヤブの下を慎重に進みます。
20mほど進んだところでしょうか、
ふと、ヤブを見上げると-



暗い穴が開いているのが見えました。
おまけに、その縁に誘うようなリボンがふたつ。
よじ登って近づいてみたら-

四つん這いでなら入れる高さと幅。
けものの寝ぐらか!?
怖かったけど、意を決して入ってみました。

な、なんと! 途中にもリボンがある!
これは人が作ったトンネルじゃないか!

帰りに撮ったトンネルの中。
密生したササダケの根元がみごとにえぐってトンネルとなっています。
まっすぐではなく、右へ左へ、
なにかを探しながら刈り進んだ様子が見て取れました。
必死になって探すものと云えば、アレしかない…。

一瞬、ヤブが途切れて明るい場所に出ますが、
穴はまだ続いており、また潜ります。
このときにはもう怖さよりも、
秘密基地を見つけた子供のような気分。
よくないと思いつつ、
そして、ついに…。



黒島山山頂に到着しました!
三角点の周りが見事にキレイに刈られていました。
三角点にポールが立ててあるし、
三角点ハンターか測量士さんの御技に違いない。
いずれにしても助かりました。
じゃないと、こんなヤブじゃ、絶対にたどり着けなかった。

「黒島」四等三角点、標高は、52.77m。
驚きのお山歩探検でした。
って、またヤブトンネル潜って帰るんだけどね (>_<)

…ヤブ蚊を振り払いつつ、なんとか無事に下山し、次なる目的地へ。

マリンロードに戻り、どんどん北に向かいます。



  

次の目的地は「黒島海浜公園」。

ここは駐車場の入口です。
黒島海浜公園はグラウンドから遊具、キャンプ場まで備えた公園です。
地形のアップダウンをそのまま利用した遊具も楽しめます。

  

「黒島海浜公園案内図」



  

でも今回はさらにマリンロードの終点まで、
進んだところの公園入口からアクセス。

ここから入ると-


スポーツ広場のグラウンドが拡がってます。
次に行くところはこっちじゃなくて、遊歩道を左に曲がって-



北向いて歩いてくと階段があります。

夜のヒットスタジオ風?にカーブした階段です。

踏み面が広い階段はリズムがとりにくい。

スロープでいい勾配にも無理矢理、階段。

枝葉の隙間から東港の出入口が見えました。

グラウンドの東側へ下る分岐を過ぎると-



本日の最終目的地、黒島最北端ピークにある展望台です。
この展望台の基礎は、さすが新居浜って形をしています。

分かりますか?
棒を差し上げる人型と云えば…。
そう、新居浜太鼓台がモチーフになんですねぇ。 

展望台もまた階段…。

ひとつ登り切ったところからの眺めは大島ビュー。

最後は螺旋階段。
ここまで来たら、登るっきゃないのら!

がんばった人だけのご褒美パノラマ、どうぞ!

  

碧海に浮かぶ大島の最高峰は神田山。
西ノ山から始まる山山は、
雲もとれて赤星山も姿を見せてくれました。
二ッ岳、エビラ山も、東赤石山から西赤石山も、笹ヶ峰や黒森山も。

  

西日で影った垣生山。

  

最後に黒島のアップで。
三角点ピークは赤白鉄塔が立つピークの方が右後ろ。

ひとりごと

三角点のヤブ・トンネル、すごかったです。
三角点資料『点の記』に「道はない」みたいなことが書いてあったので覚悟はしてました。
でも、到着時間が10分ってあったので、行けなくはないかな、なんて。
黒島神社の神様にご挨拶して登山口探し。
薄い踏み跡を見つけ、竹林のなかに分け入りましたが、タケノコ畑のような整然とした竹林じゃなく、タケが勝手放題、伸び放題になってる林。
でも、タケが栄養を吸収し尽くすせいか、竹林の中は下草がほとんど生えないので、意外と歩きやすい。
枯れたタケが倒れまくってると障害物競走みたくなって大変だけど。
タケが山頂まで覆うだろう数年後には山頂まで行きやすくなるかも、です。
それより、今回は僕の前に誰かが三角点探しをしてたみたいで、ピンクのリボンが導いてくれてホントに助かりました。
おまけに、ヤブの根元も掘り進んであったし。
じゃなきゃ、あんなヤブに埋もれた三角点を見つけ出すことは不可能です。
いままでいろんな三角点を苦労して見つけてきましたけど、こんなにヤブにまみれてる三角点は初めてでした。
根元をトンネル状に穴を開けても崩れてこないヤブってすごすぎるでしょ。
そんなあのヤブ・トンネル、一体、どうやって掘ってったんだろう?
やっぱ、草刈り機かなぁ? 鎌でザクザクって手掘りしたのかなぁ?
切ったり刈ったりしたら切り株が鋭利になったりするもんだけど。
四つん這いになって進んだけど、手や膝に切り株が刺さって痛いとかありませんでした。
やっぱ、動物が寝ぐらにしてた穴を人が掘り拡げたのかなぁ?
だとすれば、昼寝してるイノシシとかに鉢合わせしたらどうすんの!
って、いま想像したら怖くてしょうがないんだけど、トンネルの中は別にけもの臭さはありませんでした。
あの時は『となりのトトロ』でメイちゃんが入ったトンネルみたいな気分でワクワクしてたけど、やっぱ、トトロの穴だったのかな?。
邪心あふるるいい大人にはトトロの姿が見えなかっただけなのか…。

さて、黒島についてです。

こちらも古地図を載せておきます。

マリンロードの辺りには「北濱川」という川が流れています。
明正寺裏の小山は文字どおり、「小山」となっていて、三角点のある山頂のひとつ下(南)のお山は「東山」と書かれています。
黒島港から黒嶋神社に至る神社道から団地の中の道は昔のまま、海浜公園の中を通っていた部分だけ、無くなってしまったようです。
工業団地側の埋め立て地を比べると、黒島一丁目の北端部分がありません。

「黒島」という地名についてですが、『新居郡誌』には、

往古は黒島を大伯島と言ひ讃岐(ハコ)の岬より来島間を大伯の海と称えしより起る。

斉明天皇の御宇、三韓に事あり宇摩郡に行宮を造らせられ7年春、天皇西征、御船大伯の海に至る時、近侍の大海人皇子妃大田姫皇女御産気あり、大に悩み給ふ。

天皇深く宸襟を悩ませ給ひ、此の島を臨み祈念あらせられしに、風忽ち来り御船は箭を射る如く、此の島に安着す。

天皇神宮に勅して神前に祈念奉弊せられたるに姫御悩みも止み、安々と皇女を御誕生あらせ給ふ、仍て御名を大伯皇女と命じ、此の島を伯鹵(クロ)島と宣せられ、後世黒島と改めしものなりと伝ふ

ざっと云えば、斉明天皇が筑紫に行幸中。
同行していた大田姫皇女が船中で産気づいたので島に立ち寄ったら神社があったので、安産を祈願したら無事、女の子を出産。
大伯(おおく)の海の上で生まれたから大伯皇女(おおくのひめみこ)と名付けられ、立ち寄った島も伯鹵(クロ)島とした、ということだそうです。
で、伯鹵→くろ→黒、で、黒島になったと。
「鹵」って漢字はとても難しい字ですが、この漢字、訓読みは“しおち”や“しお”で、実は“岩塩”を表す漢字なんです。
漢字的には、地中から出る天然の結晶が「鹵」、海水からとったものは「塩」なんです。
太古の昔から塩に関係した土地柄だったんですね。

さてさて、今回、時間が無くて、海浜公園もまったく探検できなかったし、赤白鉄塔があるピークにも登れませんでした。
でも、展望台だけは行っておこうと、急いで登りました。
トップからは真っ青に浮かぶ大島や、雲もとれた赤石山系も見ることができて、旅の最後の締めくくりとしては最高でした。
さあ、後は松山まで安全運転で帰るだけだ、と、階段を降りていたら…。

…ぶっつん!

左足のふくらはぎの中でなにかが切断した音がしました。
と同時に激痛が走り、立っていられなくなり、よろめいてしまいました。
生まれて初めての経験。
どうやら、肉離れを起こしてしまったようです。
昼間の暑さで水分補給も足りておらず、垣生山から黒島、歩き回っていました。
このあとに紹介する、登山靴で羊蹄丸の船内をうろちょろしたのも響いていたのでしょう。
普通、筋肉は縮む動作で力を発します。
けれど、階段や坂を下りるときは筋肉が伸ばされながら体重を支えるので、傷めやすくなります。
だから、膝痛とかは下山中になるんです。
遊歩道の階段が降りづらくて、なんかイヤだなぁて思ってたんだけど、やっちゃいました。
こんな時に限って、ストック、持ってきてないんですよ。
ひょこたん、ひょこたん、足を引きずるようにして、なんとか下山しました。
スクーターに座ってる運転してる分には大丈夫でしたが、歩くと痛いので、途中でコンビニとか寄ったとき、痛くて泣きそうでした。
肉離れに生まれて初めてなったので、こんなに痛いものだって初めて知りました。
横綱やプロ野球選手が「肉離れで休場」ってニュースを目にする度、そんな大げさなって、思ってたりしてました。
いざ自分が歩けなくなってみたら、よく分かりました。

病院的には、筋挫傷(きんざしょう) って云うそうです。
筋肉のストレッチ不足や筋肉量の不足、過度な運動による疲労、そして、体内のナトリウムやカリウムなどのイオンバランスの崩れが原因だそう。
当日は、高い気温の中、汗をいっぱいかき、でも、それに見合う水分、ミネラルを摂取できていませんでした。

石鎚にしろ、皿ヶ嶺でも、高い山の上でなったら…と考えたら、ホントに怖いなって思いました。
突然、歩けなくなるんですから。
下山に倍以上かかったら、日没に負けて真っ暗闇の山道を歩かなきゃならないかもしれない。
いや、一晩ビバークも覚悟しなきゃならない。
肉離れ、恐るべし。
(帰宅後、安静にしてたら、どうにか痛みもなくなり、日常生活はなんとか過ごせるようになりました。
どうしても休めない仕事があり、その日の朝、家を出て十数歩歩いた時でした、また、ぶっつん!
接着剤で引っ付いたと思ったプラモデルのパーツが取れたような、そんな感じ。
痛みをこらえながら、必死こいて現場にたどり着き、それでもなんとか仕事をやり遂げました。
そんな風に、いつまた切れるか分からないと思うと、ちょっと怖い、弱気になってしまいました。)

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