北条立岩の城山
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滝本・猪木へ
距離 約2.8km
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所
  

旧北条市中西、国道196号線の北中学前交差点からスタート。
携帯電話ショップとコンビニがある信号交差点を東へ右折し、
県道17号北条玉川線へ。

  

高縄山を正面に見ながら東に向かいます。
始めは田園地帯の中、1.4kmほどの快適な直線路。



  

高田地区で院内川に架かる小さな橋・新宮之下橋を渡ると、
立岩川と合流。
左に川を見ながら走ります。



春の立岩川にはたくさんの菜の花が咲いていて-

井口橋から河原を見下ろすと真っ黄色でした。

北条を横切る川のあちこちでこのような、
春らしい光景に出会うことができます。



正岡神田から才之原への入り口は、
両側から山が迫る狭い谷のようになっています。
道路の右側の山の陰、広くなったところに立岩の観光案内図が立っています。

すべて手書きで「ようこそ立岩へ」。
「立岩子ども会議」からなる子供たちが製作。

こちらは2008年に撮影したのです。
昔はバックが白でした。
ダンプもよく通る県道沿いで汚れやすいのか、
数年おきに何度も書き直されています。



才之原地区に入ると、高縄山は右側に見えています。
これから目指す柴尾山や勝根山、神途山も見えてきます。
いずれも高縄山の支尾根上にある小ピークなので、
山座同定はしにくいと思います。



  

菊間方面と玉川方面に分かれる神途橋の手前、
ちょうど道路標識が立ってるところに、
滝本・猪木地区への入口があります。

入口の角には紀念碑やお地蔵さん、看板が目印。

看板には、滝本にある滝本の滝と、
猪木で行われる弓祈祷の案内。

紀念碑は道路改修を記念したもの。

お山への道は、北条市街からだと、
右にくぃっと折り返す感じで曲がって進入します。

曲がってすぐの竹林を通り抜けると、



谷が開け、段々畑や棚田のある明るい集落へ。
道は谷の左に立ち並ぶ民家の間をすり抜けるようにあります。
民家は数軒で、すぐに家並みが途絶え、再び、木立の中へ。



お地蔵様や石仏が仲良く安置された場所を過ぎると-

滝本地区へ。
軒先を通るような幅の狭い道をくねくねっと上って行きます。

古風な石積みの基礎が残る民家など、
数世帯が暮らす小さな集落です。



  

集落の上、道が右にカーブするところに、
の看板にあった「十二ヶ滝」の入口があります。

滝に続く遊歩道の入口には鳥居が立ってます。

「← 十二ヶ滝 滝本の滝」
下の看板は風早四国八十八ヶ所の案内。

石の鳥居の脇に立つ石柱は-

滝の手前にある「熊野社」。
達筆そのままに彫られてます。

では、鳥居をくぐって滝へ。



小さな橋を渡り、石段を登ると-

「熊野神社」です、お山歩の安全を祈願し、1礼2拍手1礼。
小さな集落のささやかなお宮ですが、その由緒はとっても正しい。

奈良時代の伊予の国司で河野氏の頭領だった越智玉純が、
聖武天皇の勅により建てたものです。
紀州(和歌山辺り)の熊野本宮大社から、
神様・家都御子神(けつみこのかみ)をお迎えしたから、熊野神社。

拝殿を覗いてみたら、お神輿が納めてありました。
なかなかシックなお神輿ですね。

遊歩道の続きは拝殿の右側に。
この道は昭和51年に地元有志のみなさんが整備されたものです。

簡易舗装された道をゆるゆる登ります。
休憩所の東屋を過ぎると-

右に、橋の架かったお堂があったりします。

本堂も橋を渡り、
風早四国八十八ヶ所のお堂の下の道を沢に沿って進むと-



滝本の滝「十二ヶ滝」に到着。
鹿島の洞窟と繋がってるって昔話があるんだけど、
滝壺はもうそんなに深くないみたい。

40m程の落差があるようで、なかなかに立派です。
右にもう一筋、別れ落ちています。

滑るコケに注意しながら撮影。
水量が増える梅雨時なら迫力満点かな。

水しぶきがキラキラ光る落ち口。

右に分岐した側は細い溝のよう。

滝壺の前の橋を渡ると滝本観音、合掌。

手前にあったお堂。

「風早四国八十八ヶ所 第20番 地蔵菩薩」

次の札所まで20丁。



滝を後にして猪木地区を目指します。



段々畑が終わるとちょっと淋しい山道。
滝本の滝の上流を遡り-



猪木地区の入口に着きました。

集落の入口に架かる小さな橋。
ちなみに、この橋のたもとから柴尾山に通じる小径もあります。



狭い車道を抜け上がると、
風早四国八十八ヶ所のお堂が建つ開けた場所に出ました。
今回はここをベースに柴尾山、勝根山を目指します。

ひとりごと

青空お天気に誘われてお山歩に出かけました。
目指したのは、城址のお山。
戦国時代までの永きに亘って伊予国を支配していた河野氏の拠点だった北条には、高縄山麓の要所要所に城砦が築かれていました。
いまはただの小ピークにしか見えませんが、生い茂った森の下に、郭や堀切など、兵(つわもの)たちが詰めていた当時の名残りが隠されています。
特に立岩地区にはそんな城址が多く確認されていて、いつか訪ねてみたいお山がたくさんあります。

春うららな北条バイパスを北上し、県道17号線を東上すれば、すぐに立岩地区。
きれいに咲いた菜の花なんか撮って、のんびりしすぎちゃいながら、滝本・猪木地区の入口へ。
入口の看板はずっと昔から見知ってはいました。
けど、看板の前の道(県道)を通るときは、大抵、今治辺りからの帰り道で、寄り道する時間が無い状態で、県道から先は今回が初めて。
ローカルな道らしく、1.5車線な車道をくねくね上り、滝本へ。

滝本の名は、十二ヶ滝に由来がありそうですよね。
でも、旧北条市の市誌には、「タキは瀬の早いところ、あるいは夕ケ(崖)の転じたものか」なんて素直じゃないこと書いてます (^^;)
同様に、猪木についても、「イノは砂礫地をさし、キは土台という意味がある。
おそらく砂礫の多い台地という意味であろう。
また、イノは水の集まるところであり、水路のある台地とも考えられる」。
と、小難しいこと書いてました。
学者って云う職業は物事をわざと複雑にすることなのかなぁ。
素直に、イノシシに関係があるって書いたら、んなこと誰でも分かるわ!って、仕事なくなっちゃうだろうけど。

滝本の滝「十二ヶ滝」は、滝本の集落の上にあります。
昔から近くの小中学校の遠足場所にもなってたそうで、立岩子ども会議が書いた「ようこそ立岩へ」看板にもちゃんと載ってます。
県道沿いの看板や遊歩道入口の道標には「滝本の滝」の字の方が大きく書いてあるけど、「十二ヶ滝」の方が正しい名前です。
遊歩道に入ってすぐの熊野神社は、伊予の豪族・河野氏由来の神社です。
紀伊半島にある熊野本宮大社から神様をお迎えした、立派なお宮です。
河野氏のルーツは瀬戸内海の海賊や水軍。
紀伊の熊野も熊野水軍とか海賊がいて、熊野大社の神様を分けてもらったのも、そんな繋がりもあったからかも知れません。
また、熊野本宮大社は熊野三山と呼ばれる3つの神社のひとつ。
熊野三山のひとつ、熊野那智大社は「那智の滝」がご神体です。
2012年夏にバカオロカなクライマーらが無断でロッククライミングして軽犯罪法違反容疑で逮捕された、あの滝です。
那智の滝と熊野三山は切り離せない関係にあります。
同様に、滝本の十二ヶ滝と熊野神社も本来は合わせてひとつの聖域になっていたのかも知れません。

初めて訪れた十二ヶ滝は、変な言い方だけど、ちゃんと滝してました (^^;)
意外に大きくて、これで梅雨時とか水量の多いときだったら、きっと写真写りもよくなるに違いない。
菊間の歌仙の滝みたく、ここにも観音様が祀ってありました。
昔の滝壺はもっともっと深かったようで、竹ざおを突き刺しても底に当たらず、何本継ぎ足してもダメだったなんて逸話が残されています。
ある日、滝壺からタコが出てきました。
これはもしかすると、鹿島にある深い深い洞窟と繋がっているのかも!
なんて話になり、青竹を滝壺に流し込んだら、鹿島の洞窟から流れ出てきた!なんて昔話もあります (^O^)
また、日照りの年に、下流で「きゅうきゅう」鳴いてた大ウナギを、滝の主だからと大勢で担いで滝壺に返してあげたどうです。
以来、毎年、美味しいウナギが捕れるようになったとか。
タコやウナギの話はともかく、いまの滝壺はもう全然深くないですが、お山歩の寄り道には最適な場所でした。

滝の側にあったのお堂は、「風早四国八十八ヶ所」の20番札所です。
明治時代に、四国八十八ヶ所のお参りに行けない人たちのために作られたもののひとつです。
一時、廃れましたが、昭和50年に調査が行われ、復元されました。
風早四国を作った、猿川にある大遊寺が1番で、高縄山に浅海に粟井に松山の五明まで巡り、最後の88番は本谷にある雲門寺。
ミニ四国と云えども、北条じゅうを巡り歩くので、下手なお山歩より、根気が必要 (^^;)

滝にお別れし、また山道をうにゃうにゃ上ると、間もなく猪木地区。
奥地にあるため、滝本よりも家の数は少なく、更に静かです。
風早四国八十八ヶ所21番札所の地蔵堂の横にスクーターを駐めさせてもらいました。

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