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貫之山から
柴尾山(しばおやま)
愛媛県松山市猪木
標高419m
※三角点はありません。
勝根山(かつねやま)
愛媛県松山市猪木・猿川
標高401m
※三角点はありません。
神途山(じんどさん)
愛媛県松山市猿川
標高402m
※三角点はありません。
柴尾山勝根山神途山は、伊予の豪族・河野氏の城址が残るお山です。

高縄半島の主たる高縄山の北麓、その山裾を大小の河川が浸食してできた襞のような多数の支尾根に、柴尾山、勝根山、神途山は位置しています。

北条は、中世の伊予を支配していた河野氏が本拠地を構えた地です。
多方面からの侵略が絶え間なかった時代、河野氏は軍事拠点となる城砦を各地に構え、備えました。
なかでも北条一帯には本拠地を護るため、特に多数の城砦が築かれました。

神途山にある「十二台城址」は、付近の城址の中でも第一級の規模を誇っています。
3方向に延びる尾根それぞれに郭や堀切が置かれ、柵や櫓を設置するために人工的に削平された郭=台が12を数えたことから十二台城と称されました。
その規模から、今治方面から北条へ抜ける街道を抑える重要な城砦であったとみられています。
古い記録によると、
「河野家の臣脇田兵庫頭安顕の居る所なりと。
楼櫓跡台をなすもの十二、是れその名の起る所なり。
然れども年を経るの久しき草木の蝕入するによりて今存するもの十一皆方形をなす。
大なるもの長さ十三間・横三間、小なるもの長さ八間・横四間云々」
とあり、また、伊予温古録には、
「十二台城は猿川村黒石にあり一に神途城という。」
と記されています。

神途山に通じる登山道は、高縄山の登山道のひとつ、猿川道で、山頂の高縄寺に参詣するために設けられた参道の一つでした。

柴尾山勝根山には、それぞれ、「柴尾城」、「勝根山城」が設けられていました。
十二台城に比べれば、規模はとても小さく、十二台城から高穴城や雄甲・雌甲山城方面へ通じていただろう間道を守る、見張り場のような存在だったと考えられています。
また、平安から戦国時代にかけての領地支配は、江戸時代のような中央集権的ではなく、各地の城砦に居城する城主によって間接的に行われていたので、小さな城砦であっても麓の集落を束ねるための重要な施設でした。
柴尾城の城主については越智河内守通冨の名が、勝根山城については杉印旛守宣親が居城していたと資料が物語っています。
柴尾城址、勝根山城址共に、山頂に遺構は残っていません。

柴尾山の山頂下にある柴尾城主の越智通冨の墓所は「オシバオサン」と呼ばれ、「大念仏」と呼ばれる行事が毎年、お盆の時期に行われています。
「オシバオサン」には、高穴城で共に戦死した高手山城主の越智甲斐守通誘も並んで葬られています。

柴尾山、勝根山の麓の猪木地区は年明けに弓を射る行事「弓祈祷」が有名です。
射終わった後、矢で破った大きな的をくぐると災い避けになると云われ、射手は「かけめし」と呼ばれる山盛りのご飯を残さず食べなければ不作になると伝えられています。

猪木の手前、滝本地区には、深い滝壺にまつわる伝説が残る「十二ヶ滝」があります。

柴尾山、勝根山、神途山のいずれも登山道は整備されていません。
最寄りの場所から尾根伝いに山頂を目指します。
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北条中西 5km
才之原
1.3km
16km 3km 猿川
猪木
柴尾山 勝根山 神途山
JR予讃線
西条・高松行き
松山駅
北条駅
伊予鉄バス
北条線


松山市駅 北条駅前
↑伊予鉄バス
↓ 庄府行き
北条駅前 名古屋橋 才の原 農協前
柴尾山・勝根山 神途山
伊予鉄道 →JR四国(鉄道)
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