へ行こう!
猿川~神途山 | |||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱ | |||||||||||||||||||
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①では、猿川登山口からスタート。
登山道は右の道。
この道は車は走っちゃダメよ看板。
バイクもダメだぞ!
「猿川登山道」の杭も目印。
入口の道幅は狭いですが-
山仕事の車は入るらしく、
轍で道の部分が深くなってました。
②落ち葉が積もってふかふか。
作業道なので、傾斜は緩めで歩きやすいです。
③この急カーブは国土地理院の地形図には載ってなかったりします。
高縄山山頂にある高縄寺の参道のひとつだったので、
古道の部分は堀のように深くなっています。
④古道の面影を残す登山道です。
作業車が通れるよう、傾斜を考慮し、
新たに拓いた部分も少なくありません。
⑤どこが古くて、どこから新しいのか分からないけど、
ここで古道の名残の丁目地蔵さんを発見。
三十丁目のお地蔵さん。
以降、お地蔵さんを探しながら歩いたんだけど、
出会えたのはこのお地蔵さんだけでした。
他のは埋もれちゃったか、谷に転げ落ちたんかな…。
⑥急傾斜地ではつづら折りしながら高度を稼いで行きます。
最近の登山道は、急傾斜でもムリに直登するような、
真っ直ぐな登山道を付けることが多いけど、
多少、遠回りでも、同じペースで歩ける道の方が疲労が少ないので、
結果、山頂へも早く着くことができます。
⑦さあ、いよいよ、
神途山山頂にあった十二台城(神途城・三十三台城)の、
城址の末端まで登ってきました。
この岬のように長い尾根は神途山の南西尾根で、
写真左のところに、城址独特の地形、溝のような堀切があります。
道は尾根を回り込むように右へ大きく迂回します。
⑧尾根の先端のカーブは、
林が一瞬途切れて日が差す明るい場所でした。
西に向かって林越しに、
さっき登った勝根山が見えてました。
⑨日なたでターンした道はさっきの堀切の横を通過。
ちなみに、ここからも尾根伝いに山頂まで登れます。
神途山の山頂南麓を道は横切って行き-
⑩神途山の南東尾根と登山道が重なる場所へ着きました。
道は高縄山山頂目差し、まだまだ続きますが-
当初、ここから南東尾根経由で登る予定でした。
でも、登り始めからササのヤブ…。
厭な予感…。
⑪ヤブを抜けたところに堀切がありました。
横から見ると、この深さ。
もう少し登ればもうひとつ、堀切があるはずですが-
この先はもっとヤブ化してて、
これ以上進めませんでした。
大失敗 (>_<)
と云うわけで、道まで戻り、
登りやすそうな場所を探しながら引き返しました。
⑫岬のような尾根まで戻ろうかと思ったけど、
南斜面の植林帯が雑草もなく登りやすそうだったので、
道はなかったけど、取り付いてみました。
下から見るとこんな斜面。
南東尾根も指呼の距離に見えてます。
適当に登りやすそうなところを、
ずるずる登っていたら-
⑬斜面の途中に石積みを2ヶ所発見。
これは炭焼き小屋など、比較的新しいものか、
それとも、城址のものか…、
訪問時は分からなかったけど、十二台城の縄張り図を見ると、
この斜面の途中に第11の郭があったことが判明。
この石積みも城址のものらしいです。
偶然、こっちから登って正解でした。
こちらが縄張り図。
郭の跡がたくさんある特異な城址。
正確な名前も実は不明で、
高縄城は高縄山頂ではなく、
この十二台城こそ高縄城だ、
なんて説もあったりします。
⑭南東尾根に上がったら、そこは横長に平らかになってました。
写真左の方が第9の郭、右が第10の郭に分類されています。
山頂は写真左、第9の郭の方にあります。
いよいよ、郭より数mほど高いだけの山頂へ。
取りあえず、登りやすそうな場所を探し、写真左寄りに進み-
⑮地形的に高さが一緒の、南西尾根にある第6の郭へ。
写真中央から左の平らな部分が第6の郭。
さっきの第9の郭と第6の郭の間辺りに、
斜めに登れるけもの道み跡がありました。
スギの落ち葉で滑る斜面を登ると-
⑯神途山山頂に到着しました!
と云っても、山頂は下の郭に比べ、とても狭く、
15m四方ほどしかなく、展望もないし、
なんだか物足りない…。
なので、早々に、北側に降りてみました。
⑰十二台城址でもっとも広い第2の郭が広がっていました。
長辺は50m以上もあり、
人工的に平らにしたことは明らか。
この郭で一番大きな木。
木からずり落ちたのか、8の字にのたうってるツタ。
第2の郭の北端にある第3の郭を確認して帰路につきました。
帰りは、南西尾根を下ってみることにしました。
⑮南西尾根の起点にある第6の郭へ行き、
尾根筋へ下ります。
⑱尾根筋を外さないように下ります。
途中、小さく平らになった場所、
第7の郭がありました。
道はないものの、降りやすい尾根でした。
南東尾根みたいにヤブったところもないまま、
登山道が見える場所まで、すぐでした。
⑨岬のように見えた尾根の付け根にあった、
堀切のところに到着。
左に降りれば、林道です。
ひとりごと | ||
期せずして、高縄山の猿川コースを、一部だけだけど、歩くことができてよかったお山歩でした。 高縄山山頂にある高縄寺を訪ねるための参道は、横谷道、院内道、猿川道、中村道、米之野道、九川道など、古くから往来のある道でした。 三島神社から先は、日陰になりがちな北斜面を登って行くので、少し薄暗い感じでした。 信仰篤い寺社に繋がる古い山道参道には、参拝者の安全を願って道標代わりの丁目地蔵さんが置いてあることがあります。 ⑦のところから城址らしさが始まります。 さて、十二台城の名は、郭が12あったことから名付けられた通称です。 神途城、十二台城ともいう。 古い資料からしてこれですから、猿川のお城は十二台城としておいた方が無難です。 城址に上がってみて、郭の大きさ、数の多さに驚きました。 河野氏は豊臣秀吉の四国侵攻で滅びる前に、土佐の長宗我部の侵攻にも敗れました。 今回、3つの城址に登ってみて、どれも郭までの登山道が整備されておらず、苦労しました。 |
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