皿ヶ嶺へ行こう!
2013初秋
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竜神平周遊

※下が北になっています
距離 約1.6km
最大標高差 約50m
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所

乾燥のために陸地化が進む竜神平の湿原や、
道の先の愛大の竜神平小屋が見えてきた辺り、
右側(山頂側)にあるのが-

大正時代の山行記録にはすでに記載がある水場です。

道から数m、森の方へ入ったところに-

季節を問わず、清水が滾滾と湧いています。



愛媛大学山岳会の竜神平小屋の前は、
お山歩休みするのに最適な場所です。

小屋は山頂側の少し高い場所にあります。

「皿ヶ嶺連峰県立自然公園 竜神平」

昭和30年代、愛媛大学教授で山岳部顧問だった
故・山内浩氏が山岳部の部員らと共に各地に建てた、
山小屋のひとつです。

ちょっと覗いてみませう。

「愛媛大学山岳会 竜神平小屋」
「休憩・宿泊、ご自由に 愛大山岳会」

ドアの簡易な鍵を外して中へ。
正面には緊急避難時に助かる小物類。

もしものとき、厳冬期でも遭難せずに一晩明かせそう。
使用したら、必ずお返ししましょう(倍返しだ!)。

左側は2段になっていて、雑魚寝できる板張りです。

右側も同じ構造だったけど、取り払われ、
テーブルが置かれています。

竜神平がキャンプ場として賑わっていた頃は、
宿泊所としても機能していた竜神小屋です。
いまは日帰り登山がほとんど。
2010年夏、愛大山岳会を中心にボランティアのべ140人が参加し、
リニューアル工事が行われました。
県内には山小屋を持つお山は少ないですから、
急な雨でも安心して食事ができる空間はとてもありがたいです。

小屋ができる前からある「龍神社」は、八大龍王の祠です。
久万の畑野川、川内の拝志、双方でお祀りし、
雨乞い行事が行われていました。

夏から秋に咲く、オタカラコウ。

県内最大級の湿原だった竜神平はいま、乾燥化が進んで、
ススキやカヤ、ササが入り込み、湿原特有の植物の住処を奪っています。
湿原の乾燥化は自然の流れ、摂理であって、地球温暖化とは無関係です。
昭和の登山ブーム時はキャンプ場として利用されていたりしていました。
現在は踏み跡以外はなるべく立ち入らないよう、気をつけたい場所です。 



乾いた踏み跡をたどり、湿地の手前まで入らせてもらい、
山頂側をパノラマってみました。
下流側、東の方からススキが迫ってきてますね。
周囲の草は腰から胸くらいの高さがあって、
風の通り道が一目で分かるくらい、さわさわしています。

ひょろろ~んと伸びたコオニユリが一輪。

枯れたハンカイソウ。

木道を設置して欲しい踏み跡。

湿原内には複数の踏み跡ができています。
この日も湿原の奥深くまで入り込み、
花の撮影に夢中な様子の人たちを複数見かけました。
花がもっと多い時期には、にわかカメラマンがどっと入り込みます。
乾燥化が進んでいるとは云え、まだ湿原の面影を多分に残しています。
背の高い草との縄張り争いに負けそうな、
でもなんとか生きている小さな小さな貴重な花たちが、
足下にそっと生きています。
悪気のない踏み荒しから貴重な植物を守るためにも、
尾瀬のような、湿原内に丸太の木道を設置して行動をコントロールするのもありかも。
いっそ、下流に堰を作って水位を上げて湿原に戻せば、
靴を濡らしたくない人は入らないから、そっちが簡単かな。

小屋横に戻り、ベンチセットでランチタイム。

今回も茹でたら完成の即席なイタリアンです。

サフラン風味キノコのリゾットじゃ。

ぐつぐつ…。

そうそう、久万高原町のレスキュー隊員が、
救助訓練に来てました。

ぐつぐつ…。

担架で要救助者を安全に搬送する訓練中。

水気がなくなれば完成、ぐつぐつ…。

お世話にならないよう、気をつけなきゃ。

この後、要救助者(役の隊員)の位置をGPS情報を元に
捜し当て救助する訓練へ、出かけて行かれました。

さわやかな風が駆け抜ける草原を見ながらの贅沢な食事になりました。

ベンチセットの横に山頂へのもうひとつの登山口。

下の方にはトイレ(あまりきれいとは云えませんが)。



  

んじゃ、竜神平の周遊コースへ出かけませう。
林の裾を東の方へ、踏み跡をたどって行きます。

踏み跡がササの侵入を食い止めてる。
防火帯ならぬ防“笹”帯 (^^ゞ

でも、奥へ行けば、とっくに侵入を許してて、ササもススキも伸び放題です。



水が抜けてく水路部分には
丸太の橋が架けてありました。

放っといたら、すぐに踏み跡もササに呑み込まれそう。
もうこうなると、湿原な面影はないですね。

綿毛になったハンカイソウ。

アキノキリンソウに蜂ぶんぶん。

手持ち花火のようなヤマラッキョウ。



  

草原部分は舌状の森によって東と西に分かれていて、
東側はもうササ原状態です。



草原が終わり、森の中へ。

「← 上林峠 竜神平 →」



様々な草木が共生する自然林を歩いて行きます。
木漏れ日がほどよく明るい森の中、
清々しい空気を肺いっぱいに吸い込むだけで元気になりそうな森です。



竜神平とこの森が皿ヶ嶺の“皿”の部分を成していますが、
皿の中は結構、凸凹と起伏に富んでいます。
この道も上林峠ルートとの合流地点に向かって、
ずっとつま先上がりの坂になっています
(4、50mほどの高度差があります)。



  

上林峠ルートと合流する丁字路へ。

  

「← 竜神平」「← 風穴 上林峠 →」の道標あり。

こちらは上林峠方面。
峠の直前に長い階段が待ってます。

左に曲がり、「← 風穴」方面へ。

軽く下って行きます。



小ピークの間の鞍部のような場所に
ぽつんとあるベンチ。

足下に土砂が溜まったようで短足状態。



再び上り坂を登った小ピーク。
また下り-



また登り。
この道は“皿”の縁のような場所を歩いていますが、
広葉樹林が旺盛に生い茂って外の景色は望めません。

小ピークを登り切ったら、
後はもう下り。



背の高いササが左右にある坂を下っていたら-

竜神平小屋で訓練してた消防団とすれ違いました。
訓練を終え、上林峠経由で帰られるところでした。
「ごくろうさま」と挨拶してお別れました。



  

風穴からの道との出会う丁字路へ。
左折すれば竜神平小屋方面です。

ひとりごと

ちょうどお昼時で、明るい声がこだまする竜神平。
変わらぬ姿で迎えてくれたんですが、よく見ると、湿原のススキやカヤが勢いを増してるようでした。
湿原の乾燥化は自然な流れなのでしょうがないです。
湿原だった頃を見たことがないので、一度でいいから、ひたひたに水を溜めた竜神平を見てみたいなぁ。
いまさら水を溜めたって、ダメになっちゃう植物も多いかもしれないけど。
梅雨時になると突如、幻の池が出現する、みたいな面白さがあってもいいかな、なんて。

竜神平は湿原だと云うけれど、明治・大正の山行記録を読んでも草原や野原と描写されてます。
竜神平にテントの花が咲いている、昭和の登山ブーム時に撮られた白黒写真を見たことがあります。
湿原だった竜神平を見たことがある人は、逆に、いるんでしょうか?
ここ百年ほどは、湿原と云うより、湿潤な野原、だったんじゃないかな。

湿原に育つような貴重な植物もあることから、花を目当ての登山者らがカメラを抱え、湿原の中へ入り込んでいました。
僕も、踏み跡をたどって水たまりがある中程まで入って撮影したけど、踏み跡ひとつないところは、さすがにマナー違反な気がして入れないです。
無闇に入るな的な注意看板はないんですけどね。
貴重な植物を守りたいなら、もう少し水位を上げて、登山靴じゃ入りずらくするのが簡単かな。
それから、尾瀬みたいな、木道の周遊回廊みたいなものを設置したり。
ホントに湿原っぽくなったら、訪れる人も増えるだろうな。
尾瀬でも巡回する係員の目を盗んで木道から降りて写真撮る人がいるように、踏み荒らしする心ない人も出るかもしれないけど。
まぁ、現状のススキやカヤだらけなところに木道作っても意味ないけどね。
あまり人が立ち入らない、林の向こうにある奥の湿原で水を溜める実験をしてはどうだろう。

竜神平に着いたとき、小屋の横に、オレンジ色の制服を着た久万高原町のレスキュー隊の隊員が数名、救助訓練中でした。
救助訓練なんて、滅多に見られないので、ベンチで昼食を作りながら、じっくり見させてもらいました。
要救助者の全身を固定するようにくるんで、ソリみたく、滑らせて移動できる担架を使っての訓練でした。
斜面に対して垂直に立つと足を滑らさずに降りられる、みたいな指導を受けてました。
間もなくな冬山シーズンに備えた部分もあったみたい。
富山や長野県警の山岳レスキュー隊の訓練風景ほどの厳しさは見られなかったけど、隊員らは真剣そのもの。
もし、お山で滑落したり、ケガ等で身動き取れないような状態に陥ったら、僕もあんな感じで救助されるのかな。
そう思うと、こちらもつい、真剣に見入ってしまいました。
片手でリゾットを茹で混ぜながらでしたけど。
搬送訓練が一通り終わった後、隊長と指導員の二人が次の模擬訓練のため、北の方へ行っちゃいました。
漏れ聞こえてくる会話に耳を澄ますと、次の訓練内容が分かりました。
二人の登山者が下山中、登山道から滑落し、自力では登山道に復帰できない状態のため、救助要請をした、そういうシナリオでした。
要救助者がメールで送ってきた現在地の緯度経度(携帯電話のGPS機能を利用)を頼りに救助ポイントに向かう、そんな捜索訓練です。
隊長と指導員が要救助者役。
隊員たちは竜神平小屋に入って待機。
電話連絡を待って、捜索開始です。
訓練を見ながら作ってた昼食のリゾットが完成し、美味しく食べ終えた頃、小屋から隊員らが出てきました。
そして地図を見つつ、森の方へと去って行きました。
僕が竜神平周遊コースを歩いたのは、実は山頂を巡った後だったんですが、途中、訓練を終えて帰るレスキュー隊員らとすれ違いました。
方向的に上林峠に降りてく方へ行かれました。
水の元に下ったのなら、駐車場に駐まってたクルマは彼らのだったのかも。
すれ違いざま、こんにちはじゃなく、「ごくろうさま」の言葉が自然に出てきました。

さて、竜神平小屋の話。
建設50周年の記念の年を迎えた2010年夏、愛媛大学山岳会が主催となって改修工事が行われました。
50年前に小屋を建てたのは、愛媛大学教授で山岳部発足当時からの顧問だった故・山内浩氏。
山岳部、学術探検部らの学生たちとともに石をひとつひとつ積んで建設した山小屋です。
改修工事はボランティアによって進められ、7月17日~19日の3日間、参加したボランティアは延べ140名にも及びました。
木材・屋根鉄板、砂・セメントなど、約3トンの建設資材を運び上げるところから人力で行われたそうです。
新しくなってから入ったことがなかったので、新しくなった小屋を見ることも今回のお山歩の目的のひとつでした。
建物のデザインはそのままで、簡易な鍵を開け中へ入りました。
小屋の横にいたレスキュー隊員たちも気になっていたのか、僕の後に続いて入ってきました。
以前は部屋の左右が、胸くらいの高さにもある床で2段ベッドのような構造になっていました。
リニューアル後は、入って右側の床が上下段とも撤去され、大きなテーブルが置かれていました。
テントの花が咲いてた頃は、皿ヶ嶺で寝泊まりする人も多かったので、寝るだけのスペースで充分でした。
いまは日帰りが中心。
外で食事するのが難しい冬など、テーブルで食事や地図を拡げて談笑できるスペースの方が喜ばれますもんね。
一度、真冬に、ストーブが役に立たないくらい風が強すぎたので、小屋の中でカップラーメンを作って食べたことがあります。
泊まったことはありません。
一度、泊まってみたいけど、一人では心細すぎるかなと思って、できずにいます (^^ゞ

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