石鎚山へ行こう!
表参道から
お山について登ってみよう!メールホームへ土小屋から、夏土小屋から、霧氷面河から
成就~八丁坂~前社森

※↑東に45度回転しています、ご注意ください。
距離 約1km
標高差 約100m
徒歩
下記写真の場所
距離 約1.1km
標高差 約260m

さあ、「神門」をくぐり、石鎚山頂を目指しましょう。
神門から先は神の領域であり、本格的な登山の始まりです。
以下の注意事項を守り、天狗様に蹴り落とされないようマナーよく、お山歩しましょう。
また、お山開き中はこの神門にて「登山保護初穂料」を納めないと入山できません。
(土小屋ルートでは土小屋遙拝殿にて納付するほか、三の鎖下でチェックされます)

石鎚登山 注意事項

一、

山の天候に注意
冬山は天候の変化が激しいので気象状況に注意しましょう

二、

登山計画は安全第一
綿密でゆとりある計画で登りましょう

三、

行動は慎重に
装備、食料は充分に準備しましょう

四、

単独登山はしない
リーダーを中心に数名で登りましょう

五、

夜の行動は危険
明るい中に下山しましょう

六、

山は逃げない
今日登らなくても明日がある
無理な登山は止めましょう

七、

登山計画書の提出
境内の旅館又は最寄りの警察署駐在所に必ず提出しましょう

緊急時の連絡先 110番
又は(0897)56-0110(西条警察署)

西条市・西条警察署

登山切符と登山保護初穂料について

(1)

登山保護初穂料は室町時代から「お鎖り銭」と称して登拝者が浄財を出し合って助け合おうとする相互扶助の精神から出発している制度です。

(2)

夏山開大祭中(7月1日~7月10日)のみ、登山者に「登山保護初穂料」を納めて頂き、「登山切符」を発行します。
7月10日は午前10時まで発行し後は神門を開放します。
登山保護初穂料は「夏山大祭中、成就社神門~頂上社」の区間で、怪我、急病等の事故が発生した際の救急保護の費用に使用します。
又、「成就社神門~頂上社」の登山道の整備補修の費用に使用します。
不足する費用は石鎚神社・石鎚本教が支出しています。

(3)

怪我、急病での入院費、治療費等は個人負担です。
登拝者の不注意による事故、先達の指示、救護班や職員等の注意を無視しての事故、飲酒での事故の場合救急保護を拒否する事もあります。

(4)

石鎚神社・石鎚本教は、この登山保護初穂料制度を収入面を全く度外視し、道義的に行っています。
登拝する皆様のご了解とご協力を望みます。

宗教法人 石鎚神社
宗教法人 石鎚本教

神門を出るとすぐに木立に包まれた登山道(参道)がゆるゆると下っています。
「八丁坂」と呼ばれる、約1kmにも及ぶ長い下り坂で、
往きは下りなので楽ちんです。
でも、八丁坂の鞍部は標高約1300mで、成就が約1400m。
つまり、比高100mも下ってしまいます。
下った分、また登り返さないといけないわけです。

当然、帰りも1kmで100m登らなきゃならない傾斜は、
ラスボス的存在に変わります。

  

「石鎚登山案内地図」で最終確認。
この地図上での成就~山頂の表参道コースタイムは、
成就→山頂は3時間半、山頂→成就は2時間半となっています。
ロープウェイの最終便が出る時刻の3時間前までには
下山し始めないと下界に戻れないので気を付けましょう。

登山道はとてもよく踏まれていて、
階段なども整備されています。
二人並んでおしゃべりしながら歩けるぐらい、
道幅も十分。
鼻歌を歌えるくらいの脈拍、呼吸数を保つのが
疲れない登山の基本です。



成就からまだ0.1km地点。

まるでレールのように敷かれた丸太。
丸太の外を歩くと裸地が広がってしまうので、
なるべく中を歩きましょう。



新緑の季節。
緑は目に優しいし、酸素だらけの美味しい空気。

うにゃにゃっとN字に変形してる木。
曲がった根元に大変な負荷がかかってるようで、
先に比べ凄く太くなってます。



八丁坂は一方的に下るわけじゃなく、時折、登る場面もあります。
下りの方が多いし、まだまだ元気なので、
小さなアップダウンもいまのところは苦になってません。

古い里程標「頂上社へ3000メートル」

ゴツゴツと露頭した岩の表面に、木の野太い根が張り付いています。
登山者の増加で表土が踏み固められ、裸地化した土は雨で流出。
木の根が露わになる状態に。
ストックやアイゼンなどで露わになった根を傷つけないようにしましょう。



少し離れて新しい道標。
「←成就 0.6km 石鎚山頂 3.0km→」
そこから間もなくの場所に-

山頂まで行かれない方のための「遙拝の鳥居」が立っています。

「頂上まで行かれない方は
 ここでお参りください」

左側の木立の合間に石鎚山頂がちらり。
成就からここまで10分ほどの距離です。

以前、午後2時発のロープウェイで入山し、
この鳥居から引き返したことがありました。

僕にとって鳥居から先は初めての地。
ドキドキ…、わくわく…。

倒れかけの木。
根も露わに。
台風に文字通り、
根こそぎにされたのかな。



山頂が望めるベンチセット。

まだまだ続く下り坂。
下った分、後できっちり取り戻さなきゃならないのが、
なんか、凄くもったいないなぁ。

結構な下り坂でしょ。
浮き石に注意して下りましょう。



まだかな、まだかな、と思ってたら、
八丁坂の鞍部、一番低い場所に着きました。
この場所は麓の西之川からの登山道、
「御塔谷」ルートのひとつが合流しています。

数字が入ってませんが、山頂まで残り2.6km。

登山者心得

・霊峰石鎚山は、お山全体がご神体であります。
 登拝者は次の事項をお守り下さい。
・挨拶は「おのぼりさん」「おくだりさん」と声をかけあいましょう。
・お山にゴミ等をすてぬよう持ち帰ること。
・山の天気は変りやすいので無理をしないように。
・タバコの投げすてはやめること。
・登拝の服装は清々しく足下はしっかりと。
・一人での登山は危険です
 やめましょう。
・お山の樹木を大切に。

石鎚神社・石鎚本教

  

成就~山頂の「路程図」です。
山頂まで比高700m、登りっぱなしです (^^;)
里程図の横にある祠は-

石鎚参道に点在する「三十六王子社」のひとつ、
「八丁坂王子」です。
手を合わせたら、登山再開!



鞍部はしばらく平らですが-

古い里程標が現れた辺りから-

階段出現-

ついにはこんな急な階段も!
もう階段だらけです (>_<)



道標のあるところで急坂が一時的に緩やかになって、
一息付けました、ふぅ…。

「←石鎚山頂 2.5km 成就 1.1km→」



ツツジが咲いてました、終わりかけだったけど。

登山道にちらほら、花びらが落ちてました。
これがホントのイワツツジ、なんちて。
疲れてくるとくだらないことばかり思いつく…。
登山道も登ってばっかり、下らない… (-_-)

木の根が露わになった坂の先-

もっと露わになった方に踏み跡ができていました。
右の正しい道はわずかに下って登るため、
それを嫌った人がほぼフラットに進入できる
左の尾根を歩いてしまい、道のようになってしまったのでしょうか。
いつか大きな台風が来たら、木、倒れちゃうかなぁ。



ここから前社森の小屋まで、
比高200mを一気に登る急階段ゾーンになります。
階段は踏み面もまちまち、蹴上がりも微妙に異なり、
右に左に曲がり登り、砂利で滑ったり、登りも下りも歩きづらいです。
焦らず、一歩一歩、一段一段、着実に消化して行きましょう。

「頂上社へ 2000メートル」

裏に「成就社へ 1500メートル」

ジグザグ階段を前に出るのは、
ため息と汗と弱音ばかり…。



この辺りで標高1400m超え。
振り返ると、新緑の木立越しに成就方面の山並みが見えました。
階段登りはどうしても足下が気になってしまい、
階段ばかり見て、単調な山行になりがちです。
踊り場などで小休止するときにでも振り返えると、
ちらっと見える景色がいい気分転換になってくれます。

階段の造りもいろいろ。
板を乗せたタイプが多いですが-

半割した丸太を並べた階段は、
踏み面が狭く、歩幅が取りづらいのが欠点。



階段途中に道標、中間地点はまだ先。

「←石鎚山頂 2.0km 成就 1.6km→」



階段ゾーンの途中にはベンチが置いてある、
こんなテラス状の休憩ポイントもあります。

谷側のヤブの奥にツツジが点在。

見上げた坂の上にもツツジ。
近くに寄ったら写真を撮ろうと思ったのに、
しんどくてうつむいて登ってたら、
いつの間にか通り過ぎちゃってました。



その代わり、道ばたに咲いてた-

「ムシカリ」の白い花をパシャリ。
虫が好んで葉を食べるので“虫狩”なんだそうです。

こんな岩場なところも登ります。
高度感もあって、補助ロープをつい掴んじゃいます。

昭和な道標はもうよれよれです。

岩もゴロゴロ。
つまずいたり、足を取られたり。



  

前社森に懸けられた「試しの鎖」元に着きました。
試しの鎖の“試し”は、山頂に懸かる鎖の予行演習的な意味合いと、
山の表と裏に懸かる計74mにも及ぶ鎖で肝や力を試す、
このふたつの意味があります。

後の3つの鎖同様、迂回路があります。
ムリして登る必要はありません。

まるで垂直に見える岩壁に懸けられた試しの鎖は、
こんな大きさです。

鎖を登っても反対側をすぐ降りないとならないし、
第一、僕は高所恐怖症なので、迂回路を選択しました。
迂回路は一旦下ります。
迂回路があるところも崖のような場所で、
落石注意、足下にも注意です。



迂回路の底から、前社森の頂上を見上げて。
岩壁に張り付くように針葉樹やツツジが生えています。

尾根を目差し、階段をよいこらしょっと登ると、
青い建物が見えてきました。



「前社森小屋」に到着しました。
平日ですが、ちゃんと営業してて、中からラジオが聞こえてきました。
メニューの「力あめゆ」(400円)は魅力的でしたが、
“麦茶200円”はちょっと…(^^;)

小屋の右後ろにある頂は、試しの鎖で登る前社森のピーク。
離れているので写真では小さく見えるけど、
あれを鎖で降り返すの?って思っちゃう高さがあります。

小屋はとても眺めのいい場所に建っています。

  

瓶ヶ森をアップで見ると、
右肩に伊予富士や東黒森、自念子ノ頭といった、
瓶ヶ森林道沿いのピークが覗いてました。

試しの鎖の“裏”部分。
こちらも結構な崖を降ります。
ちなみに、鎖は昭和7年に懸けられました。

前社森の山頂部分。
ちなみに、前社ヶ森、禅定が森、禅師が森など、
呼び名は様々ですが、地形図上は前社森です。

山頂方面へ少し登り、振り返り-

前社森小屋を俯瞰。
屋根も壁も真っ青ですね。

ひとりごと

さあさ、神門をくぐったら、そこからは石鎚の神様の領域。
本格的な山歩きスタートです。
まずは、八丁坂の長い下り坂。
下り坂だから楽は楽ですが、下った分、後で登り返さなきゃならないので、まさに「人生楽ありゃ、苦もあるさ」。
神門からまっすぐ平らに歩いて行けたらなぁ…。
なんてことを、前社森の階段ゾーンで何度夢想したことか (^^;)
でも、昔の人に比べれば、遙かに楽に違いない。
ウチの伯父さんがロープウェイもない頃に、松山から歩いて石鎚山山頂まで行ったことがあるって云ってました。
道中、桜三里はあるし、小松からは横峰寺か天ヶ峠の山越えをしなきゃ、河口にもたどり着けなかったんだからなぁ。

八丁坂の下り坂で、どんどん、どすどす、雑に下ってると、余計な筋肉疲労を招き、あとの階段ゾーンで必ず、泣きを見ます
最悪、ヒザを痛めてリタイヤ、なんてことになりかねません。
翌日に疲れを残さない登山の秘訣も下り方にあります。
その秘訣は「小股で下る」こと。
大股歩きは、体重が一気に脚にのしかかり、筋肉を痛めてしまいます。
また、歩き始めの30分は心肺機能もまだスイッチが入りきっていません。
その状態だと、運動に必要な量の酸素を取り入れ込むことができません。
息が上がる、はぁはぁと荒い呼吸になるのはこのためです。
ウォーミングアップを兼ね、身体を慣らす感じで、八丁坂の下りはゆっくり、大切に歩きましょう。
八丁坂以降の大変長い登りが、きっと楽になります。

途中、小さくアップダウンしながら下っていく坂の途中にある「遙拝の鳥居」。
体力や時間の関係で山頂まで行けない人がここで山頂を拝んで帰る鳥居です。
山頂に行けないと云えば、石鎚山は長い間、女人禁制のお山でした。
例えば、黒川道は途中にある女人堂までしか入ることができませんでした。
山岳信仰では女人を不浄なもの、罪深いものとして、登山を禁止していたからです。
男性を優位にしておきたかった大昔の人たちが、あれこれこじつけて、女人禁制が生まれたんでしょう。
男だってみな、女性から産まれたのにね。
男尊女卑もイジメも、大抵、自分に自信の無い人、もしくは、思い上がった傲慢な人がすること。
お山の女人禁制は、最初は、危ないから行かない方がいいよ、くらいの優しさから始まったのかも知れないけどね。
昔は、冷たい雨を防げる装備もないし、登山道も整備されていません。
登山が命がけの時代に、同行者の移動速度、体力、経験がバラバラだと、全体が危機に陥る可能性が高くなります。
少しでも足を引っ張る可能性があるものは排除したいと思うのは、仕方ないでしょう。
だからと云って、不浄なもの、と云う理由付けは異常ですが。
時代的に、それがなんとなく皆が納得できそうな理由付けだったんでしょう。

女人禁制は明治維新後も継続されました。
大正8年(1919)8月、愛媛女子師範学校の太田校長以下女生徒5名を含む12名が登山を実施。
初めて女人禁制が破られた日でした。
以降、少しずつ、解禁が進みます。
大正13年(1924)には、お山開きの10日間のみとなりました。
昭和22年(1947)には、7月1日から7月5日までの5日問だけとなりました。
そのときには、強硬に反対する高知県の一部の信徒が下山するなど、騒ぎも起きたそうです。
昭和56年(1981)には、7月1日から7月2日までの2日問だけになりました。
翌57年から、7月1日の1日だけになり、現在まで続いています。
個人的には、1日だけ禁止にする意味が分からないけどね。
でも、1日の山頂は、御神体を担ぎ上げる信者だけでいっぱいいっぱいだからなぁ。

八丁坂の底に降り立ったところから、山頂までほとんど登りっぱなしです。
前社森まで、まずは下ってきた分を取り戻すように登り詰めます。
それも階段ばっかり。
前社森までの間に何度休んだことか。
階段ゾーンは大変だった記憶しかないのでした (^^;)

そうして、いつしか、試しの鎖に到着。
今回、鎖場は全部パスすることに決めていたので、写真だけ撮って迂回路へ進みました。
僕の前を歩いていたグループは鎖を登ったよう。
リーダーらしき男の人がうんちくをたれる声や、高度差に黄色い声を上げる女性の声が上から聞こえてきました。

試しの鎖は昭和7年、岡山の鬼石組が奉懸したものと云われています。
ヘリコプターもない時代、何十メートルもある重たい鎖をどうやって担ぎ上げたのかなぁ。
頂に固定するのも想像できないほど、大変だったろうし、信仰心って凄まじいなぁ。

前社森小屋に到着。
連休などに比べたら、平日の登山者は全然少ないんですが、小屋は営業してました。
飲み物はみな、「お山料金」ですが、「力あめゆ」はいつか飲んでみたいです。

小屋の前で休んでたら、前社森の頂から、さっき鎖を登っていったグループが降り始めたのですが、リーダーらしい男の人の、
「山頂まで行けない鎖なら、行けないって書いとけよ」
という、文句にも似た声が聞こえてきました。
彼らはどうも、試しの鎖が山頂に繋がってると思い込んでたらしく、つい、登ってしまったようでした。
グループを率いるリーダーのくせに、それくらい、調べてないのか?って感じですが。
リーダーについ行って鎖を登ってしまったメンバーが一番、文句を云いたかったろうにね。

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