表参道から
前社森~夜明峠~二の鎖元 | ||||||||||||||||||||
※↑東に15度回転しています、ご注意ください。 |
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①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰ | ||||||||||||||||||||
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①前社森小屋を離れ、夜明峠へ向かう道も結構な坂ばかり。
坂の途中には、積雪や雪崩の影響で、
枝や幹が一旦横に伸びてる木が目立ちました。
②1631m標高点が打たれた剣山山頂に
ツツジが咲いていました。
でも、手の届かない崖沿い。
まさに高嶺の花でした。
左(南東)側が開けたので、目を凝らして見たら、
岩黒山、手箱山、筒上山が目に入り-
よくよく見たら、土小屋の白石ロッジや、
丸滝山の丸滝小屋も目に入りました。
こちらは、石鎚山東斜面の残雪のアップ。
GW連休過ぎても今年は解け残ってます。
③三十六王子の32番「古森王子社」。
その昔、大木が生い茂る“古い森”だったそうです。
また、“古森”は“子守”から来ているという話もあります。
祠に合掌。
無事、登頂・下山・帰宅できますように。
夜明峠手前のピークを北から回り込み迂回して、
峠を目指します。
④ピークを迂回する階段からの、空の蒼と海の碧がひとつになった眺め。
目を惹く眺めのせいで、階段でつまずいたりしないように。
少しモヤがかかってますが、西条平野を一望。
雲が似合う石鎚山で海岸線まで見通せる日に巡り会えたのは、
運がよかったなぁと思うのでした。
⑤不意に濃い森が途絶え、まばらな木立の足下にササ原が広がる、
日差しもまぶしい世界へ。
道の左側に三十六王子の33番「早鷹王子社」。
昔、ここで女の子が天狗にさらわれた伝説が残る地です。
山岳信仰に結びつく天狗と、女人禁制が入り交じった伝説です。
⑥早鷹王子社から先は、久しぶりの下り坂です。
石鎚山の雄大な姿を正面に見ながら一息付ける下り坂です。
石鎚の東面は切り立った(切り落ちた)崖で構成されていて、
容易に山頂にたどり着けるようには思えません。
特に石鎚初心者は「私でもホントに登れるの?」と、
ドキドキすることでしょう。
⑦もう日差しをさえぎってくれる森はなく、
肌がじりじり灼けるような尾根道が山頂まで続きます。
帰宅後、お風呂に入って気がつきました。
訪問時は5月の半ばでしたが、
顔や首、腕など、すっかり日焼けしてました、ひりひり。
日焼け対策も大切ですが、
汗で失われる水分、ミネラルの補給も重要です。
1652m標高点の「
役行者が夜を徹して登山した際、
ここで夜が明けたと云う逸話が峠名の由来です。
その際、従者が
参詣者ひとりひとりから「松明銭」8文を徴収する習わしが起こり、
それが明治初年まで続いていました。
いまで云う所の入山料ですかね。
「森の鳥たち」解説版の後ろ、
左(東)側の谷から登ってきた道がこの場所で合流します。
西之川~御塔谷~刀掛~天柱石と巡るこの道は、
役行者も修行した古道です。
時間はかかりますが、ロープウェイに頼らず、
山頂を往復できる登山道としていまに生きています。
再び「路程図」、その後ろに-
34番「夜明峠王子社」。
緩やかな登り坂。
登り坂だけど、空が開けてるから、
閉じた森の中より、全然、爽快。
⑧まるで山頂まで真っ直ぐ登山道が続いてるよう。
石鎚の右側、ササ原の緑で優しい山容に見える頂は、
石鎚三角点が置かれた三角点峰です。
尾根を越えて行く風が心地良く、見晴らしもいいので、
ついつい、立ち止まってしまいます。
道前平野や今治の方、しまなみ街道沿いの島々が眼下に。
平野をアップで。
⑨土小屋ルートの道筋も見える距離になりました。
谷筋に残雪も結構、残ってます。
ショウジョウバカマ。
久しぶりの再会。
振り返るとこんな感じの景色が広がっています。
下山時はこんな眺めの中を下って行くことになります。
⑩森を前に、また階段…。
「←成就 2.6km 石鎚山頂 1.0km→」
⑪汗をかきかき、階段を登っていたら、
また青い小屋に出合いました。
無人のこの小屋は「一の鎖小屋」。
固く閉ざされていました。
小屋前を過ぎた正面の岩壁には、
「一の鎖」と呼ばれる鎖場があります。
長さ33mに及ぶ鎖です。
大きさはこんな感じ。
はい、鎖はまたパスしました (^^;)
迂回路あるし~
折角あるんだから、
使わないともったいないし~ (^^;)
⑫一の鎖を登り切った辺り、空が広いです。
来た道を振り返って。
⑬ここまで来ると、二の鎖、三の鎖の鎖場も見えてきます。
(写真左から)南尖峰、天狗岳、弥山、面河乗越しの尾根。
鎖場部分をアップで。
土小屋ルートと合流する二の鎖下辺りから、
なんか工事してるみたい…。
石鎚登山の歴史 |
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西日本最高峰である石鎚山は古くから信仰の対象となっていましたが、石鎚山における近代登山の歴史は、1923年(大正12)、松山高校旅行部(登山部)長に北川淳一郎教授が就任し、翌23年に石鎚山系縦走が行なわれたことに始まります。 |
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⑭ササ原の道をとぼとぼ歩いていたら、
左の斜面を登る踏み跡発見。
なんだろう?と思ってたら、看板がありました。
「緊急用ヘリポート」
西条の消防と県の消防防災航空隊が設置したようです。
⑮まだまだ続くササ原の道。
ふと、(今度は)道の右側に、
ミステリーサークルのような円形の広場が3つほど点在してる場所がありました。
休憩場所かと思ったら、実は二の鎖下キャンプ場でした。
キャンプしたい人は、成就の白石旅館か、
土小屋の白石ロッジへ届け出が必要です。
テントひと張り分の広さだけ。
水場もトイレもありません。
テン場からの眺め。
丹原、壬生川、朝倉、今治、しまなみ海道、
さらには尾道、福山の山並みまで。
⑯道ばたになんか立ってる…。
なんだろうとよく見たら、登山者を数える装置でした。
データは、小屋や登山道、トイレの整備に利用されます。
ふたつのセンサーで上り下りを分けて
カウントできるようになっています。
電源は太陽電池。
触らないようにね。
⑰二の鎖下に到着しました。
到着早々、なんか違和感があるんですが…。
木の鳥居が登山者を出迎えてくれます。
この場所で左(東)から来る土小屋ルートと合流します。
下山時、絶対、間違えちゃいけない分岐です。
振り返って。
写真右が土小屋ルート方面で、
写真左に二の鎖元小屋が…あったはずですが、
な~んにもありません。
鳥居から上にあった小屋もすべて撤去され、整地作業が進んでいました。
そう、訪問時、石鎚山は山頂のリニューアルに続く改修工事が進行中でした。
この二の鎖下と上部の三の鎖下が改修工事の対象地域で、
小屋はすべて撤去されました。
この場所には、バイオ式の環境配慮型トイレが設置されることになりました。
それにともない、正直、垂れ流しだった三の鎖下のトイレは撤去される方向です。
現時点では、新しいトイレは2014年秋に完成する予定です。
ひとりごと | ||
前社森から夜明峠まで、結構な登りが続きます。 この区間には、三十六王子の32番「古森王子社」、33番「早鷹王子社」、34番「夜明峠王子社」があります。 34番「夜明峠王子社」については、こんな話があります。 修行の道中、従者の八郎兵衛は松明を持って歩いていましたが、それが後の世の松明銭の始まりとなります。 さて、もう一人の従者、多郎左衛門は遙拝殿の浄財を取得する権利を得たそうです。 ちなみに、僕のおじさんも、会符、持ってました。 あと、先達には階級が存在します。 さてさて。 のんびりモードな尾根歩きから、また階段登り。 一の鎖はまたもやパスし、迂回路を登りました。 高度感のある迂回路を進めば、やがて二の鎖元の、土小屋ルートととの合流・分岐点に着きます。 在りし日の二ノ鎖元小屋群。 老朽化した手作り感たっぷりの小屋が並んでるのは、景観的にはあまり好ましいものではなかったなぁ。 普段なら、階段に腰掛けて瓶ヶ森なんか見ながら、小休憩する場面。 |
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