石鎚山へ行こう!
表参道から
お山について登ってみよう!メールホームへ土小屋から、夏土小屋から、霧氷面河から
山頂成就駅~観光リフト~成就
距離 約300m
標高差 約35m
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
見晴らしあり
距離 約450m
標高差(累積) 約220m

ロープウェイの終点「山頂成就駅」に到着。
乗車時間7分半はあっという間です。

今回は左側のホームに到着。

山頂駅のプラットホームです。
運転室もありました。

山頂成就駅の標高は1300m。
ちなみに、「最終便は18:00」となっていますが、
ホントは17時でした。
最終便の発車時刻は季節・曜日ごと変化します。
前もって確認しておきましょう。
表示ミスにもだまされないように。

訪問時の気温は約18度、湿度は45%でした。
山麓の西之川に着いた時点ですでに爽やかだったけど、
山頂駅はさらに清涼で、うっすらかいた汗くらいなら、
風があっという間にさらってくれます。

ホームに降りて右に階段があって-

階段を上がり、改札を抜けると待合室。
土産物売り場もあって、
トイレは出口に向かって左側、自販機が置いてある方にあります。

改札の隣に乗車券売り場。
奥に係員が常駐しているので、最終の時間とか、
分からないことは尋ねておきましょう。

光あふれる駅の外へ。

山頂駅の出入り口はこんな感じになっています。
写真右のゴンドラにはレンタルの長靴が置いてありました。

駅を出てすぐ坂道が始まります。 

駅舎を出てすぐの瓶ヶ森の眺め。

道標は充実しています。
リフト利用の方は、
運転状況と最終時刻を要チェック。

駅舎を出て坂を登り、左に曲がり登ります。

  

角に立つ「石鎚スキー場」案内図。
冬になると、リフト横の斜面はゲレンデに変わり、
3つのコースがあるスキー場になります。

  

こちらは「国指定石鎚山系鳥獣保護区区域図」。

さらに坂を登った駅舎の裏の方に、
気象庁設置の無人雨量観測装置、
通称「アメダス」が置いてあります。



さらに登ったところはちょっとした広場になっていて、
ベンチセットのほか-

観光地によくある有料の双眼鏡や、
パノラマ解説版(募金箱)がありました。

  

パノラマ解説版。

和風な屋根のロープウェイ山頂駅舎越しに瓶ヶ森、
その右に尖った岩峰の子持権現山も見えました。

加茂川を挟んで対面に聳える二ノ岳。

  

瓶ヶ森方面をアップで。

  

瓶ヶ森山頂部分を更にアップ。

よく踏まれたゆるい坂道を成就へ向かいます。

  

愛媛森林管理署が設置した
「石鎚風景林案内図」。

一直線な坂道。



その途中、右に分かれる道はリフト乗り場・ゲレンデへの近道。

リフトに乗る人は右へ進めば、
道が平らなので楽です。



  

まっすぐ登るとまた右に道が分かれますが、その分岐に立つのは奥前神寺。
四国八十八ヶ所第64番札所「前神寺」の奥の院です。
訪問時、お寺は閉まってましたが、
お山開き中以外は大抵、閉まってるらしく、
納経は麓の前神寺で受けられます。

奥前神寺横にある道標。
直進すれば歩いて成就まで行けるほか、
右折すれば、三碧峡まで下れる今宮道に接続します。

成就行きのもう一つの道標。
登りは歩いて20分。
リフトは少し遠回りなので、
徒歩でも変わらず、体力が減るぐらい。



今回はリフトに乗るので奥前神寺の前を右折。
観光リフトの北側の森の一段低い場所にある、
ピクニック園地行きの第6リフト。
冬のみ稼働するので、搬器も降ろしてお休み中。



こちらが成就方面へ楽っと行ける観光リフト(スキー場営業中は第1リフト)。
こっちも少し低い場所にあって、
左の建物(レンタルハウス)の方からアクセスします。
夏山リフトの運行時間は季節や曜日によらず、
9:00~16:30で、料金は大人も子どもも往復600円、片道350円。
お客さんがあまり来ないオフシーズンはリフトを停めてエコしてます。
お客さんに気づいたら、おじさんがすぐ、リフトを動かしてくれるので、
「営業休止!?」って慌てないでね。

  

レンタルハウスに掲げてある
「石鎚ゲレンデガイドマップ」



リフトは一旦谷に下降してから上昇します。
一人乗りのリフトは、ちょっと苦手(>_<)

中間駅がありますが、冬場のみ利用可能。
夏は降りちゃいけませんし、乗れません。

中間駅にあるレストハウス。
こちらも冬場のみの営業(夏は閉鎖)。

中間駅のみ、地面すれすれ。

リフト沿いの斜面は成就Aコース(中級者用)。
2013年春にMTBコース開設で夏も利用可能に。

カッタン、カッタン…(リフトの音)。
平日だったのでお客さんは僕ひとり。

地面に小さく映る自分の影。
あ~、高い高い…、揺れる揺れる…(+_+)



終点に到着。
降りるときは、着地したら、
右斜め前へ歩いてレーンから出ます。

リフトの終点はこんな感じで、
ゲレンデ・トップに位置してるから見晴らしも抜群です。
下りのリフトに乗るときは、反対側のホームから。

リフトの後ろ、一段高いところに展望台。

  

リフトの後ろを通り抜けると- 

  

成就への下り道と、右にくぃっと折り返す形で、
展望台へ上がれる通路があります。



展望台はすぐです。

昭和な展望台なので、あちこち痛んでますが…。

  

標高1414mのピークに立つ展望台からの眺めは抜群です!
(写真右に)東三方ヶ森を頂点に連なる高縄半島の山並み、
道前平野から西条平野、その沖は瀬戸内海中央部の燧灘。
平地から一気に高度を上げる石鎚山系のいくつもの尾根が並んで見えます。
沓掛山の右肩越しに赤石山系の東赤石山もちらり。

再び、瓶ヶ森を中心にアップで。

振り返れば石鎚山!

  

ようやくお顔を見ることができました。
けれど、まだまだ随分遠くに感じます。


では、成就へ。
石鎚山頂往復にかかる時間と
ロープウェイの最終時刻を考えたら、
展望をのんびり楽しんでるヒマはないです。
リフト乗り場からはまず、下り坂が続きます。



  

鞍部に到着。
訪問時はアケボノツツジのシーズンで、
鞍部から右にハイキングコースがありました。

約1kmでツツジが見られる黒川山へ。
「黒川」三角点のある辺りかな。

鞍部から成就まで登り坂。
表参道はホント、アップダウンの多いコースですが、
リフトから成就間も表参道の縮図みたいに、
一旦下った後、登り返しの階段が続きます。
ここからもう登山が始まってるようなものなので、
小走りにならないよう、ゆっくり登ります。



階段登りが一段落。

成就に繋がる尾根を歩いて行く感じです。



  

成就の入口の鳥居に到着。
ここで道は3方向に分かれ、
左がアップダウンの少ない近道で、
直進は登り坂(登れば下り坂も)。
右は展望所があるちょっと遠回り道。

  

「成就案内図」
左の近道が近道っぽく描かれてないので、
お年寄りも間違って直進しちゃいます (^^;)
もう坂を登りたくない人は左へ曲がりましょう。

直進したことがなかったので、
鳥居をくぐり、まっすぐ進み登ってみました。
小高いところにアンテナ施設があって、横を通り過ぎると-



さっき登った分、下ります。
下りは楽だけど、登りたくない急坂です。
う~ん、ムダに体力使っちゃった気分。



成就に到着。
下った先は石鎚神社「中宮成就社」の本殿(左)と、
遙拝殿(右)の裏手で、
清水があふれる「八大龍王社」の横でした。

八大龍王社(はちだいりゅうおうしゃ) 由緒

石鎚山中では〔水〕は大変貴重であり、ここ成就社では、往古より八大龍王神が水を司る神として奉斎されてきた。
開山の祖、役行者の勧進とも伝えられる。
ご祭神故か女性参拝者も多く、厳しい天候の中も祈願を行う方が絶えない。
脱皮から再生復活、水遠の命や若返りのご神徳、七生報国の由来ともされる。
古来の八大龍王社殿横には御神水の湧き出る泉がある。
砲台地形の成就社境内での不思議の一つと数えられる。
この泉は役行者が襖(みそぎ)をした、とも伝えられ、黒川谷の源流でもある。
昭和55年の成就社大火にて八大龍王社は焼失したが翌年再建立され、平成21年春には再び建立された。
八大龍王社のおかげ話を始め、成就社大火後の御遷座時にまつわる不思議な出来事などは、現在でも当時の方かち直接伺い知ることが出来る。

霊峰石鎚山 総本宮 石鎚神社

境内へ。



  

成就社境内の様子です。
リフトに乗らず、徒歩で登ってくると、
写真左の玉屋旅館、白石旅館の間の鳥居のある参道から入ってくることになります。
白石旅館の右奥にあるのが登山口になる神門で、
手水舎の向こう側に遙拝殿、さっき通り抜けてきた八大龍王社、
そして成就社本殿。
本殿右の長い建物は、お山開き中、
各地からの石鎚講信者や「先達」を受け付ける窓口が並んでいます。

本殿を正面から。

では、登山の無事を祈りに、2礼2拍手1礼…。

こちらは遙拝殿。

遙拝殿にもお参りしましょう、2礼2拍手1礼…。

石鎚山を真正面に“遙拝”できる造りになっていて、
石鎚山自体をご神体とする石鎚神社ならではの建物です。

 

大きな天狗のお面も奉納されてます。

石鎚神社 中宮(ちゅうぐう) 成就社(じょうじゅしゃ)

石鎚神社とは、次の四社の総称です。

奥之宮

頂上社

石鎚山頂

1982m

中之宮

成就社

現在地

1450m

中之宮

土小屋遥拝殿

石鎚山中腹

1492m

ロ之宮

本社

西条市内

御祭神

石鎚七押(石土毘古大神)

伊邪那岐、伊邪那美大神の第二皇子。

御神徳

和魂(にぎみたま)

家内安全、病気平癒。

奇魂(くしみたま)

農工漁商業、学業の成就。

荒魂(あらみたま)

勇気忍耐を勧め除悪善護。

主祭典

1月1日

新年祭

7月1日~10日

お山開き大祭

10月第1日曜~11月3日

もみじ祭り

毎月1日・15日

月次祭

中宮 成就社由緒

霊峰石鎚山の開山の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が、山中での厳しい修行を途中で諦めて下山していた折、白髪の老人が(おの)を研いでいるのに出会う。
訊ねると、答えて曰く、
「この斧を研いで、針にするのだ。」
これを聞き、
「途中で諦めてはならぬ。最後までやり遂げよう。」
と心に誓い、厳しい修行に戻った。
その後、霊験を得て、見事に修行を修めた。
下山の際、此の処にて霊峰石鎚山を見返り遥かに拝して曰く、
「我が願い、成就せり。」
故に、此の地に建立された石鎚神社を〔成就社〕
頂上を遥拝し処に建立された御殿を〔見返り遥拝殿〕と名付く。

成就

・願いが実現すること。

・目的の通り、やってのけること。

霊峰石鎚山 総本宮 石鎚神社

の分岐の左の近道で来ると、
本殿右の長い建物の右端にある通路に出てきます。



それがこの通路です。
この通路の谷側にある2階建ての小屋は-

ロープウェイに沿ってあった荷物運搬リフトの終点です。
お山開きや夏休みには動いてる様子を見られます。

  

境内中央に戻り、今度は社殿の向かいに並ぶ旅館側の様子を。
写真右に玉屋旅館とそのお土産屋さん、
鳥居奥の奥前神寺からの参道沿いには日の出旅館、
神門側に白石旅館。
日の出旅館の裏にある森は常住山山頂。



こちらが石鎚山山頂に通じる表参道の登山口です。
石鎚山そのものがご神体なため、参道は神域です。
神域へ出入りするゲートという意味で「神門」と呼ばれています。

ひとりごと

山頂成就駅に到着後、瓶ヶ森がとてもきれいに見えたので、パノラマ写真を撮りまくってしまいました。

正面に見える二ノ岳。
以前、ロープウェイから見たときは、伐採作業の直後だったのか、地肌をさらした急斜面が印象的でした。
植林された木々が育ち、いまはすっかり森を構成していました。

山頂成就駅社の裏にアメダスがあります。
気象庁のデータでは、北緯33度47.7分、東経133度7.9分に位置し、標高は1280mとなっています。
ロープウェイのプラットホームには「標高1300m」のプレートが掲げてありました。
アメダスより低い場所に駅舎はあるので、1260mぐらいかもと思っています。
「成就」アメダスが観測を始めたのは昭和55年(1980)5月16日。
平成17年(2005)9月6日に観測された24時間降水量「757mm」は、日本記録の第7位となっています。
大型台風14号の影響によるものでした。
ちなみに、1時間降水量が最も多かったのは、平成11年(1999)9月15日6時に観測された「127.0mm」です。

まっすぐな坂道を登ると奥前神寺。
お山開き大祭中以外は閉じてるんですね。
成就社みたいに、いつも開いてるものだと思ってました。

石鎚山が役行者により開山された当時、お山そのものが石鎚神として敬われました。
平安時代頃から神仏習合が盛んになりました。
神仏混淆の石鎚権現神社が誕生しました。
その別当寺(神社を管理するために置かれた寺)として、天河寺、横峰寺と共に前神寺が置かれました。
石鎚信仰の中心、修験道の根本道場として機能していました。
前神寺は天河寺の衰退により台頭、しばらく、石鎚山を管理、支配していました。
現在、成就社がある場所は、奥前神寺と呼ばれていました。
麓には参拝の不便解消を目的で建立された「里前神寺」がありました。
場所は現在、石鎚神社の口の宮がある所です。
明治期に結果的に仏教を排斥する方向に傾いた廃仏毀釈運動により、別当は廃止されました。
神は石鎚神社に、仏は前神寺に分離されました。
同時に、前神寺は成就に数数あった堂宇を失い、廃寺処分となってしまいます。
成就の土地建物は前神寺の後を引き継いだ石鎚神社所有となりました。
神仏分離は信者の激減を招き、寝る布団にも事欠くほどに大変困窮したそうです。
なんとか存続した麓の里前神寺は、30万人を数える信徒の便宜を図るため、出張所という形で今宮道に奥の院を建立します。
ロープウェイが完成し、人の流れが変わると、昭和45年(1970)、現在の場所に新築されました。
ちなみに、前神寺、横峰寺、石鎚神社は、成就社から頂上社に至る参道の帰属問題で対立したこともありました。
(帰属問題=政教分離に伴う国有境内地の払い下げ先)

奥前神寺から成就まで、徒歩で登ることもできるのですが、先を急いでいたので、観光リフトに乗ることにしました。
観光リフトは夏山シーズンの呼称で、冬、石鎚スキー場がオープン中は「第1リフト」になります。
石鎚スキー場は、昭和53年(1978)にピクニック園地にゲレンデを開設したのが始まりです。
昭和60年(1985)には、ゲレンデの拡充、リフトの設置が行われました。
観光リフトの運賃は往復500円ですが、冬はレストハウスのある中間駅までなら無料だそうです。

リフトが見える場所にたどり着いたとき、リフトはまったく動いてませんでした。
「まさか、お休み? 点検整備中!?」と、ちょっと焦りました。
ホームに近付くと、ウィーンと動き始めました。
お客さんが少ないときは節電も兼ねて停めてるようです。
北海道のスキー場でリフトのバイトをしてたとき、リフトを止めたり、動かしたりはボタンひとつでした。
(反対側の駅舎のスタッフにベルとかで知らせてから再起動って手順ですが)
運賃はホームで支払います。
往きの乗車券は無し。
往復を買った時だけ、帰りの乗車券をもらいます。
搬器は一人乗りのシングルリフト。
シングルリフトはスキーやボードをしていた頃、何度も乗っていますが、全然、慣れません。
ペアリフトに比べ、安全バーもないし、座面が狭く、搬器自体が軽いので揺れやすいです。
高所恐怖症な僕にはあの不安定な感じが苦手です。
縦のポールに回した腕に力が入ってしまいます。
夏山では下りでも乗ることができます。
下りは、高度感がより増すので、ジェットコースター並みにドキドキします (^^;)
あと、シングルリフトは、降りる時に減速しないのも、ぷちドキドキ。
クワッドやトリプルは乗降エリアでは搬器が自動的に減速します。
でも、シングルやペアは、減速しないので、タイミング良く乗り降りしないといけません。
ボードやスキーを履いていたら、勢いのまま、前へ滑っていけばOKだけど、夏山リフトは、降り方にもコツがいります。
少し外側に斜めに降りて、走らなくていいけど、搬器からすぐ離れます。
簡単なんだけど、つまづいたらどうしようとか、ちょっと考えて、ぷちドキドキするわけです。
まぁ、不安な時は、スタッフに「減速して」って声掛けしたら、さくっと減速してくれます。
以前、70歳過ぎの叔父とこのリフトに乗った時、降り場では減速してもらいました。
夏山じゃ、お年寄りもよく利用するので、スタッフもお客さんをよく見てて、加減速操作してるようでした。

リフトを降りて成就へ向かう道は、一旦下り、登り返します。
ちなみに、成就から先の登山道も、八丁坂を下った後に山頂まで登ります。
リフトからの道は、成就から先の登山道のミニチュアのようです。
ここでハァハァ肩で息してるようじゃ、先が思いやられます。
鳥居の分岐は、以前来たとき、左の近道を使ったので、中央の道を選びました。
アンテナ施設のあるピークに向かって登ります。
登ったからって見晴らしがいいわけじゃなく、すぐに下ってしまうので、結果、遠回りでした。
分岐に立つ地図看板を見ると、中央の道が一番短いので近道のような気がしちゃいます。
けど、左の道の方にちゃんと「近道」って書いてあります。
先を急ぎたい人は、素直に左折しましょう。

到着した成就社境内は人影もまばらでした。
前来たときはお山開き大祭の真っ最中で、境内や旅館の店先は白い姿の信者さんでにぎわっていました。
あのときは白石旅館の食堂でカレーを食べたけど、宿泊客がひっきりなしに出入りするので、ゆっくりできなかったなぁ。
でも、まるでシーズンオフな境内は、白い姿の信者さん(もしくはお遍路さん)がたった一人、登山者らしい人も一人。
どこからか漏れ聞こえてくるテレビの音の方がうるさいくらいでした。

境内の写真を急いで撮り、本殿と遙拝殿にお参りし、安全登山をお願いしました。

神社の建物は写真からも分かる通り、決して古くない建物です。
成就社は何度も火災に遭っていて、近年だけでも、明治21年(1888)4月と、昭和55年(1980)11月の二度、全焼しています。
その度、再建され、いまの建物は昭和57年(1982)6月に再建されたものです。
昭和55年11月に発生した火災は、午前零時30分頃、宮川旅館(現在は玉川旅館)から出火しました。
当時、15mの強風が吹くほどの強風注意報が出ていたそう。
火は宮川旅館を焼き尽くしました。
そして、軒を連ねるように密集していた玉屋旅館、石川健康堂、常住屋白石旅館、日之出屋旅館も次次と引火。
さらに、神社の組合事務所、社務所、拝殿、本殿、見返遥拝殿へと延焼。
鎮火したのは、焼き尽くすものがなくなってからでした。
成就社の建物はみな、実は昭和45年頃から50年頃にかけて改築営繕工事が行われたばかりでした。
それがすっかり、灰燼と化してしまいました。
でも、そこからが、さすが石鎚山って感じでした。
なんと火災の翌日には「成就社復興再建委員会」が発足し、「成就社復興奉賛会」も結成されました。
あっという間に、事業費5億8千万円にも及ぶ復興計画が始動しました。
当初、3ヶ年計画でしたが、なんと、火災発生からたった1年7カ月で見事、復興を果たしたのでした。
天狗様も驚くスピード復興でした。

境内で一際目立つ白石旅館は、明治1年(1868)に開設された古い旅館です。
石鎚山系をお山歩していると、同じ“白石”を冠した旅館や山小屋を見聞きしたことがあると思います。
それらは、“石鎚山系山小屋開拓の父”と呼ばれる白石早一さんが建てたものです。
代々、成就社を守ってきた“お社守り”の家に育った早一さん。
石鎚山系の登山道の修繕を行ったり、山小屋を整備されたり、人一倍、石鎚の山山を愛し、石鎚に訪れる人々を守り続けた人です。
瓶ヶ森の白石小屋は昭和16年(1941)、早一さんが建てたものです。
堂ヶ森にあった白石小屋は昭和29年(1954)に建設されました。
土小屋の白石ロッジは早一さんが建てたものではありませんが、昭和45年(1970)に名義変更され、現在に至ります。
白石小屋のおかげで命拾いした人は数知れず、遭難防止に大いに貢献したことは云うまでもありません。

成就や土小屋の宿に泊まって、ゆっくりゆったり、石鎚山を楽しみたいものです。

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