石鎚山へ行こう!
表参道から
お山について登ってみよう!メールホームへ土小屋から、夏土小屋から、霧氷面河から
黒瀬峠~西之川・石鎚登山ロープウェイ山麓下谷駅
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所

石鎚山表参道へは小松と西条からアクセスできますが、
(国道194号線→県道12号線)
今回は松山に近い小松から、
県道142号石鎚伊予小松停車場線を上って黒瀬峠へ出ました。
黒瀬峠の切り通しを抜けると-

  

県道12号西条久万線に合流します。
丁字路突き当たり、写真正面の木立の向こう側は、
黒瀬ダムのダム湖「黒瀬湖」です。
石鎚登山口方面は右です。
左折すると国道194号線に合流、
西条の加茂川橋、国道11号線に至ります。

丁字路左の角には上り坂の参道があります。
坂の奥にはお寺と神社が集まっています。

「黒瀬・森岡神社、上ノ原・川内八幡神社、
黒瀬・光昌寺、黒瀬・飛騨神社」があります。

この丁字路にもバス停があります。
「黒瀬峠」、石鎚登山口行きの
せとうちバスが止まります。

  

「黒瀬ダム附近観光案内図」

丁字路を右折してすぐ、
左にダム湖の黒瀬湖がちらっと望めます。
石鎚山は山の陰に隠れ、ここからは見えません。
ここから見えるのは、二ノ岳や高森です。
カーブの山側にお地蔵様が祀ってありました。

「長谷地蔵尊」。
小松からの県道142号線が松山自動車道の高架をくぐる辺り、
長谷地区にあったお地蔵様をこちらに遷座してきたそうです。 



  

長谷地蔵を過ぎてすぐ、右に分かれ上る坂道があります。
上り口に「横峰登山口」バス停がある坂道は、
四国八十八ヶ所の60番札所「横峰寺」の入口です。
有料の平野林道が横峰寺の駐車場まで続いています。



風のない静かな朝でしたから、
黒瀬湖の水面は鏡のように清んでいました。

  

湖面に映る、沓掛山、黒森山、櫛ヶ峰、鎌加山。



  

写真の左カーブに大きな解説看板が立っていました。
手前の右カーブの法面に「黒瀬断層」と呼ばれる、
中央構造線の路頭があります。
でも、訪問時はすでに草まみれで、
地表すらよく見えませんでした。



柳瀬橋を過ぎ、柳谷の辺りになると、
黒瀬湖は加茂川に戻ります。
けれど、流れはまだ穏やかで-

エメラルドグリーン色した水は、
透明度抜群、心奪われるほどきれいでした。 



県道もこの辺りまでは2車線を維持しています。



県道沿いに立つ「極楽寺」。

  

駐車場にある「石鎚山真言宗総本山 極楽寺 境内案内図」

県道沿いの建物は、極楽寺の別院。
本堂(本坊)はずっと上にあり、車道もありますが、
別院横の石段で登ることもできます。

石段は330段もあります。
見上げただけでため息が出そうなほど。

極楽寺は四国曼荼羅霊場の32番です。

山中にあるお寺ですが、堂宇がたくさんあります。 

別院に向かって左にある蔵王堂。



極楽寺から700mほど進むと対岸に、
「石鎚ふれあいの里」が見えてきました。
バーベキューや飯盒炊飯が楽しめるキャンプ場や、
宿泊可能のケビン、宿泊棟などがあり、
草木染めやバームクーヘン作りなど体験教室も人気。



石鎚ふれあいの里へは、赤い千野々橋を渡って行きます。
また、橋を渡ると大保木の集落で、郵便局や診療所があります。



加茂川に沿って進むにつれ、
道幅も1.5車線、狭くなってきます。
谷自体も両側から迫って狭くなり、
急傾斜地に差し掛かると-



岩盤を貫いた隧道を通過します。

補強された隧道をまたひとつ。

固い岩盤をくりぬいて道路を通したため、
半円形の屋根みたく岩盤が道路に覆い被さっています。
トンネル“未満”な場所も2ヶ所ありました。



道も川も三つ叉に分かれる河口へ。
三碧橋の手前左側に(写真は白飛び黒つぶれしちゃってますが)、
旧道当時の隧道が残っています。
手前の隧道と共に大正12年(1923)から13年にかけて完成した、
とっても古いものです。

隧道は手前にひとつ-

奥にもう一つあって-

旧道はその先にある河口橋を渡っていましたが、
現在は南側が崩落、橋の上は木が大きく育っています。

ちなみに、愛媛県で4番目に古いアーチ橋です。
鉄筋コンクリート構造上路式アーチ橋、
大正14年(1925)完成です。

昭和42年に架けられた三碧橋を渡って河口へ。
橋の下は、加茂川支流の2本の清流が出合い、
四季折々の渓谷美が見事な「三碧峡」です。

  

県道もここで二つに分かれます。
左が石鎚登山口へ向かう県道12号線で、
オレンジ色に塗装された関門旅館がある右に向かうのは、
県道142号石鎚伊予小松停車場線。
(黒瀬峠~河口間は、県道12号線と県道142号線の重複区間です)

関門旅館の脇に立つ「三碧峡」の石柱。
「西条市名水・名木50選」とあります。
昭和30年頃、石鎚を訪れた鉄道省の井上万寿蔵が命名しました。
「渓谷を彩る緑色片岩」「流れる水の青」「茂る木々の緑」の
三つの“碧(みどり・あお)”がその名の由来です。

高瀑へ向かう県道142号線の入口にいるわんわ。

とても人なつこくて、道路で寝そべってたりします。

  

石鎚登山観光案内図。

橋を渡った正面には、石鎚表参道の古い参道のひとつ、
今宮道の登山口があります。
登山道を進むと、いまは廃村となった今宮集落跡があります。
多くの参拝者でにぎわった大正8年(1919)頃、
人口178人、全戸数36戸、
うち11軒が参拝者を泊める季節宿を営んでいて、
お山開きの10日間に1万2470人も宿泊したそうです。



河口から先も基本、狭い山道が続きます。
たまに路線バスも通るので、ブラインドカーブは要注意。

随時、拡幅工事が行われていますが、
工事による通行規制で足止めを食らうことも多くなっています。
工事が始まる前、朝の9時までには通過するようにしましょう。
(土・日・祝日は工事は行われませんが、朝遅い到着は、
下山時に最終のロープウェイに乗り遅れる恐れがあります)



狭い山道が急に明るく開け、旅館が立ち並ぶ西之川地区に到着。
まず手前にあるのが旅館の泉屋さん。



  

右に石鎚登山ロープウェイへの登り口、
左の大屋根が目を引くのは京屋旅館さん。
今回は京屋さんの駐車場にスクーターを駐めました(有料300円)。
大屋根を潜るとお土産屋さんと食堂があって、
そこで駐車料金を払い、奥にある駐車場へ。
夏休みやお山開き中、駐車場が混むときは、
橋を渡った向こう岸にある広場が駐車場に変わります。
京屋旅館のお風呂は温泉で、日帰り入浴も可能です。
(含二酸化炭素-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉)



駐車場に一際大きな木「下谷のけやき」があります。
高さ30m、目通り5.1m、樹齢は300年だそうです。

平日だったので、駐車場に車やバイクが数台っきり。
20分おきに出るロープウェイの出発時間が迫っていたので、
急いでお山歩装備を調え-

県道沿いのロープウェイ入口階段を
とととんっと登ります。

ロープウェイ入口の少し先から上ってくる坂道のカーブに出ます。

成就にある石鎚神社成就社の案内があります。



両脇にお土産屋や宗教施設が並んでいますが、
平日は全部、閉まってました。

石鎚神社の三体の御神像や役行者、弘法大師など、
石鎚山に関係する銅像が立ち並んでます。
ちなみに、坂道にあるいくつかの宗教施設は、
石鎚山をご神体とする石鎚神社とは無関係なものがあります。
石鎚山に関わる宗教団体は主なものだけでも6宗派存在します。
故に、一時期、石鎚神社が管理する登山道に、
石鎚神社と無関係な宗教団体が祠と賽銭箱を設置し、
石鎚神社側が「当社とは無関係…」と看板を掲げていたこともありました。



ジグザグカーブを登り切ると、
石鎚登山ロープウェイ山麓下谷駅の駅舎です。

駅舎の下側にある歌碑。

乗り場までもう少し坂道。
右に新しい公衆トイレがあり、左が乗り場入口。
入口の壁に安全登山の約束事「登山六省」があります。

西条警察署の代表電話番号の市外局番は(0897)。
携帯電話からは市外局番が必要なのでお忘れなく。

登山六省

1.健康

自分の健康状態を確かめましょう。
おとしより、子供さんは特に注意しましょう。

2.計画

無理なスケジュールは事故のもとです。
余裕のある計画を立てましょう。

3.リーダー

ひとりの登山は危険です。
良いリーダーのもとに登山をしましょう。

4.装備

軽装は事故のもとです。
登山装備は十分にしましょう。

5.天候

山の天候は急変します。
気象情報に注意しましょう。

6.記帳

万一に備え、下谷駅成就社白石旅館に置いてある登山者名簿に必ず記帳しましょう。

西条警察署 TEL. 56-0110

ロープウェイ乗り場の入口です。

待合室にはお土産物も並び、正面にキップ売り場、右に改札。

運賃は、大人:往復券 2000円 片道券 1050円、
小人:往復券 1000円 片道券 520円(2022年現在)。

始発の時刻は、大体、平日は8時台、土日祝日は7時台で、
元日やお山開き中だけ、4時の暗いうちから動き始めます。
最終も大体、平日は17時、土日祝日は18時です。
(季節により変動しますので、
石鎚登山ロープウェイ・オフィシャルサイトでご確認ください。)
 → 石鎚登山ロープウェイ

山頂を日帰り往復する場合、
遅くても9時台ので入山しないと、
最終に間に合わない恐れがあります。
ロープウェイで高度は幾分稼げますが、
成就から先も距離があるので、
常に早めの入山を心がけましょう。

改札を通り、階段を登ります。
観光客風なお年寄りの後を登っていくと-

ホームには、最大51人が乗れる搬器が左側で待ってました。
登山だろう乗客は僕をいれて4人だけでした。

(これは下山時に撮ったものです)
山麓下谷駅は標高455mに位置します。 

石鎚登山ロープウェイの基本情報です。
運転方式:三線交走式
ゴンドラ:51人乗 2輛
所要時間:7分30秒
距離(斜長):1,814m95cm
最急勾配:36度48分
速度:秒速5m(時速18km)
高低差:850m
開通日:1968年8月1日



ロープウェイ発車。
新緑の上を急角度で上昇中。
左側にオレンジ色のカゴが下がる、
野猿のようなリフトが通っています。

成就の旅館などに物資を運ぶためのリフトで、
終点はロープウェイの山頂駅よりもずっと奥の、
成就の境内に直接繋がっています。

県道沿いでも見かけたフジの花もちらほら。

下りの搬器とすれ違い。
さすがに下りは空っぽでした。

  

山麓を見下ろして。
正面の二ノ岳の右(南)側の谷底-

東之川地区への道路で発生した大規模な崖崩れが、
ロープウェイからもハッキリ見えました。

  

高度が増すにつれ、
瓶ヶ森の広大なササ原・氷見二千石原も見えてきました。
やがて、瓶ヶ森の北稜線から顔を出す笹ヶ峰や沓掛山、黒森山。
西条市街や海も見えてきたら-

乗車時間の7分半はあっという間。
振り返れば、終点はもう目の前です。

ひとりごと

石鎚山にはもう何度も登っています。
いずれも久万側、土小屋か面河から。
これまでたった一度も表参道から登ったことがありませんでした。
成就社までは高齢の叔父のお守りで参詣したり、一度だけ、神門から八丁坂を少し下ったことはありました。
そのときは、午後2時発のロープウェイでの入山だったので、雰囲気だけ味わって引き返しました。
毎年、5月の連休前頃から「今年こそは行くぞ!」って思うんですが。
天気も体調もいい日に限って急な仕事が入ったりするんですよね。
また、できれば午後まで晴れてるような日に行きたいもの。
そのせいで、天気予報の曇りマークに惑わされてあきらめたこともしばしばでした。
距離的にも、スクーター移動の僕には朝イチのロープウェイに間に合わせるのは大変です。
そんなこんなで、格好の登山日和を何度も逃し、ずっと行けず仕舞いだったのでした。
あと、駐車場代に、ロープウェイとリフトの運賃、いろいろお金がかかるのもネックだったりしたけど (^^;)
そうやって何度も見送り続けてると、不思議と、心の距離って云うか、自分の中で石鎚がどんどん遠い存在になってくんですよね。
まぁ、勝手に億劫になってるのは僕なんだけど。
そんな風に、なんだかんだと理由を付けて、物事をあきらめるのは大人の悪い癖。
フットワークが軽くない大人にはなりたくないってずっと思ってきたのに、もうなってるじゃないか、ったく…。
ああ、ダメじゃ、ダメじゃ (>_<)
さすがにこれはいい加減思い切らないとダメだなぁ、いまを逃すと今年もまたダメになる…。
そのとき、たまたま、西条で仕事をしていました。
五月晴れの空に向かってそびえ立つ石鎚山を見ていたら、(当たり前だけど)もの凄く近くに感じました。
こんなに近いのに、いろんな理由を付けて億劫になってる自分が可笑しく思えてきました。
心の距離=かせが取れて、ちょっと軽くなった感じがしました。
ちょうどいい具合に連休がとれたので、帰宅後すぐに石鎚行きの支度をしました。
肉体労働な仕事続きで体調万全ではありませんでした。
体調をまた言い訳にしたくなかったので、疲れてる分、早く寝ればいいさと、さっさと寝ました。

朝は早く目が覚めたけど、やっぱり、西条(小松)は遠い…。
朝イチのロープウェイはとっととあきらめて、9時か9時20分のには乗るぞ!っと、国道11号線を東へ走りました。

黒瀬峠に出ると空気が違うというか、ひんやり乾いた空気が心地良かったです。
風もなく静まりかえった黒瀬湖の湖面はまるで鏡のように山山が逆さに映ってました。
上流へ向かうと、浅くなった湖水は透明なエメラルドグリーンに変化。
石鎚源流はいつ来ても、水の美しさに目を奪われてしまいます。
(松山市はこのきれいな水を欲しがってるんだなぁ…)

石鎚山系の急峻な山谷を源流とする川は、ひとたび、大雨に見舞われるとすぐに激流が押し寄せます。
途中で通過した「石鎚ふれあいの里」では過去に、河原で遊んでいた子供たちが突然の増水に流され、命を落とす悲しい事故が起きました。
当時、「石鎚ふれあいの里」周辺は雨が降っていませんでした。
(降っていれば、川遊びなんてやめていたことでしょう。)
上流部のどこかで激しい通り雨が降ったらしく、急峻な地形に降った雨の多くがそのまま川に流れ込み、増水に繋がったようでした。
お山ではちょっとした通り雨が急な増水を招くことがあります。
テントを張って露営するときなど、川や沢のそば、谷底は避けてテントを張るようにしなければなりません。

大保木を過ぎ、対岸へ渡った県道はまもなく、1.5車線の山道っぽくなり、岩盤を貫いた隧道に差し掛かります。
隧道は大正12年(1923)から13年にかけて完成し、河口まで県道が通じたのは大正15年(1926)のことでした。
その先、西之川まで通じたのは昭和2年(1927)です。
それまで車が通れるような道ではありませんでした。
昭和4年(1929)に小松と河口との間に6人乗り小型バスが走り始め、西条~河口間のバスは昭和6年(1931)に開通しました。
けれど、しばらくは徒歩で石鎚山にお参りする人がほとんどで、バス利用が盛んになったのはもっぱら戦後の話です。
徒歩で松山からだと(面河を除く)、湯谷口から楠窪へ。
天下峠を越えて虎杖橋に出て黒川道か、小松の大頭から横峰寺へ登り、虎杖橋に出たり、小松からやはり横峰寺越えをしたり。
今回のように黒瀬峠を抜けてくるルートが一般的でした。
河口までバスが開通すると横峰寺越えをする人はいなくなりました。
河口からは、今宮道と黒川道、いまの県道に沿うように西之川まで行って御塔谷を登る3つの参道がありました。
河口までバスで来て今宮道を登る人が一番多かったようです。
今宮道、黒川道沿いの集落では、夏、季節宿を営んでいた家が多かったそうです。
昭和24年ごろの宿賃は、一人3食(1食は弁当)付きで120円だったそうです。
昭和26年(1951)に西条から西之川までのバスが開通。
さらに昭和43年(1968)に石鎚登山ロープウェイが完成。
すると、登山者、参拝者の流れは一変し、今宮道、黒川道は衰退、集落も廃村へと向かいました。
現在、黒川道は台風被害で登山道が崩落した場所もあり、通行に注意を要します。
今宮道は「石鎚山三十六王子社」が点在することもあって手入れされた部分も多く、成就まで行くことができます。

河口を過ぎて少しの間、2車線に拡幅された区間もあります。
、奥へ行くほど1.5車線の、開通当時とさほど変わらない道幅やカーブが連続します。
ロープウェイに乗り遅れないよう急いでたので、森林浴なんかしてるヒマはありませんでした。

西之川に着くと、京屋旅館の駐車場へ直行し、300円払って駐車。
急いで支度してロープウェイ乗り場への坂道を駆け登りました。

数年ぶりに訪れたロープウェイの山麓下谷駅は、坂の途中に新しい公衆トイレができてました。
でもほかは昔のままで、大人往復1900円の運賃も同じでした。
なんとか9時20分発のに間に合いました。
お客は僕のほかはお年寄りで、成就か奥前神寺に参拝するために来ているようでした。
ロープウェイは定刻通りに出発。
途中ですれ違った下りには誰も乗っていませんでした。

ロープウェイに沿うように渡されている荷物運搬用のリフト(索道)は、昭和39年1月16日に完成しました。
リフトができるまでは、強力と呼ばれる人たちがすべての荷物を背負い、成就まで運び上げていました。
強力が不足し、荷物の運搬に支障が出るようになったため、リフトを建設するに至ったようです。

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