土小屋から 2014
二の鎖元~弥山山頂 | ||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪ | ||||||||||||||||
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①二の鎖元の上段は二手に分かれ、左は鎖場、右は迂回路です。
今回も鎖はパスしました。
「↑ 石鎚山頂(二の鎖経由) 石鎚山頂 0.5km →
土小屋 4.1km 成就 3.1km ↓」
②迂回路は丈夫な鉄の道。
基本は左側通行ですが、谷側には柵がないので、
登ってくる人がいなければ、山側を下ってもいいよ。
平らな通路が透け透けなのは、少しでも冬の積雪を少なくするため。
谷側に手すりがないのも雪が積もりにくくするためらしいです。
でも、僕は設計ミスだと思ってますけどね。
③階段。
登り切ったとこの木の床は濡れるとつるつる、ぬるぬる。
靴底が滑りやすいソールな靴は、ちょっと気をつけましょう。
また、階段。
山頂までとにかく、階段を登って高度を稼ぎます。
④下界はすっかり、雲海に覆われてしまいました。
抜きつ抜かれつ。
みなさん、階段にやられて、言葉少な。
⑤二の鎖道との合流地点。
鎖も人だらけだったようです。
「← 土小屋 4.2km 成就 3.2km 石鎚山頂 0.4km →」
土小屋・成就(二の鎖経由)↓」
⑥右にくぃっと曲がる場所はテラスのようになっていて-
石鎚山頂や、三の鎖を見上げることができます。
写真右の緑に覆われたピークが弥山で、
最高地点の天狗岳は左の岩峰。
真ん中が天狗岳。
三の鎖も渋滞なくらいの人だかり。
⑦面河道との合流地点。
「↑ 石鎚山頂 0.3km 面河渓 12.0km →
土小屋 4.3km 成就 3.3km ↓」
面河道は谷側へ一旦下り、踏み跡をたどって斜面をトラバース。
西ノ冠岳や三角点峰、二ノ森方面もこちらから。
⑧三の鎖下、相変わらず、臭い場所でした。
二の鎖元のトイレが完成したら、この垂れ流しトイレは撤去。
三の鎖下小屋は外観は完成してる風でした。
鎖場は小屋の奥にあります。
こちらにもバイオトイレが設置されてます。
元元、一般に開放はされてないけど。
登れ! 登るのだ! 山頂は近いぞ!
面河道が通る面河乗越しも見えてきましたが、
それより、みるみる湧いてくる雲に焦るのでした。
⑨谷側、怖いよ~。
怖いよパート2。
手すりがないのは設計ミスとしか思えない。
小さな花が一瞬、怖さを和らげてくれました。
花弁が毛羽立ってるようなシラヒゲソウ。
⑩おお! この階段を登り詰めれば-
弥山山頂への最後のターン、その左折場所は-
どどどど~~~んっと大パノラマ拡がる場所なのでした!
やっほ~~~!
頂上山荘を仰ぎ見ながら登る最後の階段。
ちなみに、左には山荘のトイレに風力発電施設。
太陽光発電パネルも設置してあります。
大パノラマを視界にとどめながら、
えんやこらさっさと登り詰めると-
⑪弥山山頂に到着ですっ!
石鎚神社頂上社(右)と神札授与所(左)、
基礎の石垣内は冬季避難小屋。
標高的には石鎚山頂ではないけど、山頂標な看板があります。
山岳信仰的には、頂上社があるここが山頂です。
神札授与所にはお山が開いてる間、神官が常駐されてます。
お守りやお札も買えるし、祈祷も受けられます。
頂上社は、御神体が写るような正面からの撮影は御法度。
2礼2拍手1礼、登山の無事を祈念し、合掌。
西条市合併10周年記念で作成した木の登頂証をもらえました。
と云うか、これをもらいに登ったのが本音でした。
頂上社の裏にある、下からも見えた鳥居。
お山自体が御神体である石鎚山の頂を祀る祠。
鳥居のある岩塊には鎖がぐるぐる巻きしてあります。
まるで、なにかを封印しているかのように…。
あ、こっち側、登っちゃだめですよ。
宿泊もできる山小屋、頂上山荘を訪ねます。
秋の山頂は風も冷たいので、あめ湯の文字に心躍ります。
入って、まず目に入る廊下、晩秋はストーブが暖かい。
食堂は宿泊者以外も利用できます。
石鎚チキンカレー、おでんセットも気になるぅ。
まぁ、それにしても、山頂は人だらけでした。
腰を下ろしてお昼を食べる場所を見つけるのも一苦労。
お弁当を食べる場所を探しつつ、パノラマ撮影。
雲が湧いているのは海側で、
四国山地内部は秋空らしく空が高くて、
目を通して心まで洗い清められるような清々しい景色が拡がっていました。
二ノ森方面。
表参道、土小屋ルートは多くの登山者が行き交っていましたが、
面河道や二ノ森縦走路に人影はまったく見られませんでした。
西ノ冠岳越し、雲のブラインドの彼方に見えるのは-
松山平野、伊予灘方面。
松山市内から伊予市・松前町の田園地帯、
海上には周防大島などの島影に、よくよく目をこらせば、
対岸の山口・広島、中国地方の瀬戸内沿岸部まで見通せました。
視点を転じ、面河山の中腹にある愛大小屋のテントサイト。
面河道は日帰りだとホント忙しいし、しんどいから、
テント張って泊まりがけで石鎚山系をゆっくり楽しむの、いいなぁ。
ひとりごと | ||
二の鎖元から先が、土小屋ルートのメインイベント。 ちなみに、石鎚山の鎖は四つ。 鎖がいつの頃からあったのかは分かりません。 この巻き道ができたのは昭和18年(1943)、太平洋戦争のまっただ中のことです。 前章で触れたトイレの建て替えに伴い、三の鎖元の小屋も新しく建て替えられました。 さて、鉄橋のような迂回路ですが、“巻き道”が文字通りふさわしい崖っぷちを巻くように取り付けられています。 二の鎖元から約30分。 山頂もごった返しです。 |
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