石鎚山へ行こう!
土小屋から 2014
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二の鎖元~弥山山頂
距離 約500m
標高差 約180m
徒歩
下記写真の場所

二の鎖元の上段は二手に分かれ、左は鎖場、右は迂回路です。
今回も鎖はパスしました。

「↑ 石鎚山頂(二の鎖経由) 石鎚山頂 0.5km →
 土小屋 4.1km 成就 3.1km ↓」



迂回路は丈夫な鉄の道。
基本は左側通行ですが、谷側には柵がないので、
登ってくる人がいなければ、山側を下ってもいいよ。

平らな通路が透け透けなのは、少しでも冬の積雪を少なくするため。
谷側に手すりがないのも雪が積もりにくくするためらしいです。
でも、僕は設計ミスだと思ってますけどね。



階段。

登り切ったとこの木の床は濡れるとつるつる、ぬるぬる。
靴底が滑りやすいソールな靴は、ちょっと気をつけましょう。

また、階段。
山頂までとにかく、階段を登って高度を稼ぎます。



下界はすっかり、雲海に覆われてしまいました。

抜きつ抜かれつ。

みなさん、階段にやられて、言葉少な。



二の鎖道との合流地点。
鎖も人だらけだったようです。

「← 土小屋 4.2km 成就 3.2km 石鎚山頂 0.4km →」
 土小屋・成就(二の鎖経由)↓」



右にくぃっと曲がる場所はテラスのようになっていて-

石鎚山頂や、三の鎖を見上げることができます。
写真右の緑に覆われたピークが弥山で、
最高地点の天狗岳は左の岩峰。

真ん中が天狗岳。

三の鎖も渋滞なくらいの人だかり。



面河道との合流地点。

「↑ 石鎚山頂 0.3km 面河渓 12.0km →
 土小屋 4.3km 成就 3.3km ↓」

面河道は谷側へ一旦下り、踏み跡をたどって斜面をトラバース。
西ノ冠岳や三角点峰、二ノ森方面もこちらから。



三の鎖下、相変わらず、臭い場所でした。
二の鎖元のトイレが完成したら、この垂れ流しトイレは撤去。

三の鎖下小屋は外観は完成してる風でした。
鎖場は小屋の奥にあります。

こちらにもバイオトイレが設置されてます。
元元、一般に開放はされてないけど。

登れ! 登るのだ! 山頂は近いぞ!

面河道が通る面河乗越しも見えてきましたが、
それより、みるみる湧いてくる雲に焦るのでした。



谷側、怖いよ~。

怖いよパート2。
手すりがないのは設計ミスとしか思えない。

小さな花が一瞬、怖さを和らげてくれました。

花弁が毛羽立ってるようなシラヒゲソウ。



おお! この階段を登り詰めれば-

弥山山頂への最後のターン、その左折場所は-

どどどど~~~んっと大パノラマ拡がる場所なのでした!
やっほ~~~!

頂上山荘を仰ぎ見ながら登る最後の階段。

ちなみに、左には山荘のトイレに風力発電施設。

太陽光発電パネルも設置してあります。

大パノラマを視界にとどめながら、
えんやこらさっさと登り詰めると-



弥山山頂に到着ですっ!

石鎚神社頂上社(右)と神札授与所(左)、
基礎の石垣内は冬季避難小屋。

標高的には石鎚山頂ではないけど、山頂標な看板があります。
山岳信仰的には、頂上社があるここが山頂です。

神札授与所にはお山が開いてる間、神官が常駐されてます。
お守りやお札も買えるし、祈祷も受けられます。

頂上社は、御神体が写るような正面からの撮影は御法度。
2礼2拍手1礼、登山の無事を祈念し、合掌。

西条市合併10周年記念で作成した木の登頂証をもらえました。
と云うか、これをもらいに登ったのが本音でした。

頂上社の裏にある、下からも見えた鳥居。

お山自体が御神体である石鎚山の頂を祀る祠。

鳥居のある岩塊には鎖がぐるぐる巻きしてあります。
まるで、なにかを封印しているかのように…。
あ、こっち側、登っちゃだめですよ。

宿泊もできる山小屋、頂上山荘を訪ねます。

秋の山頂は風も冷たいので、あめ湯の文字に心躍ります。

入って、まず目に入る廊下、晩秋はストーブが暖かい。

食堂は宿泊者以外も利用できます。

石鎚チキンカレー、おでんセットも気になるぅ。

まぁ、それにしても、山頂は人だらけでした。
腰を下ろしてお昼を食べる場所を見つけるのも一苦労。

お弁当を食べる場所を探しつつ、パノラマ撮影。
雲が湧いているのは海側で、
四国山地内部は秋空らしく空が高くて、
目を通して心まで洗い清められるような清々しい景色が拡がっていました。

二ノ森方面。
表参道、土小屋ルートは多くの登山者が行き交っていましたが、
面河道や二ノ森縦走路に人影はまったく見られませんでした。
西ノ冠岳越し、雲のブラインドの彼方に見えるのは-

松山平野、伊予灘方面。

松山市内から伊予市・松前町の田園地帯、
海上には周防大島などの島影に、よくよく目をこらせば、
対岸の山口・広島、中国地方の瀬戸内沿岸部まで見通せました。

視点を転じ、面河山の中腹にある愛大小屋のテントサイト。
面河道は日帰りだとホント忙しいし、しんどいから、
テント張って泊まりがけで石鎚山系をゆっくり楽しむの、いいなぁ。

ひとりごと

二の鎖元から先が、土小屋ルートのメインイベント。
二の鎖元まではハイキングコースみたいなもので、二の鎖元からが本格的な登山といってもいいほど、手強いです。
よく石鎚登山で紹介される鎖場も登場。
でも、僕は今回も鎖はパスしました。
高いところ、苦手だし、人多いときの鎖場はマイペースにってわけにはいかないから。

ちなみに、石鎚山の鎖は四つ。
表参道の方に、試しの鎖(74m)と一の鎖(33m)。
土小屋ルートと合流してから、65mの二の鎖と、68mの三の鎖があります。
この鎖場がテレビなどで紹介され、山岳信仰、修験のお山と殊さら強調される元になっています。
石鎚の鎖はいわゆるチェーンのようなものではありません。
“○─○”、二つの輪を棒で繋いだような形、知恵の輪なんかでよくみる形の鉄輪が繋がってできています。
つなぎ目には△や○の、足や手がかりになる輪がところどころに設けてあります。
足場が限られる垂直に近い岩壁を登るので、つま先を入れられる輪はホント、助かります。

鎖がいつの頃からあったのかは分かりません。
安永8年(1779)、 石鎚山弥山の鉄鎖が切れたと云う記述が、石鎚山と関わり深い前神寺の文書に残っています。
鎖は市井の人たちが奉納したものです。
記録としては、天保14年(1843)、当時の大洲領、五本松村の庄屋・源左衛門が鎖を寄進した話があったりします。
明治10年(1877)にも、二の鎖が切れたことがありました。
3年後、伊予市上三谷の水口重太郎のほか、多数の信者が広島から鎖を購入。
郡中から担いで歩き、4日目に無事、掛けることができたそうです。
鎖は崖の部分だけじゃなく、固定するために上部の岩や木に巻き付ける部分も必要なので、全長7、80mは必要でしょう。
その重量たるや、想像を絶するものがありますが、それをどうやって引き揚げ、固定させたのでしょうね。
お山開きの時に、ご神像を背負った人を大勢が綱で引き揚げる映像がよくニュースで流れます。
あんな風に無数の信者が岩壁に取りつき、鎖を一寸一寸引き揚げたんでしょうね。
これぞ、信心の強さってやつでしょうか。
神仏への帰依の低い昨今、もう人力で鎖を掛け直すようなことはできないかも。
クレーンとか、重機頼みになるんでしょう。
人々の思いが繋がった鎖を登ることは、それだけで充分、御利益がありそうな気がします。
でも、先も云った通り、僕は怖いのでパスです。
保護者付で小学生とかも、どんどん登っちゃう鎖だけどね、僕はパスったらパス。
安全な巻き道を行きます。

この巻き道ができたのは昭和18年(1943)、太平洋戦争のまっただ中のことです。
同じ年、山頂に気象観測所の建設が始まったので、建設物資の運搬、完成後の職員の移動など、安全な道が求められたのでしょう。
以来、登山にも頂上社の参拝にも利用され、年々、安全な改良が行われました。
一方で、場所が場所ですから、老朽化も激しいです。
石鎚山開山1300年、石鎚神社列格130年、石鎚本教創立50周年記念事業の中核として、石鎚神社が石鎚神社頂上社復興事業に着手。
現在の鉄骨の迂回路に掛け替えられました。

前章で触れたトイレの建て替えに伴い、三の鎖元の小屋も新しく建て替えられました。
前回、表参道から登ったときは、まだ基礎ができたくらいの状態でした。
今回はもう、岩壁に張り付くように立つ小屋の姿が完成していました。
新しい小屋の中にも環境に優しいタイプのトイレが作られています。

さて、鉄橋のような迂回路ですが、“巻き道”が文字通りふさわしい崖っぷちを巻くように取り付けられています。
登山者の群れが乗っても落ちない丈夫な造りですが、限界は何人くらいなんでしょうね。
連休で大勢が行き交ってた迂回路…。
冷静になって考えると、かなり怖いんですけど (-_-;)
積雪時の排雪を考えて手すりを設けなかった崖側は主に下山者が通行します。
滑転落する可能性がある外側に手すりがないのはやっぱり、怖い。
しつこいようだけど、崖側に手すりがないのは設計ミスだと思う。
排雪より、安全が優先されるべきだと思うから。
横棒をロープや鎖にして取り外せるようにしておけば雪溜まりも少なく済むだろうし。
登山に不慣れな観光客も来る石鎚山。
転滑落事故の多くが、この一帯で発生していることを考えれば、危険防止策(柵)を講じることは大切だと思うが…。

二の鎖元から約30分。
弥山にようやく到着です。

山頂もごった返しです。
お昼時ってこともあって、すでに休憩する人たちでいっぱい。
後から来た人たちは、荷物の置き場所にも困る状態でした。
でもま、休憩より先に山頂社にお参りです。
すると、社の前に、今回、石鎚登山の大目的だった「登頂証」が置いてありました。
西条市合併10周年記念で作成した木の登頂証で、石鎚山をかたどり、西条産の間伐材(ヒノキ)でできています。
配布期間は、7月20日から8月31日まで。
計6500個を配布する予定でした。
6500個じゃ、夏休みが終わる前に無くなっちゃうんじゃないかと思ってたけど、僕が訪ねた9月14日もまだ大丈夫でした。
でも、発行終了は19日だったそう、ぎりぎりセーフでした。
たまたま隣り合った人、何人かと山頂で話をしたんですが、香川から来た人とか、登頂証のこと、知らない人もいました。
お社の前に置いてなかったら山小屋のレジでもらえるよって教えてあげたら、早速、貰いに行った人もいて、とても感謝されました。

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