鷲ヶ頭山・安神山は、大三島にある大山祇の神宿るお山です。
芸予海峡の要衝に位置する大三島は約88.8kmの海岸線を持つ、愛媛県内最大、瀬戸内海でも4番目に大きな島です。
島の中心を占める山岳が鷲ヶ頭山・安神山です。
花崗岩質の岩峰で、兜岩、唐獅子岩、烏帽子岩など奇岩が点在する岩稜が特異な山岳地形です。
神の名を持つ安神山は、大山祇神社の後背にあり、3つある神体山のひとつです。
麓で赤土を採取する赤土拝戴神事も行われるなど、大山祇神社との結びつきがいまでも強いお山です。
竜王大権現を祀る龍神祠がある山頂は戦前、雨乞い祈祷の場所ともなっていました。
また石鎚大神の碑もあり、石鎚山を真似たような鎖場も存在します。
麓の安神山わくわくパークから始まる鷲ケ頭山自然研究路がメインの登山道です。
峻険な断崖を登るコースですが、子供でも登れる見晴らしのいい遊歩道です。
瀬戸内海の多島美を展望しつつ、巨岩奇岩の岩稜を伝い、鷲ヶ頭山へと至ります。
自然研究路は山頂に至る遊歩道のほか、山裾を水平に巡り入日の滝に通じるコースもあります。
鷲ヶ頭山は、島内最高峰です。
山上から瀬戸内海国立公園内の島々や、石鎚山系の山並みも望むことが出来ます。
お山自体が大山祇神社の御神体で、古くは神野山と呼ばれていました。
しばらくは禁足地とされ、何人も入山することができませんでした。
けれど、鷲ヶ頭山を舞台にしたお祭りや神事はまったくありません。
神野山がなぜ、鷲ヶ頭山と呼ばれるようになったのかは不明です。
鷲ヶ頭山の由来は諸説あり、神社の縁起に登場する鷲や、インドの霊鷲山になぞらえたとする説があります。
昭和48年(1973)、登山道が整備され、山頂までクルマで上ることも可能になりました。
大三島は、平安時代から日本総鎮守と呼ばれた大山祇神社が鎮座。
いにしえより武人、漁民を問わず、崇敬を集め、神の鎮まる神聖な島「御島」と呼ばれました。
“御島”は大三島の名の由来とも云います。
長い間、殺生を忌み嫌って漁業が禁じられていたほどの神の島です。
日本神話に登場する山と海の両方を司る神様「大山積大神」。
その子孫、「乎千命(小千命)」が神武天皇の東征に先駆けて「伊予二名島」と呼ばれていた四国に渡りました。
そして、瀬戸内海の治安を司っていたとき、海上の要衝にあるこの島を神地と定め祀りました。
乎千命の子孫で、伊予の豪族・河野氏の初代と伝わる河野玉澄は、大宝元年(701)、現在地に社殿を大造営しました。
以来、大山祇神社は海の神、山の神、そして武の神として日本全国に広く信仰されて行きました。
中世には武将らからも厚い崇敬と保護を受けました。
源義経をはじめ、多くの武将が武運長久を祈り、満願の際には多数の武器・武具を奉納寄進しました。
現在、それらの奉納品は国宝や重要文化財に指定されています。
源頼朝や義経の鎧など国宝8点、国の重要文化財469点、県の重要文化財14点など、宝物館に所蔵、展示されています。
武具では全国の国宝、重要文化財の約8割を収蔵する美術工芸品の宝庫、大三島は「国宝の島」とも呼ばれています。
鷲ヶ頭山・安神山一帯は2005年5月28日、放火による山林火災が発生し、133ha余りの広大な山林が焼失しました。
尾根伝いの遊歩道を歩くと、数年経たいまでも黒焦げて立ち枯れた木や煤けた岩肌を目にします。
島では自然、人災、兵火を問わず、度々、火災に遭ってきました。
その昔、島全体はクスノキに覆われていました。
南北朝時代には戦火により三日三晩焼け続けた結果、大山祇神社境内のクスノキを残し、みな焼失してしまったそうです。
残ったのは、天然記念物で日本最古・樹齢3000年とも云われる能因法師雨乞い幣帛掛けのクスノキ。
そして、樹齢2600年の乎千命お手植えのクスノキです。
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