龍ヶ岡(りゅうがおか)
愛媛県久万高原町直瀬
標高767.4m
別名:直瀬富士・龍ノ岡・三宝山
▲山頂の三角点
点 名 上直瀬
種別等級 四等三角点
地形図 松山南部
緯 度 33°42′10″.6875
経 度 132°58′09″.9087
標 高 767.40m
所在地 愛媛県上浮穴郡久万町大字直瀬字皿笥乙978の1
城山(しろやま)
愛媛県久万高原町直瀬
標高729m
別名:三訪山
※三角点はありません。

龍ヶ岡城山は、久万高原町直瀬のふるさとのお山です。
直瀬盆地の東側に仲良く並び、面河ダム方面へ抜ける県道153号落合久万線が間を通っています。

龍ヶ岡は、南から眺めると八の字に裾野を広げた山姿が富士山のように端正で、通称“直瀬富士”とも呼ばれています。
西麓から眺めると北側にもうひとつのピークを従えています。
山裾の耕作された一部を除いて植林された針葉樹に覆われています。
植林・間伐時に使用された作業道が山頂まで通っています。
しばらく使われていないため、特に夏の通行は困難です。

山頂に「龍ヶ岡城」と呼ばれる中世城趾があったことが地元のみで語り継がれています。
明治43年(1910)の『川瀬村誌』には、

石丸兵庫守も、このころ本部落東部に住せる。龍ヶ岡城を構え、小倉・大野の城主に匹敵せしも、ほとんど同時にこの所領を失いたりという。

と記載されています。
愛媛県教育委員会『愛媛県中世城館跡 分布調査報告書』には載っていません。
系図の紛失、古文書の焼失により、築城年、規模などは不明で、山頂にもそれらしい跡がみられません。
けれど、直瀬には龍ヶ岡城城主・石丸兵庫守の子孫といわれる「石丸」姓が現在でも多く在住しています。
戦前までは家長らが集い、祖先を偲ぶ『石丸さん』と呼ばれる祭りが行れていたそうです。

城山は、 龍ヶ岡の北に隣接しています。
城山と愛称されるように、「勝山城」という城がありました。
久万の大除城の出城のひとつで、記録に残る城主は鳥越左門で、城主の名を取った「鳥越城」という別名もあります。
「射場」や「つるきり」「鳥越条」など、城や戦に関連した地名が残っています。
登山口にある民家の裏には武家のお墓と伝えられる墓石も並んでいます。

山頂までの急坂な登山道途中には、「千日神社」の社跡と云われる平地や山の神の祠を祀った場所があります。
毎年5月1日、地域住民らにより、神社や祠に通ずる参道である登山道の草刈りが行われています。
山頂まで容易に登ることができます。

33.2km
城山
1km
上直瀬 1.8km
600m 龍ヶ岡
1km
7km 直瀬大橋 4km
久万 4km 3km
畑野川 嵯峨山
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