東黒森、伊予富士は、四国の脊梁山脈・石鎚山系に属する山山です。
石鎚国定公園。
西日本最高峰・石鎚山を基点に発する石鎚山脈の、東に向かう連なりの一角を担う雄峰です。
地層的には、中央構造線の外帯に接する三波川変成帯です。
三波川結晶片岩を基盤岩とし、「伊予の青石」の名でも知られる緑色片岩が主です。
三波川系結晶片岩中には、純度の高い黄銅鉱や黄鉄鉱が眠る「層状含銅硫化鉄鉱床(キースラーガー)」と呼ばれる銅の鉱脈が存在。
新居浜の別子銅山が代表的鉱床ですが、伊予富士の北麓には「基安鉱山」がありました。
最盛期には分校をはじめ、500人もが暮らす集落が存在しました。
坑道は県境をくぐり、高知側の黒滝鉱山まで抜けていました。(昭和47年7月閉山)
愛媛・高知両県にまたがり、県境を成す山並みは、歴史的にも伊予と土佐を分かつ国境の峰として位置づけられてきました。
高嶺を超して予土を結ぶ往還・街道も存在し、東黒森の西には自念子越え、伊予富士の東には桑瀬峠が早くから拓かれていました。
桑瀬峠はいまでも、伊予富士や寒風山、笹ヶ峰への登山口として大いに利用されています。
自念子ノ頭との間にある自念子越えは、すでに峠の面影はありません。
江戸時代には、土佐の良質な材木を狙って伊予から山越えしてくる盗賊たちもいたそうです。
罰として削いだ耳を集めて埋めた耳塚(耳墓)が祀られています。
山上こそ、クマザサに覆われた牧歌風な草原状の光景です。
山裾は豊かな森林が形成され、古くは藩直轄の貴重な森林資源でした。
現在は、愛媛側は加茂川水系、高知側は吉野川水系の貴重な水源涵養林として大切に保護されています。
山頂付近は亜高山帯針葉樹林です。
拡がるクマザサの間にはコメツツジやツクシシャクナゲの群落が点在します。
登山道脇にはシコクフウロウやミヤマリンドウ、アキノキリンソウなど、可憐な花々が文字どおり花を添えてくれます。
貴重な自然を保護育成・管理する目的で高知営林局により、南麓・高知県側に瓶ヶ森林道が建設されました。
本来は営林局・営林署の事業専用道路ですが、初期から有料林道として一般にも開放され、観光・登山用途に大いに利用されています。
登山道は、石鎚山系の縦走ルートを利用します。
縦走ルートには、瓶ヶ森林道(町道瓶ヶ森線)沿いに点在する登山口から合流することができます。
ちなみに、東黒森~伊予富士間を含む瓶ヶ森~笹ヶ峰間の初完全縦走は、昭和4年7月、松浦貞蔵・杉浦清によって成し遂げられました。
東黒森は、瓶ヶ森の東、同じ“黒森”の名を持つ西黒森、自念子ノ頭と来て3番目の大なるピークです。
三角点を頂いていないせいか、地図に山名が載っていないことも多いですが、
瓶ヶ森林道沿いに2ヶ所、登山口があり、石鎚縦走路に手軽にアクセスできます。
見晴らし抜群のササ原の尾根道からは愛媛・高知両県の名だたる山並みを視野の内に収めながらの山登りが楽しめます。
クマザサに包まれた山頂は遮るものの無い360度のパノラマが楽しめる、1700m級の展望台といった風情です。
県内には多数の“黒森”が存在しますが、“黒”には肥沃な土地という意味や、色濃い森を“黒い”森と例えました。
なかでも、針葉樹や針葉樹林は濃い色の木=“クロキ”と呼ばれ、マツやスギの林に覆われた濃い色の山が黒森と呼ばれました。
山頂部分はササ原で“黒い”感じはあまりしません。
けれど、瓶ヶ森林道の走る標高1600mより下は深い森に覆われ、色濃く黒い森の名にふさわしい姿となっています。
伊予富士は、富士山の名を受け継いだ四国の名山です。
日本三百名山、四国百名山、四国百山に選ばれています。
“○○富士”と愛称されるお山は大抵、八の字に山裾を広げる富士山の姿に似ています。
伊予富士は独立峰でもなく、山裾は拡がって見えるほど長くなく、あまり富士山らしくはありません。
けれど、明治時代の地図にはすでに“伊豫富士山”と記されています。
気軽に立ち寄れる存在ではなかった伊予富士は神々しく高く貴い高嶺の山として富士山になぞらえられたのかもしれません。
伊予富士の山頂もまたクマザザに覆われています。
春はコメツツジやツクシシャクナゲの群落に酔い、秋はミズナラやリョウブ、カエデが紅葉を競います。
美しい自然と脊梁山脈から眺められる雄大なパノラマを楽しみながらの山行が楽しめます。
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