武丈側登山口~八堂山山頂 | |||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯ | |||||||||||||||||||
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①市道武丈丸野線沿い、
武丈公園の少し奥にある登山口(に戻ってきました)。
「武丈八堂山公園案内図」、落書きされてます。
ああ、こっちも。
落書きすんな! ぶぁか!
西条市名水・名木50選 八堂山 |
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標高197メートルの八堂山。 |
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平成3年3月選定 |
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こちらのコースは通称「歩け歩け運動コース」。
距離は「1085m」だそうです。
道はよく整備されていて歩きやすいです。
登り始めはこれくらいの見晴らしです。
②ジグザグ登りながら高度を稼いで行きます。
ひとつ目の角には鳥居が立ってました。
擬木の階段が続きます。
鳥居の角からの眺め、ほんの少し、奥行きが増しました。
鳥居をくぐった後も、曲がって、曲がって-
くねくね登って-
③3度目の右に曲がる角にあったのが-
(登山口から)200m地点の看板でした。
道ばたにきれいな花が咲いていたんですが、その花びらに-
小さな、小さなバッタが隠れてました (^_^)
次の右角の木には木の名前が書かれた札が取り付けてありました。
登山道沿いには、こんな札があちこちにありましたよ。
草木の名前に弱い僕にはありがたかったりします。
④ん? 道ばたになにか祀ってあるぞ。
八堂大明神とな、祭壇をよく見たら-
なんじゃ、こりゃ (-_-;)
手作り感たっぷりのお不動様?
⑤ここで道が二手に分かれます。
直進が運動コースで、左は迂回路&考古館へ行ける道。
ちなみにどっちに進んでも、「百桜園」んとこで合流します。
看板も沢山。
迂回路の方も道は同じくらいきれいです。
運動コースですが、分岐からすぐに、また鳥居に出会います。
今度の鳥居は道ばたにあって、
石段の奧にお社が覗いてます。
んじゃ、行って見ませう。
⑥こちらがそのお社、「八堂大明神」です。
その前を小径が横切っていて、お社に向かって-
左は迂回路の方へ-
右は運動コースへと繋がっています。
⑦コースに戻り、左角にあったのが-
400m地点看板。
曲がるとまたあの可憐な花が咲いてて、また足踏み。
角の少し先には、お社の前の小径との合流点。
心地よい森の木陰を登って、曲がって、登って。
⑧小さな日向スポットに立つ外灯は、
No.8とナンバリングしてあります。
いくつかの外灯がいたずらされたみたいで、
夜、点灯できないものがあるみたい。
8番灯の先、路肩を補強してる場所がありました。
乗ると鉄板、ぽわんぽわんします (^^;)
⑨今度の左角は-
600m地点だべ。
⑩曲がった先はちょっと雰囲気が違っていて-
雑木がサクラに変わり、外灯の下でツツジが花を咲かせていました。
ツツジんとこに-
「百桜園」のプレートがありました。
ここいらには、百種類を越すサクラが植わってて、
麓の武丈公園のサクラ共々、春はえらいこっちゃな景色になるそうです。
初夏のような陽気に訪ねたせいで、ぱっと見、
この季節のサクラはほかの緑に溶け込んじゃって区別が付きませんね。
⑪百桜園の先にある分岐は、⑤で分かれた迂回路と合流するポイントです。
下りのための看板があります。
ま、迂回路を下っても、そんなに変わりがないけどね。
また曲がり登って-
⑫今度は直線部分に-
800m地点だに。
この辺りで標高160m程ですが、
周桑平野まで見通せる展望になりました。
あいにく、梅雨前の初期症状のようなモヤがかかってしまい、
東三方ヶ森を頂点とする山並みも消え失せてしまいました。
南の石鎚山系も霞の中、石鎚山本体も見えませんでした。
見えていたのは、すももの高、高森、経ガ峰まで。
霞むすももの高、高森、経ガ峰をアップ。
普通の山道っぽい素の道を登っていたら-
⑬右の土手に半円形のフェンスが現れました。
アンテナや給水施設の類いかと思ったら、脇に石柱があって-
「C号居住跡」とありました。
八堂山山頂の弥生遺跡のひとつでした。
と云っても、ぱっと見、遺跡らしくは見えません。
ここからは弥生後期の土器が出土しました。
この辺りはまだ発掘調査が完全ではないため、
2、3の住居跡が眠っている可能性があります。
遺跡の先は右カーブになっていますが、
左に考古歴史館へ下る脇道があります。
脇道は手すりもある急坂となっています(後ほど紹介)。
このカーブで登山口から1000m地点となります。
山頂側にA号住居跡がフェンスで保護されてます。
脇道側から見ると運動コースは、
こんな感じのカーブ。
A号住居跡の前を通って-
ベンチの前を左に曲がると-
⑭八堂山山頂に到着です!
キノコみたいな復元住居がお出迎え。
山頂は楕円形になだらかに広い平地となっていて、
この地形を利用して古代の人々が家を建て住んでいました。
それは高地性遺跡と分類されるとても珍しいものです。
キノコみたいな高床式円形倉庫。
当時、モミなどを保管していたと考えられています。
茅葺きの屋根は想像の産物ですが、きれいなおかっぱ頭 (^^;)
入母屋竪穴式住居 |
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八堂山遺跡は、昭和46年に遊歩道建設工事をきっかけとする発掘調査がおこなわれた。 |
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高床式円形倉庫 |
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この建物は、A号住居跡上の3層から検出された円形状柱穴特殊遺構を、円形倉庫としてここに推定復元したものである。 |
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入母屋竪穴式住居。
発掘は限定的だったため、こんな住居跡がまだ見つかるかも。
いかにもな姿の復元住居、こちらも想像の産物。
僕はもっと素材もいい家に住んでいたと思います。
休憩所な東屋。
時計や鏡があったり-
ラジオ体操云々の表彰状も (^_^)
山頂南寄り、鬼太郎の家の妖怪ポストみたいなのがあったり、
水道施設、鉄棒、ベンチなど。
一応、ここがゴール、1085m。
経ガ峰方面、天気がよければ-
写真右端辺りに石鎚山が見えるんだけど、
厚い雲の中にお隠れになったご様子、残念。
山頂に水道施設があるのも、
公園整備されているからこそ。
この前をさらに南へ歩くと-
⑮四電の送電鉄塔がそびえてます。
加茂線の61番鉄塔です。
鉄塔越しの南方の見晴らし、
かたぶきから櫛ヶ峰、鎌加山へと連なる、穏やかな稜線。
さらに南へと送電鉄塔の巡視路が続いています。
たどり始めてすぐ右側に-
「1号溝跡」の石柱がありました。
ここもまた、遺跡らしさは見当たりません。
⑯そして再び、鉄塔出現。
こちらは、西条火力線の16番鉄塔でした。
真下から。
西側低く送電線が走っているおかげで、
見晴らしが確保されていました。
加茂川の大きな蛇行を見下ろして。
加茂の触手の中にいるお山は城跡のある高峠、
その麓の田園地帯のただ中には、歴史深い伊曽乃神社がひかえています。
加茂川とその河口方面、
川によって街と田園が分かれているように見えます。
巡視路は続いています-
次の17番鉄塔に向かって。
かなり急な傾斜を持って。
ひとりごと | ||
武丈公園を過ぎた山裾に登山口があります。 今回、訪ねませんでしたが、登山口手前にあった「奧武丈瀧道」の碑の奧武丈瀧。 さて、さて、八堂山の登山道はよく整備されています。 |
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