善神山へ行こう!
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前善神山~善神山
距離 約100m
標高差 約30m
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
距離 約300m
標高差 約30m
  

善神の尾根と支尾根が出会う三叉路から。
まず、左へ転進し、前善神山を目指します。
写真左に移っているマウンド状の森がその前善神山です。

「←前善神山」の方へ。

この三叉路と前善神山の間には凹地・鞍部があります。

少々急に下ります。

と、その前に、降り口にあった木から剥げ落ちてた、
大きなサルノコシカケ。
ホントにサルが腰掛けてもげちゃったのかな。



降り着いた鞍部。
登り始めは生い茂る雑木が左右から迫ってくるほど。
がんばって登ります。



傾斜が楽になった辺りはツガのような針葉樹林、
すぐ下は自然林が繁茂。
尾根の突端に近付くにつれ、風が強くなってきました。



前善神山に到着しました!
麓から見える三角錐の尖った山頂はここです。
尖った山頂らしく、山頂はそんなに広くありません。

山頂には土器の祠が二つ、背中合せに祀られています。
これは、上林集落向けと井内集落向けにそれぞれ祀ってあるためです。
合掌。

  

それでは山頂からの眺めです。
山頂から特によく見えるのは北から西にかけてです。

  

山並み部分を少しアップ。
写真左側の奥が東三方ヶ森を中心とする山系、
その手前がヨソ山から稔山の山塊。
周桑平野の片鱗を挟んで、奥に面木山、
手前は井内東側の大熊山、地蔵山。
そして三ヶ森、石鎚山もチラ見して、
皿ヶ嶺連峰東部の石墨山、梅ヶ谷山、井内峠、善神ヶ森、前々司。

  

山間に見えた周桑平野を更にアップで。
四阪島や高井神島も見えています。

  

三ヶ森、石鎚山が見える辺りをアップ。

…?
1177m三角点峰にある白い▼はなんなんだろう?
下に砂防ダムっぽいものが見えるので、
斜面崩落を防ぐためになにか施した跡なんだろうか?

  

石鎚山をアップで。
(写真左から)西ノ冠岳、石鎚山の弥山・天狗岳、
二ノ森と鞍瀬ノ頭は重なっています。

大熊山と地蔵山。

松山平野を中心にしたパノラマ。
思った以上の壮大な眺めだったので、
しばらく、ぼんやりと眺めてしまいました。

松山平野部分を。
こうしてみると、松山平野は重信川が作った巨大な扇状地なんだなぁ。
宅地化がものすごい勢いで進んでる。
子どもの頃は、久米から東はのどかな田園地帯だったのに。

  

さて、次は戻って善神山へ。
善神山まで400mちょっと。
奥にある皿ヶ嶺の縦走尾根に比べれば近いもんだけど。

前善神山からのパノラマを充分堪能し、
善神山目差し、元来た道を引き返しました。

三叉路まで戻ったら- 

善神山目差し、南へ。



善神の尾根も細めの尾根筋。

地形図に描けないアップダウンが連続します。



小ピーク。
登ったら下る。

サルノコシカケたち。



この尾根には大きく逞しい木が残っています。
だから倒木も並じゃありません。
伝説の巨大鬼のこん棒みたい。



急坂ポイント。
登りより、下山時の方が四苦八苦。

ロープが設置されてるので、
ありがたく使わせてもらいました。

ふたつめのロープ。
結び目が滑り止めになってます。

急坂クリア。



ここは東側の斜面が少しずつ崩れてて、
更に細尾根になってます。



左右とも急傾斜なわりに木が生えそろっているので、
なかなか外の世界を見られるところがないんですが、
ここはちょっと覗けました。

  

東三方ヶ森山系とヨソ山山塊を。



善神山の入口の三叉路に着きました。

  

目印は三方向を示す道標と、根元に洞のある木。
善神山山頂へは、縦走路から左へ。

「←前善神山 尾根分岐→
 ←善神山」

左折したら、山頂はすぐそこです。
地図に描けない登り坂の先、
山頂は地図上の1094m標高点より東にあります。 



大木を避けて-

支尾根の突端へ。

露頭した岩がごろごろしてきたら-



善神山山頂に到着しました!
前善神山より更に狭い山頂です。

ここも東西に向いたふたつの祠が祀られています。

  

山頂から見た前善神山。

狭い山頂は周囲が切り立っているため、
撮影の前は見晴らせる場所を探す前に、
安全な足場のある場所を確保するのが先です。

そうして安全に撮った井内の谷。
ここも急斜面の割に木が混んでるので、視界は限定的です。

引くとこんなパノラマです。

もう一度、大熊山と地蔵山。

周桑平野越しの海ももう一度。

井内峠方面がかろうじて見えました。

アップで。

前々司(1253m峰)も少しだけ。

アップで。

ひとりごと

善神山は本来、善神山域と云った方がいい風情です。
善神の尾根には前善神山、善神山があり、背後の皿ヶ嶺縦走尾根には前々司、善神ヶ森が控えています。
丁字形をした一帯で善神山というものを形成しています。
いま、祀られた祠が残っているのは前善神山、善神山です。
皿ヶ嶺縦走尾根の前々司、善神ヶ森には大正時代までは十六善神が祀ってあったことが記録に残っています。
十六善神はいま、確認できないのですが、いまの縦走路から外れたヤブのなかから温かく見守ってくれているのかも。

ちなみに、善神とは「正法(しょうぼう)を守る神。福を与える神。」、文字通り、いい神様です。
十六善神は「般若経の護持を誓った16の夜叉神。十二神将に四天王を加えたものとする説もある。」、釈迦十六善神などと呼ばれます。

善神を祀ることに関しては、上林地区より、井内地区の方が盛んに行われました。
井内の集落内に三十六王子を祀る善神森と呼ばれる杜や、善神を祀る雨乞所の善神社があったりします。
ため池を設ける余地のない山間部は農耕のための水源の確保が特に重要です。
善神社の社は平成13年に再建されましたが、21世紀のいまでも自在に雨を降らせることはできません。
ある意味、神頼みなところがありますから、雨をもたらしてくれるいい神様をお祀りすることは大切なことなのです。
また、十六善神を山上に配しお祀りしたのも、神様に見守っていただくことにより、日々の安寧を保とうとした村人の願いが込められた証です。

さて、「善神山」そのものについて。
明治末から大正にかけて大衆化した登山が四国でもブームとなりました。
皿ヶ嶺連峰の縦走も盛んに行われた頃に執筆された北川淳一郎著『四国アルプス』には“前司ヶ森山”と云う名で紹介されています。
“こゝから北の方、山続き、拝志、三内の村境を縦走するならば、地方人の所謂、奥前司、前前司の断崖の勝を究めることが出来る。”
とあり、北川淳一郎は、善神山、前善神山を奥前司、前前司の名で記しています。
「前司」は“ぜんじ(善神)”の当て字ということは明らかなです。
合併前に著された『川内町新誌』の自然の項には、“前善神山 1285m”、“奥善神山 1120m”とあります。
前善神山1285mに相当するお山は縦走尾根上の1284.1mの善神ヶ森と思われますが、1120m相当のお山はちょっと該当しません。
町の位置について、“西は善神山・塩ヶ森の稜線及び重信川を境とし…”」。
別の項で皿ヶ嶺連峰県立自然公園の範囲について、“白猪峠から井内峠・奥善神山を経る山林地域(国有林全部)”。
城址に関する記録の中では「善神山」を使うなど、各項の執筆者によってその呼び名が変化しています。

あ、そうそう、『四国アルプス』では“前司ヶ森山”への登山ルートを3つ紹介しています。
1.久万側から、2.上林峠から、3.井内峠から。
2と3は同じ皿ヶ嶺縦走路上で、入山する場所の違いだけです。
実質、ルートはふたつってことになります。
上林や井内の集落から善神の尾根に直接、登れる道の記述はありません。
『四国アルプス』が著された大正時代にはなかったようです。
ちなみに、『四国アルプス』にて“うなめご”という俗称が初めて登場します。
これは北川氏が集落で尋ねた証です。
集落から直接のルートがなかったか、教えてくれなかったかのどちらかでしょう。
まぁ、昔は物見遊山の登山者は少なく、山岳信仰の信者が大多数でした。
善神山に修行の一環で登っていたとしたら、れっきとした登山道は必要なく、崖をよじ登る険しいくらいがちょうどよかったのかも。

そんな善神山、前善神山はともに写真を撮るのも怖いほどの断崖に聳える頂です。
道前・道後の平野に、その先の伊予灘・燧灘まで同時に見えたのは驚きでした。
石鎚山も見えたし、がんばって登ってきた甲斐は充分ありました。

あの、ホントに尾根で繋がってる以外の部分は切り立った崖や急斜面です。
写真撮影時は特に夢中になって足下がおろそかになり、踏み外す人が多いですから、注意して下さいね。

そんな見晴らしのいい山頂でゆっくり昼休憩したかったのですえどね。
風が吹きっぱなしで火を使った調理ができないため、祠に手を合わせ、早々に辞去しました。

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