鷲ヶ頭山・安神山
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安神山林道~鷲ヶ頭山頂
距離 約1.2km
標高差 約190m
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設

300m峰への登り坂。
俯瞰してみれば、安神山は鷲ヶ頭山の支尾根のいちピークに過ぎないんですが、
分けるとすれば、この鞍部かな。
ここに来て復活した簡易舗装の路を登ります。
この鞍部から、草地に表土流出防止用のネットがかぶせてあります。
山火事とか乾燥化で草の根付きが悪いのか、
雨風で表土が流されてしまうことが多くなったのでしょう。

傾斜が急になると、
階段に変わりました。



丸太の柵で土の流出を防いでるところもありました。
山火事の後で植林した木を守ってるのかな。

ここも山頂へはまっすぐにアタックせず、
山頂下を斜行して登って行きます。

  

道からの眺め、南向き。
天気がよければ、石鎚山もこの方角に見えるんですが…。
と、なにげに、下の谷に視線を落としたら…、滝?

カメラでアップしてみたら、やっぱり滝でした。
この方角で滝と云えば、入日の滝。
お山の上からも見えるんだぁ。
得した気分 (^_^)



300m峰の頂上-

-と思いきや、いっちゃん高いところは、
道から外れて振り返るようにくぃっと左に折れた先。
成長しかけの幼木を踏み折らないように気をつけながら、
尾根をたどって行くと-

今度こそ、頂、大きな岩の上によっこらしょと上がると-

そこはまた一段と見晴らしの場所でした。

  

大山祇神社から安神山、烏帽子岩へと越えてきた、
龍の背中のような登山道を回顧できる大パノラマ。
疲れも吹き飛ぶ、普段のもやもやも忘れてしまう、爽快な眺めです。

気分一新、さあ、鷲ヶ頭山へ。
滑り止めの岩が埋め込んである登山道を下り-

急なところは石段に変わる道を、いましばらく、たどります。
鷲ヶ頭山の山頂下に、写真左から上がってきてる林道を視認できました。



次のピークへの鞍部。
岩場をめぐるちょろちょろカーブ。
道ばたに遮蔽物のない道は、
疲れ方も違いますね。



鷲ヶ頭山目前のピークは、
また道から振り返り気味に戻ったところにあります。
また危なっかしそうだったので、今回はパスしました。

安神山の岩尾根歩きは間もなく終了を迎えます。



  

丸太ベンチのあるところで遊歩道、終了。

1mほどの落差があって、下の道は轍もある林道に変わります。

ようやくここのベンチでお昼にしました。
ここまで、見晴らしのいい場所は幾つもあったけど、
ツツジの季節を迎えて羽虫もぶんぶ~ん (>_<)
ここは虫がホバーリングできないくらいの、
ゴミが舞わないくらいの風がいい具合に吹いていて、
落ち着いて食事できました。

  

このベンチ辺りから、北に目を向けると県境の海の向こう岸に、
広島県三原市にある造船場が見えました。

  

南を見ると、朝渡ってきた来島海峡大橋、
そして、奥には高縄山地。

少しの間、林道を歩きます。

林道安神山線は延長260m、ホントに少しの間だけです。

(No.3)鷲ヶ頭山の代表的な植物

アカマツ(まつ科) 上部の樹皮が赤い。
ネズ(ひのき科) 歯がするどくとがり、さわると痛い。
コバノミツバツツジ(つつじ科) 早春、赤紫色の花を開く、葉3個輪生。
コシダ(うらじろ科) 葉の羽片6枚。
ヒトツバ(うらぼし科) 羽が1枚ずつ分立。

 

設置年月日 平成6年3月 環境庁・愛媛県


  

左にカーブするところに道標が立っています。

入日の滝へまっすぐ下れるルートです、帰りに下ります。

カーブを曲がれば、麓の教善寺前から来てる、
林道鷲ヶ頭線のガードレールが目に入ります。



林道安神山線が終わって林道鷲ヶ頭線と合流。

左を向くと、麓へ下る方。

安神山線入口の角にはベンチや道標。

「安神山 1.1km →」

  

右を向けば、十数m先に鷲ヶ頭山への遊歩道入口があります。

鷲ヶ頭山への続きは階段から。 

「← 鷲ヶ頭山 0.5km」

幅が狭めの階段を上がります、とぼとぼとぼ。
柵の鎖は新しくて、最近、掛け替えた様子。

すぐに見晴らしのいい右カーブ。

曲がったら階段じゃなく、またあの凸凸歩道。
左に海を見ながらですが、
広島県側の海沿いにずっと見えてる造船所が気になったので-

アップ。
三原市の造船所。
以前は、幸陽船渠って造船メーカーでした。
今年(2014年)から今治造船の広島工場になったそうです。

規則的に植林されてる場所は、山火事に遭った場所かな。

山頂のアンテナ群、もうちょっとで手が届くぞ。



林道と合流、場所は右に急カーブするところ。

ここもとっても心地いい休憩ポイント。
ベンチに座ると目の前の灌木が邪魔なのが、ちょっとあれだけど。

(No.2)大三島のみかんの歴史 

 神社に残る古い文書によると、島内で「小みかん」が室町時代すでに栽培されており、伊予水軍の河野家に贈呈し、喜ばれたとされています。
 また、近年になると明治40年頃から“うんしゅうみかん”が大三島町で栽培され始めましたが、最初の頃は、町内の2~3名が栽培するのみでした。
 栽培面積はその後少しずつ増え、昭和48年には770ヘクタールになりました。
しかし、全国的に生産過剰となり、現在は次第に他のかんきつ類に変わってきています。

宮浦の海も遠のいたなぁ。

  

遊歩道の続きはカーブの出口。

尾根をたどるように階段が付けてあります。

あと、250m。

右に少し曲がって続く階段。

スロープに変わってもなかなかの急坂だったりします。



つま先上がりの急な坂です。
逆に帰りはつま先が靴に当たって痛いくらい。

山頂目前でまた階段。
なかなか楽させてくれません (^^;)

高い木があまりないので、振り返れば、
これまで歩いてきた道がミニチュアみたく視界の内に。
さ、階段を登り切れば、いよいよ-

と思ったら、あら、まだ先があったのね。
最後のスロープは山頂へのエントランスみたいなもの。
山頂目印のアンテナもおいでおいでしてる気がします。



山頂のアンテナに到着。
これは最初の一本です。

NHKとテレビ愛媛の地デジ電波を中継発信してる大三島中継局です。
探しましたが、ここには三角点がなく、
舗装された遊歩道はゆるく下りながら、
もうひとつのアンテナ施設まで続いています。
あっちにあるみたいです。



  

林道の終点と合流する広場に出ました。

こっち、林道、で、林道を下った方に-

トイレ、あるみたいです。

(No.1)瀬戸内海の誕生

 およそ2万年前のウルム氷河期の後、世界の気候は急激に温暖になり、カナダや北欧に広がっていた大陸氷河がどんどん解けて、世界の海面が急上昇した。
 また瀬戸内海の海面は約6000年前(縄文前期)にほぼ現在の水準に達したといわれています。

設置年月日 平成6年3月 環境庁・愛媛県

大三島自然研究路

 この自然研究路は、大三島の自然と親しいお友達になっていただくために設けられたものです。
 延長は約2.5kmで、登りに1時間30分かかります。
 コースは、番号の入った解説板がありますから、それに沿って進んで下さい。
 沿線の植物・岩石は、採らないようにしましょう。

設置年月日 平成6年3月 環境庁・愛媛県

  

自然研究路の解説板の立ってるところは南に向かって林が開けていて、
山頂で一番、見晴らしのいい場所でした。

  

来島海峡大橋越しに今治市街地も青く霞んで見えていました。

春霞で、国際ホテルのタワーが区別できたくらいでした。

アンテナ施設の脇の坂を登った先の-

狭い階段を登り-



木が茂った場所に入ります、踏み跡をたどれば-

腰高ほどの塚が現れました、ここが鷲ヶ頭山の山頂です! 

「鷲頭山」二等三角点、標高は、436.25mです。

手作りな山頂標もちらほら。

塚はこんな感じの石積みで、
取り囲むように踏み跡がぐるっと周回しています。

ひとりごと

鷲ヶ頭山は安神山と違って森が残されていました。
と云っても、成熟した森ではなかったけれど。
林道をクルマで来ればあっという間の距離だけれど、わざわざ歩いてくれば、その疲れと引き替えに感激もひとしお。
ただ、山頂は木立に囲まれ、見晴らしはよくないのがマイナス要因かな。
けど、山頂までの道中で見晴らしは十分堪能できるし、山頂から見えるだろうものは道中ですでに見てきたものばかりだから、ま、いっか。

さて、その昔、鷲ヶ頭山は何人も入ることが許されなかった禁足地でした。
山岳信仰の礼拝対象のお山、神体山だったからです。
その頃は、「神野山」と書いて、“こうのやま”、“ごうやさん”と呼ばれていました。
文字通り、神の山です。
室町期の「大山祇神社古図」にも神野山らしきお山が描かれています。
けれど、現在、鷲ヶ頭山において神事やお祭りの類いは行われていないようです。
安神山では、お山の赤土を採取して神に捧げる「赤土拝戴神事」が1月7日の生土祭に行われています。
ちなみに、赤土には霊力が宿ると古くから信じられています。
山頂では雨乞いの行事も度々行われていました。
でも、鷲ヶ頭山は神体山であるのみでした。
神の山なのに、不思議なものです。
けれど、大山祇神社はその神事のすべてを情報公開はしていません。
(そもそも、神事とは、見えざる神様との対話です。
神様のお姿を見ることができない我々にとっては、謎めいてみえるものです。
謎の部分も多い神社ですから、鷲ヶ頭山を舞台にした何事かが行われているかもしれません。
いま、山頂には地デジのアンテナ施設が立ってたりするし、クルマで簡単に上れるし、神の山っぽさは失われつつありますけど。

「神野山」がいつから「鷲ヶ頭山」と呼ばれるようになったのかは定かではありません。
さらには、“鷲ヶ頭山”となったいきさつも不明です。
インドの鷺峯山になぞらえたとする説、神社の縁起に登場する鷲がモチーフになった説など。
いろいろと唱える人はいらっしゃいますが、判然としません。
どこからか見るとお山の形が鷲の頭のように見えたりしたのかな。
雪をかぶった姿がハクトウワシに…、なんてね (^^;)

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