鷲ヶ頭山・安神山
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大山祇神社~生樹の御門~わくわくパーク
距離 約750m
標高差 約80m
一般道
徒歩
下記写真の場所

入山のご挨拶も兼ねて大山祇神社にお参りしませう。

ガードマン的な狛犬さん。

狛犬コレクション、吽と-

阿。

  

境内に入ってすぐの神社の由緒書き。

日本総鎮守 大山祇神社由緒

 大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置して、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。
御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。
 天孫瓊々杵尊御降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
 大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫 小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。
 本社は社号を口本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分礼が奉斎せられた。
 延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。
現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古の昔に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。



境内に入って右に現れる四角い緑地は「斎田(さいでん)」。

豊作を祈願して田植えが行われる神田。
16名の早乙女が白衣に、赤襷(あかだすき)
手甲脚絆(てっこうきゃはん)姿で、
春が早苗を植え、秋は稲を収穫する神事が行われます。
奥の御桟敷殿の前で披露されるのが「一人角力(すもう)」。
毎年ニュースになりますね。



参道に若々しい門が建っています。
鎌倉時代に焼失して以来、688年ぶりに再建された総門です。
古図を参考に本殿修理にかかわった旧文部省技官が設計図を作成、
10年以上かかって集めた寄付金を元に再建されました。
高さ約12m、幅約10m、奥行き約5m。
総ヒノキ造りの2層構えで、各層の屋根は銅板ぶきです。

狛犬コレクション2、吽と-

阿。

総門再建は2010年、2005年に来たときは奥まで見通せました。

神社を守護する木像「随身像」。

後ろ姿。



総門をくぐると、広々とした広場のような参道に、
クスノキの巨木が影を落としています。
左側に建物が並んでいて、
手前から神馬舎、馬神社、斎館、社務所、十七神社。
境内奥側、社務所の近くに-



ひときわ幽遠なたたずまいを魅せる古木が聳えています。

日本最古、天然記念物の「雨乞いのクスノキ」です。

樹齢3000年…。
縄文から弥生に時代が変わろうとしていたころに芽生えたのかぁ…。

実はすでに枯れています。
でも天然記念物に指定されています。



そして、左の十七神社、右の手水舎、葛城神社の間、
境内に立ち入ったときから存在感ありすぎる巨木があります。

乎千命(おちのみこと)(小千命)が植えたと伝わる、
「乎千命御手植のクスノキ」です。

樹齢2600年…。

巨人が腕を振りかざしているような姿。

樹高15.6m、目通り幹周り11.0m

根元にはまっくろくろすけが棲んでそうな洞があります。

本殿側から。

地の底からなにかがほとばしり出ているかのように枝葉を拡げています。

では、拝殿へ、石段を登ると-



神門。

日本総鎮守
 大三島宮 大山祇神社由緒 御祭神 大山積大神

御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊豫国風土記)と申し上げる、海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は、全国立10,000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。
明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。

狛犬コレクション3、吽と-

阿。



ぐるりと囲む、右が北回廊、左が南回廊、正面が拝殿。

2礼2拍手1礼…、いいお山歩に、無事下山できますように。

御簾の向こうに大神様がおわします。



では、お山へ。
神門を出て左(南)へ、宝物館のある方へ。
境内を出る石段の手前に-

「河野通有兜掛のクスノキ」 

枯死していますが、樹齢1000年故に、国の天然記念物です。

南回廊の側にも巨樹が聳えています。

この巨樹には名はないものの、天然記念物です。

写真を撮ったり、見上げてたりしてたときでした。
ばさばさっ!
な、なんか、落ちてきた!

顔ほどの大きさの樹片が、枯れた枝の部分から剥がれたようです。
真下に誰もいなくてよかった~。
神様に手を合わせたおかげかな、ありがたや。
(いや、本殿を撮ったバチが当たった!?)



  

石段を登り、明治川を渡って車道へ出ます。

せとうち茶屋横から始まる緑色の遊歩道と合流。

この丁字路の角にあるのが、
全国の武具関係の8割も所蔵する国宝宝物館&海事博物館。
入館料は、一般1000円・大高生800円、小中学生400円です。
子供のころに一度入ったっきり、以来、今回も時間がなくて入場できず、
義経の赤い鎧、見たかったなぁ。

明治川に沿って歩いて行きますが、角にある-

大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉時代の作、重要文化財です。



  

緑色の舗装路を川に沿って歩き、100mちょっとの4つ角。
登山口のある安神山わくわくパークへは右折。

「安神山ワクワクパーク →
 ← 奥の院・生樹(いきき)の御門」 

  

生樹の御門が気になったので、またまた寄り道。
「30m先右折」は「30m先を右折したところにある」じゃなく、
単純に30m先を右折しなさいってだけ、ちょっち早合点。



  

集落の裏路地を抜け、農地と草地が混在したような場所を矢印に導かれて、約200m歩くと-



小山かと見まごうばかりに巨大な木がありました。
何本かの木が合わさってひとつに見えるのだろうと思ってたら-

それはそれは巨大な、見たこともない化け物のような一本の木でした。
近づいてみると、木が階段を呑み込んでるように見えました。

さらに歩を進めると、
階段は根元の洞の中へ続いているのがわかりました。

この大木こそが生樹の御門でした。

なぜ、生樹の御門なのかは-

一目瞭然。
大木の根にできた洞を門のように通り抜けられるからです。

薄暗い洞の中に入ってみました。
こぶのようなところにお供えやお賽銭が置いてありました。

お札かおみくじか分かりませんが、結びつけられていたり。
高さは、腰をかがめて石段に手をつき、やっと通れるくらい。

鍾乳洞のような造形の天井。
木の中にいるという不思議な心地。

裏から。

裏側の方が入り口が少し広いかな。

大きく二股に分かれていて、一方は樹勢がなく-

道路側の幹は大きな手のひらのように旺盛でした。

隣にシュロも生えてます。

生樹の御門の脇の道を奥へ行くと-



大山祇神社の奥の院があります。
でも、見かけが想像より質素だったので、
最初は民家か蔵かと思ってしまいました。
神社の本地仏を祀っていたお寺・神宮寺の奥の院で、
元神宮寺とも呼ばれています。



  

の四つ角から再開。
道標の「安神山ワクワクパーク →」の方へ曲がり-

坂を登ります。

おまけ。
大三島のマンホールはみかんがモチーフ。



  

坂の上には公園がありました。
「わくわくパーク」です。
公園の入口には駐車場があります(写真左)

赤煉瓦の道が遊歩道&登山道です。

「← わくわくパーク 自然研究路・遊歩道」

公園は緩やかな斜面に広場が段状に繋がっています。
最初の広場は緑地のようで、これと云ったアイテムもなく、
その広場の縁をなぞるように煉瓦の道が上って行きます。

公園の入口辺りでこれくらいの高さです。

坂道は

作業車が出入りできるように後で整備されたのかな?



上の段はアスレチック風な遊具や休憩所のあるスペースとなっていました。

公園の案内図もあったんですが、
地図部分は色あせて判読できませんでした。

安神山の山頂を望めます。

険しそうな岩峰だなぁ、どうやって登るんだろう? 心配…。



煉瓦坂を登り詰めると、遊歩道はいよいよ、森の中へ。
雰囲気的には、ここから登山って感じかな。

「安神山 0.8km →」

  

鷲ヶ頭自然研究路は、えひめ森林浴88カ所の68番。

森に入ってすぐ、左上にお堂、
右下には柱だけを残して崩れた小屋がありました。

大山祇に関係のあるお堂なのかな?

路面はコンクリートで簡易舗装してあります。
土の方が足裏には優しいけど、
凸凹やぬかるみがない分、速度は維持しやすいです。



  

自然研究路が二手に分かれます。

左の階段が安神山へ安全に行けるコース。

「自然研究路 安神山・鷲ヶ頭山 →」

右は、安神山にも行けるけど、鎖場を登らなきゃならないコース。

終点は入日の滝、麓をトラバースする遊歩道です。

ひとりごと

大山祇神社は、とにかく立派な神社です。
伊予国一宮、日本総鎮守、旧国幣大社などの呼称や社格を持つ神社です。
社名にある、大山積(おおやまづみ)神が祭神で、全国に1万社ほどもある三島神社や大山祇神社の総本社です。

大山積神は、伊弉諾(いざなぎ)尊と伊弉冉(いざなみ)尊の息子で、天照(あまてらす)大神のお兄さん。
大山積の名には「大いなる山の神」という意味があり、別名の和多志(わたし)大神は海の神の意。
山の神でもあり、海の神でもある神様です。
お山歩好きとしては、山の神様にはなおさら、きちんとご挨拶しておかなければなりませぬ。

境内に入ってすぐ右に小さな緑地は神饌田(しんせんでん)と呼ばれる神社の神田です。
春は田植えをする御田植え祭が、秋は稲刈りする抜穂(ぬきほ)祭が行われ、神様にお供えするお米を作ってます。
そのお祭りのときに行われるのが、「一人角力(すもう)」。
神饌田と御棧敷殿(さじきでん)の間に設けられる土俵で、(目に見えない)稲の神様と相撲を取ります。
精霊が勝つと豊作が約束されるそうです。
昭和39年(1964)、県の無形文化財指定、昭和52年(1977)、無形民俗文化財に指定替えされました。
見えない神様と相撲を取る姿はユーモラス、滑稽で、まさに珍百景な光景です。
ちなみに、勝ち負けを競うんじゃなく、神様との力比べな行事なので、「相撲」じゃなく、「角力」の文字が使われています。

広場のような境内の入口にある総門は、前来たときにはまだありませんでした。
再建は2010年。
神社の古文書に「元享2年正月19日、大小社殿ことごとく焼失」とあり、元享2年=1322年に失われてから実に688年ぶりの再建でした。
再建話は昭和20年代まで遡るそうですが、資金難で実現せず、いまの宮司さんが10年以上かかって寄付を集め、長年の悲願が成就したのでした。
「一遍上人絵伝」や神社にあった古い絵図に描かれていた2層構えの門を参考に、本殿の修理にも関わった旧文部省の技官が設計図を作ったそうです。
高さ約12m、幅約10m、奥行き約5mで、総ヒノキ造りの2層構え、屋根は銅板ぶき。
総事業費は3億2千万円とのこと。
今回の訪問は再建から4年後でしたが、ヒノキ材の匂いがするくらい、できたてほやほや感がありました。

神話の神様ゆかりの神社なので、境内に生えてる木も神様に匹敵するくらいの年齢を重ねています。
そんな「大山祇神社のクスノキ群」は国の天然記念物に指定されています。
(境内にある大小200本あまりのクスノキのうち、指定の対象になっている木は38本です。)
能因法師雨乞いの楠は、樹齢3000年、でも、すでに枯れてます。
降雨祈願のためにやってきた能因法師が、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と書いて雨乞祈祷を行いました。
すると、雨が3日3晩も降り続いたという伝承が名の由来になっています。
ちなみに、能因法師は西暦1000年代の人なので、雨乞いをしたときでもすでに樹齢2000年。
それはそれは立派な、雨雲にも届かんばかりの大木だったに違いありません。
本殿直前、境内のほぼ中央、樹齢2600年の乎知命御手植の楠は、いまなお新しい枝葉を伸ばして元気です。
根元の方は洞ができてますけど。
大山積大神の子孫、乎千命が植えたって云う伝承が樹齢2600年の根拠と云うことでしょう。
2600とか3000とか云う数字は正直、科学的に実証されたものではないと思います。
総門だって焼失したほどの災禍に見舞われた神社ですし。

本殿も一度焼失し、室町時代の天授2年(1378)に再建されたものです。
回廊に囲まれた拝殿に立つと、自然と厳かな気持ちになります。
ありがたいことに、参拝者は僕ひとり、じっくり、たんまり、神様にご挨拶、お願いができました。

その後、さて、お山へと、宝物殿の側から境内を出ようとしました。
回廊のすぐ外にあるまた一段と大きい木に目が行き、真下から写真を撮ったりしました。
撮り終えてくるっと背を向けた途端、ばたばたっ!と、背後でなにかが落ちて砕ける音がしました。
振り返ると、黒いものが砕けていました。
いま撮ってた木の上の方、枯れた枝、と云っても並みの木ほど太いんですが、その樹皮が剥がれ落ちてきたようです。
枯れた樹皮だったので、砕けたときには軽い音がしてたけど、脳天に直撃してたら、血がぴゅ~ってなるところだった。
木が揺れるほどの風もなかったのに。
じっくりゆっくりお参りしてよかった~。

太鼓橋を渡ると、国宝がたんまり収蔵されてる大山祇神社宝物館があります。
海事博物館と一緒で、大人1000円。
子供の頃、町内行事かなにかで入ったことがあります。
日本最古の鎧とか、きっと見たと思うのに、子供だったから、覚えているのは、海事博物館の大きな船。
天皇陛下が相模湾で海洋生物の研究に使用された「葉山丸」です。
宝物館には、武将たちが大山祇神社に奉納した武具甲冑、刀剣の類いが展示されています。
国宝8点、重要文化財472点。
これは、全国の国宝・重文クラスの武具の実に8割!
そのほか、有形・無形の文化財、重要美術品を含めると総計数千点。
まさに大三島は「国宝の島」です。
お山歩ついでじゃもったいないし、時間もなかったから、今回は入館できなかったけど、次回は国宝目当てに島に渡ってこよう。

さて、上記では神社を出た後、生樹の御門を紹介していますが、タイムライン的には下山後に訪ねました。
あ~疲れた疲れた、ヘロヘロって感じで下山してきたとき、生樹の御門の文字が気になって見に行きました。
同時に、道標の「30m先右折」の文字を誤解。
30m先を右折したところにあるものだと勘違いして、30m先なら…と、見に行ったのでした。
でも、角を曲がったらなにもなくて、そのうち、また、「30m先を曲がる」だったかな、また看板…。
え~って感じで、引き返すのも面倒になって、案内に従って歩いて行ったら、ありました。
「30m先右折」の文字を勘違いして来て、よかったです。
御門ってなんだろう?って思いながら歩いてきたけど、まさか、太い根元にくぐれるほどの穴が開いてるとは思わず、さらには階段まで。
(一瞬)疲れも吹っ飛ぶほどの驚きでした。
木はクスノキですが、一緒にシュロとか生えてて、小さな森みたいになってます。
神社境内のクスノキみたいに凄い木なのに、国の天然記念物ではなく、県の天然記念物です。
神社境内にないから、国の天然記念物指定されている「大山祇神社のクスノキ群」には含まれず、県指定止まりになっています。
単独でも十分、国指定も行けそうな気がするんですけど。

わくわくパークも、平日だったので人の姿なし。
ベンチも遊具も使ってくれる人がいないとどこか寂しげ。
公園まで来て思ったんですが、公園の駐車場に駐車すれば、帰り、少し楽ができますね。
神社とか用事がない、または帰りでいいやって人は公園からスタートすればいいかも。
このわくわくパークは、「安神山苑地」と云う別称もあります。

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