旧別子銅山へ行こう!
東平と一の森
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一の森へ
距離 約400m
標高差 約50m
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
  

最後に、駐車場からも見える一の森に登ります。
登り口は帰路にあります。



銅山の里自然の家

まで戻ります。
  

集会所棟裏に上がる階段が登山口です。

  

大山積神社跡(東平)

 住友家が元禄4年(1691)の開坑直後に、鎮護の神として大三島にある大山祇神社の分霊を旧別子の縁起の端に奉祠し、大山積神社を建立した。
その後、明治26年(1893)には、目出度町に奉遷した。
 採鉱施設が銅山峰の南側から北側に移行するのに伴い、大正4年(1915)、目出度町から東平に奉遷し、昭和3年(1928)まで銅山の守護神として標高832mのーの森山頂に大山積神社を祀っていた。
 大山積神社前の100mの円周グラウンドでは、正月の大鈿式、5月の山神祭、11月の親友会の運動会などが開催された。
ほかに小・中学校の運動会が秋に開催された。
東平で執り行われる諸事行の全ての会場として利用された。
東に赤石山、西に笹ヶ峰を仰ぎ、北方眼下に新居浜の町を望む山頂広場は、東平に住む人々の憩いの場所であった。
別子銅山の開坑を祝う山神祭には、大相撲の行司を招いて相撲が奉納された。

おおやまずみじんじゃあと(とうなる) 小学生用解説

 住友家が銅山を始めた1691年頃に、守り神として旧別子に建てた神社。
銅山施設が銅山峰の南側から北側に移り、神社も東平に移った。
神社のお祭りの時には、神社前の広場で大相撲が行われてにぎわった。

建物の裏を入って行きます。
不法侵入な雰囲気ですが、大丈夫。
ちゃんとした登山道です。



裏から出たところに石垣と道標が。

「一の森へ →」、昔からの登り口です。

踏み跡をたどり登ります。



道はとてもジグザグになっています。

右にくいっと折れるところは西日が差してまぶしい。



古い石垣を横目に登り、ジクっと曲がって-

西日の差すところでまたザクっとターン。 



路肩が大木ごと崩れてました。



まもなく山頂ってところに小さな小屋。

小屋下でターンすると、
山頂の石垣や、崩れた石垣の岩があったりして-



公園にあるようなカーブした階段を
とととんっと登れば-

一の森山頂に到着です!
山頂は平らかな広場になっていて、
その昔、運動会など各種行事に使われてきたグラウンドがありました。
そのほか、日浦の目出度町にあった大山積神社が一時期、
ここに移転してきてたそうです。
いまは草ぼーぼー、奥にアンテナ施設があるだけです。

グラウンドで行われていた運動会風景です。
小中学校、地区や職場対抗など、
様々な行事が行われていたそうです。

三角点を探してアンテナ施設の方へ行ってみました。



携帯電話関係のアンテナかなぁ。

奥へ行ってみたけど、三角点、見つからず。

代わりに、見えた新居浜の街。

間もなく、夕暮れ時、空が少し黄金色を帯びてきてました。

生い茂った雑草のせいで、三角点はついに見つからず、
草の下から見つかったのは、
へんてこなキノコばかり。
長居してたらニョロロにも出くわしそうだったので、あきらめました。

  

西赤石山から銅山越え、西山にかけての稜線も西日に染まり始めていました。
今日もまたいいお山歩が楽しめました (^_^)

ひとりごと

日がだいぶ傾いてきたので、急いで一の森へ向かいました。
登り始めると、すでに登山道は薄暗かったです。
ヤブ蚊とかブヨとか、ブイブイ、襲ってくる時間帯ですが、お山はもう秋。
カメラをじっと構えてたりしたけど、一度も刺されませんでした。
山頂までは10分前後、あっという間です。
山頂は平らかで、運動会も開かれていたというグラウンドがあった場所ですが、いまは草ぼーぼー。
おかげで、大山積神社の跡も、三角点も見つけられませんでした。
三角点は、グラウンド中を20分くらいは探し回ったかな。
ぐるぐる、うろちょろ、ちょろちょろしたんですが、雑草が深く生い茂ってたせいでダメでした。
ニョロロを刺激してもよくないので、あきらめました。
帰宅後、国土地理院の「点の記」をチェックしましたが、古い記述でよく分かりませんでした。
冬枯れてる季節じゃないと、見つけにくそうです。

山頂にあった大山積神社は、元々は日浦側、目出度町(めったまち)にありました。
別子銅山の歴史と深い関係があり、採鉱の中心地が日浦から東平へ移った際に、大山積神社も遷座してきました。
その後、端出場に中心地が移行すると神社もまた遷座し、いまの場所(山根公園の横、銅山記念館のところ)に落ち着きました。
開坑間もない元禄4年(1691)から銅山を見守り続けてきた神様です。
坑夫たちの氏神様で、坑口に奉られていた御祭神に拝礼してから入坑していったそうです。
日浦の神社跡にひとり残されて留守番してた狛犬さんにまた逢いたくなりました。

一の森のお山歩で、東平お散歩はすべて終了。
帰りはエコ下り(エンジンオフして地球に引っ張ってもらう)で、往きに撮り損ねたものを撮り直しながら、のんびり下りました。

さて、「東洋のマチュピチュ」、旧別子銅山の東平を旅したわけですが、個人的な感想は、マチュピチュっぽさは日浦の方が上かな。
日浦には、東平の巨大な貯蔵庫跡みたいなラスボスはありません。
でも、ちょっとした登山を強いられるけど、点在する中ボス的な遺跡が次々に現れる感じが楽しかったです。
東平は、娯楽場や病院、社宅の跡など草まみれな部分が多いし、ラスボス(貯蔵庫跡)を先に見たらほぼお腹いっぱい。
起承転結の結から見ちゃった感じになっちゃう。
クルマで来た人たちのなかには、ラスボスを見たら、第三通洞とかパスしてすぐに帰ってった人も見かけました。
インクライン跡の220段の階段の上り下りで、もういいやってなった人もいたみたい。
見て歩く順路、順番も大事かなと思ったり、クルマで来てちゃちゃっと見られる利便性も善し悪しだなぁと感じたりしました。
社宅跡とか草刈りしてどんどん露わにしていって、駐車場から見ても分かるくらいになったら、もっとマチュピチュっぽくなると思います。
分かりやすい解説版の設置含めて、見せ方を工夫していったら東平はまだまだ面白くなりそうです。

今度来たときは、見逃した歴史資料館に必ず行くぞ。
さらに上部鉄道跡へ!
西赤石山へ!

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