東平と一の森
一の森へ | |||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨ | |||||||||||||||||||
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①最後に、駐車場からも見える一の森に登ります。
登り口は帰路にあります。
②銅山の里自然の家
まで戻ります。集会所棟裏に上がる階段が登山口です。
大山積神社跡(東平) |
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住友家が元禄4年(1691)の開坑直後に、鎮護の神として大三島にある大山祇神社の分霊を旧別子の縁起の端に奉祠し、大山積神社を建立した。 |
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おおやまずみじんじゃあと(とうなる) 小学生用解説 |
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住友家が銅山を始めた1691年頃に、守り神として旧別子に建てた神社。 銅山施設が銅山峰の南側から北側に移り、神社も東平に移った。 神社のお祭りの時には、神社前の広場で大相撲が行われてにぎわった。 |
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建物の裏を入って行きます。
不法侵入な雰囲気ですが、大丈夫。
ちゃんとした登山道です。
③裏から出たところに石垣と道標が。
「一の森へ →」、昔からの登り口です。
踏み跡をたどり登ります。
④道はとてもジグザグになっています。
右にくいっと折れるところは西日が差してまぶしい。
⑤古い石垣を横目に登り、ジクっと曲がって-
西日の差すところでまたザクっとターン。
⑥路肩が大木ごと崩れてました。
⑦まもなく山頂ってところに小さな小屋。
小屋下でターンすると、
山頂の石垣や、崩れた石垣の岩があったりして-
⑧公園にあるようなカーブした階段を
とととんっと登れば-
一の森山頂に到着です!
山頂は平らかな広場になっていて、
その昔、運動会など各種行事に使われてきたグラウンドがありました。
そのほか、日浦の目出度町にあった大山積神社が一時期、
ここに移転してきてたそうです。
いまは草ぼーぼー、奥にアンテナ施設があるだけです。
グラウンドで行われていた運動会風景です。
小中学校、地区や職場対抗など、
様々な行事が行われていたそうです。
三角点を探してアンテナ施設の方へ行ってみました。
⑨携帯電話関係のアンテナかなぁ。
奥へ行ってみたけど、三角点、見つからず。
代わりに、見えた新居浜の街。
間もなく、夕暮れ時、空が少し黄金色を帯びてきてました。
生い茂った雑草のせいで、三角点はついに見つからず、
草の下から見つかったのは、
へんてこなキノコばかり。
長居してたらニョロロにも出くわしそうだったので、あきらめました。
西赤石山から銅山越え、西山にかけての稜線も西日に染まり始めていました。
今日もまたいいお山歩が楽しめました (^_^)
ひとりごと | ||
日がだいぶ傾いてきたので、急いで一の森へ向かいました。 山頂にあった大山積神社は、元々は日浦側、 一の森のお山歩で、東平お散歩はすべて終了。 さて、「東洋のマチュピチュ」、旧別子銅山の東平を旅したわけですが、個人的な感想は、マチュピチュっぽさは日浦の方が上かな。 今度来たときは、見逃した歴史資料館に必ず行くぞ。 |
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