北梅本から

高森山(たかもりやま)
愛媛県松山市北梅本・川の郷、東温市樋口・山之内
標高723.9m
▲山頂の三角点
点 名 山之内
種別等級 三等三角点
地形図 松山北部
緯 度 33°50′33″.0441
経 度 132°52′52″.6286
標 高 723.94m
所在地 愛媛県温泉郡重信町大字山之内西河原樋1267番

高森山は、松山市と東温市(旧重信町)の市境にそびえる、二つのピークからなるお山です。

東三方ヶ森から西へ向かう東温市の市境尾根が重信川に沿うように南へカーブし、東温の扇状地に向かって高度を下げる辺りに高森山はあります。

北奥にあるピークが三角点のある最高峰です。
麓からも眺めることができるお山ですが、地形図上では無名峰となっています。
山名の“高森山”は、明治期の古地図『久米郡地図地誌付』などに見られます。

『久米郡地図地誌付』から。

同じく無名峰の岩伽羅山と並んで記載されています。
古地図が作成された当時は、久米郡と温泉郡との境に位置していました。
(西麓の北梅本村はこの後、合併で小野村となり、温泉郡に編入された後、松山市に編入されました。
東麓の樋口、山之内村は、合併の結果、北吉井村→重信町→東温市となっています。)

松山市と旧重信町域の共有山林となっている山頂付近や林道沿いは針葉樹の植林帯が目立ちます。
広葉樹林も混在し、森を彩る雑木林な自然林も少なくありません。

植林帯管理用の林道が市境の南尾根に沿って取り付けられています。
起点はツインドーム重信がある東温市総合公園付近、終点は山頂直下で、標高660m付近までアクセスすることができます。
林道が開通する以前、昭和40年代頃までは、東側の荒木谷地区から山頂直下にあった炭焼き小屋まで続いていた小道があったぐらいでした。

南に延びる尾根には中世城郭の城跡が点在しています。
山頂から東南へ延びる尾根にあるのが岩伽羅城址、衣掛城址で、市境尾根から東へ派生した尾根には吉山城址です。
衣掛城と吉山城は岩伽羅城の属城だったとみられています。
南北朝末の築城と推測される岩伽羅城は、天文年間の頃、和田通興が居城しました。
山之内に後陣として烏ヶ嶽城、麓城の二城を構えるなど、武威を誇っていました。
そのためか、当時の最大の有力者で同族でもあった河野氏に対して叛意を抱き、平岡房実に攻められ、落城しました。
豊臣秀吉の四国侵攻により、近隣の城はすべて廃城となりました。

高森山山頂直下まで延びる林道は、岩伽羅城址を訪ねるための登山道にも利用されています。
林道沿いには、北吉井小学校を始め、地域の有志の方々が整備された道標やベンチが設置されています。
高森山の登山口と岩伽羅山の登山口は同じ場所、林道終点にあります。
ひとまず、「←岩伽羅山」と書かれた道標にしたがって来れば迷うことはありません。
また、尾根上に複数存在する四国電力の送電鉄塔を保守管理する巡視路などでも登攀は可能です。
ただし、林道終点から先は整備された登山道はありません、尾根伝いに山頂を目指します。

高森山
4.2km
1km 東温総合公園 3km
11km 300m 川内IC
 志津川
14km
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