菊間町・瓦のふるさと公園から

  

大西町・藤山健康文化公園から

  

河之内ふれあい農園から

大河内山(おおこうちやま)
愛媛県今治市菊間町・玉川町・大西町
標高450.9m
別名:茶沸山・茶沸峠・鎗ノ尾山
▲山頂の三角点
点 名 川ノ内
種別等級 三等三角点
地形図
緯 度 34°01′15″.7118
経 度 132°53′54″.8443
標 高 450.89m
所在地 愛媛県越智郡大西町大字山之内乙366番4
大深山(おおみやま)
愛媛県今治市菊間町・大西町
標高421m
※三角点はありません。

大河内山大深山は、今治市の旧菊間町と旧大西町との境にある、テレビ塔が林立するお山です。

大河内山と大深山は、海岸からも内陸からも見晴らせるお山です。
菊間から大西にかけては、海沿いに民家が集中しています。
その地域住民と、瀬戸内海上を往来する船舶に対し、テレビやラジオ、携帯電話の電波を届ける電波塔・中継所建設の候補地に選ばれました。

両山ともに現代の地図上では無名峰扱いとなっています。
明治期の地図上でのみ、山名が確認できます。

野間郡地誌付より

越智郡地誌付より大深山の山名は野間郡の古地図上から確認できます。

一方、大河内山の位置は、野間郡の古地図上では茶沸(ちゃわかし)山・鎗ノ尾山と記載されています。
越智郡の古地図上では羽藤山の文字も見られます。
茶沸(ちゃわかし)山という山名は、南麓に流れる「茶ワカシ川」にその名残を見ることができます。
「菊間町誌」には、茶沸峠という呼称も掲載されています。

大河内山の名は、大西側の谷にある集落・大河内地区に由来するものとみられます。
その山名は「大西町誌」に通称として記載されています。
山頂に「龍岡無線中継所」と呼ばれていた無線中継所が設置されたのは、昭和20年10月のことで、大阪~福岡間の無線を中継していました。
戦後の占領下には、占領軍の電波中継所になり、アメリカ人が駐在していました。
その後、船舶の電話サービス中継基地局となり、現在は携帯電話の基地局がそびえています。

大深山は、いまでこそ、周囲を高い木に囲まれ、展望の乏しい山頂ですが、アンテナ建設当時は見晴らしもよかったようです。
そのため、ドライブやハイキングのコース(菊間側)にもなっていました。
テレビ塔が建てられたのは昭和39年9月、NHKが、続いて、南海放送、テレビ愛媛と中継所が開局していきました。
そのため、地元ではテレビ塔の山として親しまれてきました。

両山ともに菊間側を起点にアクセスできます。
山麓へ通じる県道164号玉川菊間線沿いには菊間の観光名所になっている二つの滝、歌仙の滝と霧合の滝があります。
歌仙の滝は四国八景に選ばれた名瀑でしたが、水量が少なく、上流にダムを持つ霧合の滝の方が迫力があります。
滝までの道中は休憩所やトイレなど、公園として整備されています。
えひめ森林浴88ヶ所の61番に指定されるなど、春はサクラ、秋はモミジが来園者を出迎えます。
高さ67mの落差は県下で10番目です。
2段になっていますが、細かく見ると36回屈折しています。
そこで、和歌の名人36人の総称である「三十六歌仙」にちなんで、歌仙の滝と名付けられました。
滝の側には「滝見観音」が安置された観音堂があります。

古くは「古滝」とも呼ばれていた霧合の滝は、急カーブする県道沿いから見ることができます。
上流にある歌仙ダムから供給される豊富な水量のおかげで、常に水しぶきをあげています。
水は岩壁の横から流れ込んできて、雄滝と雌滝に分かれて落下しています。
往事には水行も行われていました。
この滝にも観音堂があり、平成15年8月に焼失しましたが、平成17年9月、地元信者さんらによって再建されました。

大深山へ通じる道沿いは文字どおり、深い山中ですが、大きな農地が2ヶ所、開園しています。
ひとつは、平成18年4月に今治市が開園した「河之内ふれあい農園」で、市民農園のほか、ふれあい館や展望広場も併設されています。
ブドウ、梨、桃、ブルーベリーを有料でもぎ取りできる農園もあります。
もうひとつは、民間の「にいずのゆうきガーデンファーム」です。
130アール(甲子園球場同様の広さ)の農地で年間約50種類の野菜が栽培されています。
こちらにも見晴らしのいい「山楽台」という場所があります。

大深山
菊間 9km
北条 12km 3km
大河内山 13km
3km 2km
3km 玉川
葛谷
15km
16km
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