黒滝山・木久ヶ森
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登山口~黒滝神社奥の院
距離 約500m
標高差 約210m
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり
危険・行き止まり

黒滝神社登口の碑がある場所から登ります。
すぐ隣の岩の上にある碑には-

「丹原町指定天然記念物 黒滝神社社叢」。
この後、道々、大木に出会える登山道なんですが-

  

碑に向かって右斜めに登り始めるものの-

まったく道らしくありません。
木の根を足がかり、手すり代わりに登ります。

そのすぐ後も道がない…。
木の根を上手につかんでよじ登ります。
ここまでの場面だけでも結構、ハラハラするので、
このルートじゃなく、登山口をスルーして滝の方へ行く、
堤防脇のくの字の階段を使って入山した方がいいかも。



ただ、この正規の参道を使うと、鳥居をくぐれます。

鳥居があるってことは、当然、こちらが正しい参道ですが、
この鳥居、なぜかめっちゃ低くて、頭を下げないとくぐれません。

この通り、背伸びをしなくても石を載せられる位の高さ。
わざと(こうべ)を垂れる高さにしてあるんだったりして。

鳥居の後ろにはかすかな踏み跡があります。
大木があったのだろう、苔むした切り株の脇を歩き-

ジグザグに高度を稼ぐ踏み跡を見失わないよう、
慎重にたどります。



  

こんな傾斜の斜面です。
堤防上にある階段からの道がここで合流します。

右にくぃっと曲がった後もこんな斜面が連続。

下山時の目印にもなる、朽ちた大きい木の根。
この先でまたくぃっと曲がります。



もう、踏み跡も見分けにくい急坂。
先人が残してくれた赤テープがあるから道だって分かるくらい。
でも、この先、赤テープはまばらにしかないので、当てにしないように。



大木と地を這うタコ足のような木の根。
ルート的には尾根っぽい地形を登っていくのですが、
道がはっきりとしていないため、
帰りのことを考えると道迷いしそうな気が少ししてきました。
後で迷わないように、木も木の根も地形も記憶によく焼き付けとかなきゃ。



踏み跡や古いテープをたどっていたのに-

  

倒木の濃い枝に遮られ、かき分け進むこともままならなくなりました。
だったら、左の斜面をよじ登るしかないか…と、見上げてみると-

数mもよじ登れば明るいところに出られそうでした。
よく見ると赤テープもひとつ、ありました。
最近、同じようによじ登った人がいたみたい。
慎重に、雑木をかき分けつつ、よじ登ってみると-



日の差す場所に出ましたが、それは大木が倒れてできた日だまりでした。
よじ登った先は、大きく2方向に分かれた格好で倒れてる倒木の間。
下の道を塞いでた倒木の枝葉は、この倒木の写真右の部分になります。

根元の少し上で木は折れてました。
寿命か、腐食か、強風・落雷などの影響か、
分からないけど、凄まじい折れ方してました。
左に倒れてる部分をくぐって向こう側に出たら-

それはそれは大きな木が待っていました。
西条市の「巨樹30選」に選定されているウラジロガシで、
幹周りは740cmもあります(選定時のデータ)。
森の主のような圧倒的な存在感で、
離れがたいような、しばし見とれてしまいました。
谷側から見ると、複数の木が寄せ集まって一本の木になったような荒々しい幹ですが-

後ろに回ってみると、大きく二股に分かれて見えました。

股の部分から。

各地で県指定の天然記念物に指定されているウラジロガシは、
森林開発や伐採等で生育地が減少してるそうです。

ウラジロガシの背後に続く、
尾根筋をたどる登山道の踏み跡。
この部分は緩斜面で歩きやすかったのですが-



この辺りからまた急坂になり、また踏み跡が不明瞭になりました。
この登山道は黒滝神社の参道だったはず…
なのに、なんで道がはっきりしてないんだ…。
そう思って、道が判然としない急坂を見ているととても不安になりました。
どこかで道を間違えたのか…?と。

実は訪問時、ここで一旦、引き返すことに決め、登山口まで下山してます。

ツツジを愛でてるどころじゃありませんでした。
登山口から登り直し、見落とした分岐がないか、
よくよく見ながら歩きました。
の鳥居で参道として正しいことを改めて認識し、
踏み跡を忠実にたどり登ると-

40分前に引き返した場所に帰ってきました。
やっぱり、この道無き急坂が正しいルートのようです。
神社の参道だったとは思えないんですが、
ほかに道は無いので、覚悟してよじ登りました。
(足がかり、手がかりが少ないので下山時が大変でした。)

でも、登っていると道だったらしい踏み跡が次々に目に入り-



  

尾根に出ました。

森の中の小さな支尾根です。

踏み跡たどって尾根歩き。



凸型だった尾根が次第に丸くなってきました。
こういう地形は下山時に下る方向を間違えやすいので、いろいろ注意が必要です。

木の根につまずかないように気をつけながら登っていると、
踏み跡は右斜め上に現れた支尾根を避けるように一旦、左にそれた後、
右に向きを変えて、支尾根を登ります。

急坂をえっちらおっちら。

※帰路、この支尾根から下る場面で道を間違えそうになりました。
下る場所は正しかったのですが、
急坂を降りてからの歩き出しの方角を間違えたようでした。
尾根の外側は崖になっている部分もあり、
不用意に下ると滑転落の恐れがあります。
登ってるときにたまに振り返って、
下るときに見るだろう風景を記憶しながら歩いておくと安全です。

そんな急坂にそびえ立つ大木。
「木を隠すなら森の中」とはよく云ったもので、
目の前に立ってようやくその大きさに気がつきました。

古来より、スギの巨木は天界と地上界を結ぶ重要な存在でした。
神様はスギの木を伝って地上に降臨され、天界に昇天されます。
だから神社にはスギがよく植えられ、ご神木になってたりするのです。
こういう大きなスギの木は神様が降りてくる足がかりになるので、
不用意に伐採なんかしちゃうと神様に見放されちゃうのです。



  

南に向かって飛び出す、突き出し支尾根に載りました。
写真左が山側、右が谷側です。



尾根の先端に行ってみました。

歩いて下れないほど切り立っているので、逆に視界は良好。

  

うっ(^^;) ピンぼけ…。
道前平野から石鎚山まで、こんな景色を眺めることができます。

  

石鎚山から堂ヶ森までをアップで(ピンぼけてなくてよかった (^^;) 

石鎚山頂、弥山・天狗岳をアップ。

こちらは西ノ冠岳。

少し移動すると瓶ヶ森も。
今年は大雪降ったから、まだまだ白かったよ。

麓、松山自動車道が通ってる辺り。

眺めを堪能したら、尾根をお山に向かってたどります。
でも、目をこらさなくても、緑のトンネルの向こうに見える距離に-



黒滝神社奥の院がありました! 到着っ!
結局、参道らしい、道らしい道には出会えず仕舞いでした。

手前の大木には注連縄が巻いてありました。
田滝の人たちが奉納したもので、戦前はもっと太かったそうです。

入口を抑えるようにある大岩にも注連縄。
昔、お社に籠もって踊りを奉納する雨乞いが行われていましたが、
見事な舞に魅せられたのか、この大岩が動いたことがあったそうです。

石灯籠は左右に一基ずつ。

石の灯籠もお社の部材一つ一つも、
あの急坂を登ってここまで担ぎ上げた人がいたわけで、
その信心深さに頭が下がる思いがしました。

右の灯籠は倒木の枝が絡んでました。

奥の院の拝殿です、手前の木にも注連縄が巻いてあります。

では参拝、二礼二拍手一礼…。

賽銭箱の横に小さな木箱。

文箱のようで-

「黒瀧神社参拝 御芳名帖者」

ノートが数冊入ってました。

左の紙束が最も古いもののようで、赤と-

黄色が昭和55年10月まで、右のノートが最新、まだ余白があります。

振り返って。
無事お参りできて、やっと一息着けました。

拝殿左に立つ碑には、
「黒滝神社拝殿新築記念 昭和55年10月吉日」。

拝殿左横にぞびえるヒノキも巨樹です。

妖精が棲んでそうな洞のある根元から、
見上げると首が痛くなりそうなくらい、
まっすぐ天に向かってそびえてます。

拝殿側の枝は伐採してありました。
落下して拝殿の屋根を壊す恐れがあるからでしょう。
神様も昇り降りしやすそうな枝の名残でした。

山側の根元から瓦が顔を出してました。

多分、改築前の古い拝殿に使われていたものでしょう。

後ろの本殿を見学。
柵の内側、本殿の隣に-

石積みの塚がありました。
なんだろう?と思ったら-

「前盛塚 神助四郎左衛門霊神」の碑があり、
黒瀧大権現の起源にまつわる人を祀ったものでした。

本殿の屋根を見ると、外削ぎの千木と鰹木が3本。
外削ぎの千木、奇数の鰹木は男の神様を表していると云いますが、
実は俗説で、そうじゃない神社も多く存在します。
現に、黒滝さんは石鎚さんを兄に持つ妹、女の神様です。
神社の祭神も伊弉冊尊(いざなみのみこと)
菊理姫神(くくりひめのかみ)など女神揃いです。

本殿を後ろから撮ってみたところ-

後ろの壁にたくさんの落書きが…。

本殿は神様の借り住まい場所、その壁に落書きをすることは、
神様を穢すに等しい行為。
いくら武運長久を祈ろうが、願いが通じることはない。

ひとりごと

正直、もっと楽に登れるものと思っていました。
まさか、まぁまぁマジな登山になるとは…。
だって、昔から踊りや注連縄が毎年奉納されてきた神社の参道なんですから。
だって、西暦788年頃まで由縁を遡ることができる神社なんですから。
祠しかないならともかく、ちゃんとした拝殿・本殿を持ってる神社なんですから。
子供だって歩けそうな参道があると思うじゃないですか。
なのに、登山口すぐの急坂はぼろぼろな斜面で、木の根を使ってやっと登れる有様。
その後も、けもの道に等しいかすかな踏み跡を、目をこらしてたどり歩かなきゃなんない。
道無き尾根歩き…。
ウラジロガシを過ぎた辺りからものすごく不安になってきました。
まだちゃんとした参道があるものだと思い込んでいましたから、目の前に道無き急坂が現れた瞬間、間違ってる、と思いました。
登山口、スタートから間違えたのか、途中のどこかで道を間違えたか、どっちかだとしか思えなくなりました。
気分的には道迷い一歩手前。
道迷いで一番気をつけなければいけないこと、おかしいと思ったら、まずは立ち止まること。
確証もなしに不用意に前進しないこと、戻ること、です。
現在地はハンディGPSで掴めていて問題なかったのですけど。
GPSで記録されている過去の軌跡を見ると、地形図に点線で記されているルートとは大きく異なっていました。
ああ、やっぱり、と云う思いが強くなりました。
距離的には神社にかなり近づいて引き返すのはもったいないくらいの高さまで来ていましたが、引き返しました。
道迷いはしたくないし、ムリして急坂を転げ落ちでもしたら最悪ですし、間違ったルートなんか紹介できないですから。
下りもずるずるしながら降りる感じの急な坂ですから、やっぱりこの道、間違ってたんかなぁ、と思いながら下りました。
かなり下ってきたところで、下る明瞭な踏み跡が目に入り、そっちへ下ってみたら、登山口の先にある大きな砂防堤の上に出ました。
登山口から左に行き、砂防堤脇の急階段を登ったところです。
その砂防堤に降りるところは階段状になっていて、登山口から右斜めに登るより安全でした。

河原に降りて、地形図が指し示す点線のルートをたどろうと、上流へ歩き出しました。
今度はふたつの沢、ふたつの砂防堤が立ちふさがりました。
上流に向かって右にある堤防から登るように、地形図には点線が書かれていますが、そんな道は見つけられませんでした。。
上流へ来たついでに、登山口の看板に書かれてた滝も見たくなりましたが、堤防が結構、高かったので、やめました。

砂防堤脇の階段で登山口に戻り、もう一度、チャレンジ。
今度は見逃すまいぞ! ってな感じで、登り返し始めました。
すると、あっさりと、あの背の低い鳥居の場所に戻りました。
やっぱり、この道が正しいんだと再認識しました。
鳥居は普通、参道にあるもんですから、ルート的には正しいわけで。
降りてきた道をもう一度登り返しながら、目を皿にして、鳥居の先へと歩きました。

でも、結局は、さっき引き返した場所に到着。
心境的にはもう、ここから先は腹を決めて登るしかありませんでした。
そのあとは、踏み跡をたどりにたどって、やっと黒滝神社にたどり着くことができました。

苦労して、いざ、山頂などに着いたとき、全然別の方向にちゃんとした道が見つかってガッカリ、なんてことも、まれにあったりします。
でも、黒滝神社にはほかに道はないようでした。
ちなみに、下山後、念のため、黒滝神社を訪ねられた方方のブログなどを拝見させて頂きました。
みなさん、同じルートを登られてました。
昔から踊りや注連縄が毎年奉納されてきた神社の参道なのに…。
西暦788年頃まで由縁を遡ることができる神社なのに…。
祠しかないならともかく、ちゃんとした拝殿・本殿を持ってる神社なのに、あの道…。
昔からああなのか、いや、昔はもっとちゃんとした道があったのが、戦後、信仰心の勢いの衰えとともに、荒廃してしまったのか。
分からないけど、現状は結構、大変です。
拝殿の参拝者ノートを見たら、筆跡が子供のものもありました。
引率役の大人も大変だったろうなぁ。

さて、黒滝神社についてです。
上記や前のページでも一部触れましたが、黒滝神社は田滝地区で「黒滝さん」と愛称される神社です。
起源は弘法大師が唐から帰国した頃の時代まで遡ります。
三河の国から来た落武者で猟師の神介四郎左衛門が、権現谷で見つけた大猿に向かって12本の矢を射かけました。
でも、一本も当たりませんでした。
すると大猿が「われこそは当山にすむ黒瀧十二社大権現なるぞ!」と言い放ち、12枚の神鏡に変化しました。
神介四郎左衛門は社殿を設けて神鏡を祀り、猿を社の神使としたのが、黒瀧大権現の起源です。
本殿の所にあった「前盛塚 神助四郎左衛門霊神」の碑の主のお話でした。

戦前、黒滝神社は、戦争の弾丸除けの御利益があるとかで、東予地方を中心に安全祈願に訪れる人たちが多かったそうです。
最初、大猿に一本の矢も当たらなかった神社由縁の話からそういうことになったのかなと思いました。
けれど、よく調べてみると、日露戦争で戦った田滝地区の青年らのほとんどが元気に帰ってきた話が口伝えで広がったからのようです。
でも、矢の当たらなかった黒瀧大権現をずっと崇めていた田滝の人たちだったから、銃弾も当たらなかったのかも。
そう思えば、遠からずって感じもします。

石鎚さんと黒滝さんは兄、妹の関係だそうです。
ふたり(?)はある日、石の投げあいっこをしました。
黒滝さんの投げた石は石鎚さんの庭まで飛び、石鎚さんの投げた石は黒滝神社の拝殿の奥まで飛んできました。
(逆に、黒滝さんの投げた石は石鎚山の頂上まで、石鎚さんの投げた石は田滝までしか届かなかったって話もあります。)
そのせいで、兄妹喧嘩に発展、その影響は神社の氏子たちにも波及し、田滝の人たちは石鎚山には一切登拝しないんだそうです。
石鎚山に登ると、鎖から振り落とされるんだとか。
ああ、黒滝神社にお参りした後で、石鎚山の鎖は登らない方がいいかもね。

これは、石鎚信仰と黒滝神社に影響を及ぼしているとされる熊野信仰との対抗関係が反映した伝承だとされています。
その熊野信仰の影響を匂わせるのは、さきの大猿の話が『熊野権現御垂迹縁起』に似ているからです。
『熊野権現御垂迹縁起』は、現存する熊野縁起最古の文献です。
南河内の住人、熊野部千与定という犬飼(猟師)が、体長1丈5尺(約4.5m)もの猪を射ました。
その肉を食べ、木の梢に「我は熊野三所権現である」と答える月を見つけた話が載っています。
種類こそ違え、猟師が大きな動物と出会うこと、自分は神の化身であると答えたこと、など。
熊野信仰の影響を感じます。

さて、この奥の院のちょっち、不思議なお話も載せておきます。
まずは、境内入口、ちょっとお邪魔な場所にある大きな岩。
あの岩は、雨乞い踊り=お廉踊りを奉納しているとき、微かに動いたことがあったそうです。
次は社殿。
お廉踊りの口上にも出てくる話ですが、黒滝神社に泊まると、夜中に必ず神神楽を奏でる笛や太鼓の音が聞こえてくるそうです。
天狗かなにかの仕業だとか。
僕が訪ねたときは、岩は動かなかったし、笛や太鼓の音も聞こえなかったです。
お昼間だったからかも。
遭難でもして、神社に泊まらなきゃならなくなったら、遭えるかも。
電気もない社殿で一夜明かすだけでも、聞こえない音が聞こえてきそうですけどね。

愛媛県神社庁掲載の黒滝神社の主祭神をあげておきます。
・伊弉冊尊【いざなみのみこと】
・菊理姫神【くくりひめのかみ】
・速玉男神【はやたまのをのかみ】
・事解男神【ことさかのをのかみ】
・闇於加美神【くらおかみのかみ】
・人霊

登山道・参道を登っていて、倒木に遮られて尾根に直接よじ登ったときに出会ったウラジロガシ。
ホントに圧倒的な存在感でした。
その前の倒木自体も馬鹿デカくて驚きましたけど。
ウラジロガシの幹周は7.4m、樹高は15mもあります。
黒滝神社の森・社叢は、西条市指定の天然記念物。
拝殿横のヒノキも巨大でしたが、大木と呼べるものが、47科155種もあるんだとか。
これまで何度も云ってますが、登山道は不明瞭な部分が多く、下山時は方向を間違えやすいです。
そんなとき、ウラジロガシなど、大きな木はとても良い目印になります。
あの木のところで曲がったなとか、あの木のところで尾根に出たとか覚えておけば、下山時にとても助かります。

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