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城の山(じょうのやま)
愛媛県北宇和郡松野町松丸・富岡
標高172m
別名:サイレン山
※三角点はありません。
城の山は、北宇和郡松野町にある、国指定の史跡・河後森(かごもり)城址のあるお山です。

県境の町・松野町の中心部・松丸は、鬼ヶ城山系と戸祇御前山系、1000m級の山山の挾間で蛇行する四万十川の支流・広見川が形成した河岸段丘と氾濫原の松野盆地に位置しています。
広見川の南岸、松野町庁舎や松丸駅、小学校などの後背にある小さな丘陵が城の山です。
鬼ヶ城山系の支脈が平野に没する先端に位置していて、前を広見川、左右をその支流・堀切川と(いわし)川に挟まれ、独立丘陵のような体をしています。
山を包む自然林は生活環境保全林として保護されています。
上空から見ると「∩」な馬蹄形をしていて、中心部に風呂ヶ谷と呼ばれる谷が入り込んでいます。

地形図上では無名峰ですが、地元では城の山と呼ばれ、その名が示す通り、山頂には「河後森城」、皮籠森城、向後森城などの別名もみられる中世城址があります。
城跡調査が本格的に行われたのは平成に入ってからで、しばらくは口伝と要害を思わせる急峻な崖地形だけがそこに城があったことを伝えるのみでした。

河後森城の歴史は、築城期は不明、鎌倉時代の建久7年(1196)、渡辺源七郎兵部少輔源連が入城した記録が残っています。
南予地方の支配者が承久の乱(1221)によって没落した橘氏から、藤原北家閑院流の一門、西園寺氏に変わった頃です。
西園寺氏の下には「西園寺15将」と呼ばれた土着の在地領主がそれぞれの地域を治めていました。
土佐や豊後からの侵攻に対する軍事同盟のようなもので、時に翻意するものもあり、西園寺氏の支配は盤石とは云えない状況が永く続きました。
戦国時代の河後森城の城主・渡邊教忠は、西園寺15将の中でももっとも大身の1万6500石を領していました。
領地は黒土郷河原淵領と呼称され、河後森城を中心に、現在の松野町や広見町、日吉村まで支配が及び、領内に多数の支城を有していました。
教忠は隣国・土佐の一条氏からの養子でしたが、計略により一条氏を滅ぼした長宗我部氏の圧迫を受けるようになると、長宗我部氏に通じていた家臣の芝源三郎に城主の座を譲り、歴史の表舞台から姿を消しました。
長宗我部氏が四国統一に動いた時期、河後森城も長宗我部氏の手中に落ちましたが、豊臣秀吉の四国攻めにより長宗我部氏が敗北すると、河後森城を含む宇和一帯は小早川領となりました。
藤堂高虎が宇和島に城を築いた際、河後森城の天守は移築され、宇和島城の月見矢倉になったという話が残っています。
しばらくは城代が置かれていましたが、徳川政権が成立し、一国一城制度が実施され、廃城となったと考えられています。

昭和63年度から平成2年度にかけて実施された町内遺跡の詳細分布調査による部分的な発掘調査や、平成3年度から平成10年度にかけての本格的な発掘調査により、3ヶ所の頂に時代ごとにそれぞれ築かれた本城、古城、新城の3つの主郭を含め、33にも及ぶ郭や、堀切、土塁、堅塀、石積みが明らかになりました。
予土国境に位置し、一条氏、長宗我部氏から真っ先に蹂躙される侵略口にあったためか、在地領主の城にしては強大堅固な規模となったようです。
その規模と良好な保存状態により、平成9年9月11日、城跡は国指定の史跡となりました。
平成11年には松野町による『史跡河後森城跡保存整備基本計画』が策定され、20haを超える広大な城跡は発掘調査結果そのままに保存、遺構の復元が行われることが決定しました。
西部、本郭、東部、新城、風呂ヶ谷の5つのゾーンに分けられ、各所から登ることができる遊歩道(登山道)や、往時の姿を垣間見ることができる深い堀切、西第10郭には再現された掘立柱建物、最高地点の本郭には主座敷などの柱が確認された位置に印がつけられるなど、整備されています。
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