松野町の城の山
へ行こう!
お山について登山口・ルート登ってみよう!メールホームへ
本郭(山頂)~古城~新城~風呂ヶ谷
距離 約200m
標高差 約30m
一般道
徒歩
下記写真の場所
距離 約300m
標高差 約5m
距離 約600m
標高差 約50m
  

では、「古城」「新城」を巡って下山します。
「主殿舎」の後ろに降りる小径があります。

またちょっと木陰の道。
東向きにカーブして下ると-



本郭ひとつ下の郭、東第2郭がありました。
さらに下の郭には林があって直には降りられないので-

  

また脇の小径を下ります。
ジグザグ-

  

ジグザグ。



東第3郭へ。

「← 古城・新城 本郭 →」

 

  

郭の北の山影に、永昌寺・城跡石碑からの登山道(遊歩道)があります。

駅へとっとと下りたい人はこちらからどうぞ。

「← 東第三曲輪 JR松丸駅→」

第3郭から第4郭にかけては地続きです。
その先の古城まで、緑の草原が繋がっている感じで、
夏草がぎらつく日差しに輝き、まさに緑燃える、
ものすごく居心地がいい場所です。
ルートは、ゴルフ風に表現すると、
「左曲がりのドッグレック」かな (^_^)



東第4郭。
奥に見える「古城」の郭ももう目の前ですが-



分断されてます、「堀切」です、幅も深さもいままでで一番です。

右から迂回して降り立つと-

その規模がよく分かります。
底に立つと外が見えない深さ。
堀切に落ちてヤリでブスブス…、矢でグサグサ…、ィヤだよう (T_T)
さて、底は固められ道になっています。

先はまた遊歩道になっています。
永昌寺の墓地に出て天満神社に下れるようです。

では、「古城」へ。
脇の道を登り-



古城目前の郭へ。
その段差に色あせた解説板が掲示してあります。

古城での説明

河後森城の内、最初に築城したのが古城で、山裾に今も枡形や井戸がその昔を物語っている。
東に堀切川、北に広見川、西に鰯川があり三方自然の川を外堀とし、堀の内を松丸と言い羅城をなした城が築かれていた。
一朝有事には、国境の奥野川の春日城から蕨生のあさご城へ、吉野の丸山城から眼前の大森城、伝えの一つ、山城へと「のろし」が送られてきた。
眼下の神社も当時は城の一つで戌亥(北西)にある本城を守る要所であった。



そして「古城」に到着!
山上に緑の平地が連なっている風景は異質と云えば異質ですが、
史跡じゃなけりゃ、テントでも張ってゆっくりしたいくらいの別天地です。

北側へ。
城跡らしく足下が急峻な斜面になっているおかげで、
林があってもその隙間から見晴らすことができます。
眼下はちょうど役場の辺りになります、なので-

下から見上げた町民センターが真下に。

センター前から見えたのは、この古城でした。

では、最後に「新城」へ向かいます。

堀切に戻ると、
南側に、風呂ヶ谷へ下るジグザグ道があるので、これを下ります。



  

新城と風呂ヶ谷の分岐。

「← 新城 風呂ヶ谷 →」

新城への道はすっかり山道です。

古城の南斜面の森を横切って行きます。

下を見ると、風呂ヶ谷の草原。
谷に入り込んだ敵はこんな高さから矢をどんどん射られ、
ハチの巣状態にされたわけね (>_<)



  

風呂ヶ谷から直登する道との分岐点。
でも、ロープ規制されて下れなくなってました。

「← 本郭・古城 新城 →」

ここからしばらく、自生ツツジの道です。
夏は緑のトンネル。



古城から新城にかけての長い尾根の上にも、
十数ヶ所の郭が確認されていますが、
草原みたく整備されていないので歩くことができません。
冬枯れた頃に訪れれば、楽しむことができるでしょう。



新城目前の第2郭(多分)はまた草が刈られ、すっきりしています。
奥へ進むと-



新城を取り囲む第1郭ですが、
発掘調査途中らしいシートがありました。

  

その先に登り口があって-



新城に到着しました!
周囲を林に囲まれ、見晴らしは良くありません。
山上にも3ヶ所、ブルーシートがかけられた一画があります。

シートの下になにがあるのかは分かりませんが、
雨水が溜まってシートが沈んでるおかげで、
四角い形状が確認できました。

西側にちょっと開けた部分があって-

  

西第10郭と本郭(山頂)が望めました。

西第10郭。

本郭(山頂)。

と云うわけで、城の山お山歩、終了です。
下山は、ツツジの道を戻り-

の新城と風呂ヶ谷の分岐を下り-




本郭の谷側下斜面を、
カーブしながら横切り下って行き-



風呂ヶ谷へ降り着きました。



そして駐車場へ。
ただいま (^_^)

ひとりごと

河後森城は予土国境という立地のため、一条氏、長宗我部氏との間で度々、戦火に見舞われ、焼け落ちています。
実際、発掘調査中に多数の鉛玉も発見されたとか。
戦の度に地形に手を加え、古城から本郭、新城、西出曲輪など、城(城塞)、構えを増設していったとみられます。
西出曲輪から本郭、古城、新城と、その間に多数の郭、そして堀切。
これだけの規模があって、遺構の保存状態がいい城跡はなかなかありません。
規模で云えば、朝倉・壬生川境にある永納山城跡ぐらいかな。
同様に国指定史跡だし、ぐるっと取り巻く尾根を城塞化してるところも似てる。
ただ、時代が古いので保存状態はそれなりだし、まだ発掘調査中だから、こっちみたいな整備は全然です。

予土国境を守る河後森城は多数の支城・砦を領内に築き、土佐からの圧力に備えていたようです。
あさこ(朝児)城、たかの森城、夷ヶ森城、永昌森城、丸山城、亀が森城、経の森城、高の森城、
高岡城、山瀬城、志摩ヶ城、秋の森城、春日城、勝山城、小森城、松の森城、親行力森城、陣ヶ森城、
西野々城、石崎城、川後滝城、泉が森城、多武森城(塔ノ森城)、大森城(古井城)、竹の森城、
中尾坂城、鳥屋森城、都が森城、徳の森城、薄木城、目黒城、門中城、柳の城、龍ヶ森城…
ざっとリストアップしても、こんなにあります。
まぁ、数十人規模の砦も含まれていると思いますが、河後森城から見渡せる地域一帯、城塞化していたと云ってもいいでしょう。
一方、攻める土佐方も、準備万端整った敵陣に斬り込まなくてはならないんだから、相当の覚悟、犠牲を強いられたことでしょう。

戦に明け暮れた時代に生まれなくて、ホントよかった。
この平和を感謝しなくてはね。

ゴルフコースのようなきれいな草原が連なる城跡巡りはとても心地よかったです。
でも、酷い猛暑、太陽燦燦…。
日なたに長居できないお天気のせいで、体力もどんどん消耗 (-_-;)
おまけに、汗もいっぱいかいたせいで、登山口で塗ってきた虫除けもすっかり落ちた様子。
新城からの帰り道でヤブ蚊に噛まれたわ  (>_<)カイ~ノ
ヤブ蚊め、かゆくなけりゃ、血なんかいくらでも吸わせてやるのに…。

ゆっくり、城跡を楽しんだせいで、駐車場に戻るといい時間。
松山まで戻らなきゃならないし、寄り道したい場所もある…。
ということで、急いで城跡を離れました。
でも、熱中症になったらやばいので、取りあえず、道の駅のちょっと手前にあるコンビニでクールダウン。
それから、松野町を後にしました。

近永方面に進み、国道441号線を北上し、野村経由で帰ります。
目的は、野村ダムのダムカード。
事務所が開いてる夕方5時までに着かなければならず、山道国道をどんどん走って行きました。
国道441号線も十数年ぶりだけど、ほとんど覚えてない…。
照明もない真っ暗トンネルの土屋隧道なんて、覚えててもいいはずなのに…。

ホントに真っ暗 (>_<)
野村町に着いても町なかはスルーして、野村ダムへ。

野村ダム。

なんとか、ダム管理事務所が空いてる時間内にたどり着いて、本日2枚目のカードをゲットできました。

それから町に戻り、スーパーでコロッケとノンアルコールビールを買い、小休憩。
オープン時に仕事で来た「乙亥の里」にも立ち寄った後、やっと帰路につきました。

ルート的には県道29号線で鹿野川ダム湖まで戻り、後は朝来た道をたどりました。

朝7時前に家を出て、帰宅したのは午後8時すぎ。
久しぶりの遠出、大満足でした。

これなら、鬼ヶ城山系にも行けるかな?
って、当然、日帰りじゃなく、テント背負って、だけどね。

ブログパーツ
     
inserted by FC2 system