へ行こう!
道の駅~風呂ヶ谷登山口 | |||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳ | |||
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①登山口を目指し、道の駅からリスタート。
国道に出て近永方面へ左折し、
100mほど先にある信号交差点を左折。
②大門橋を渡ります。
③JRの踏切を渡って突き当たりまで直進。
踏切を渡ってすぐを左折すると松丸駅前へ入れます。
踏切手前に、広見川・四万十川でもよく獲れるウナギの慰霊碑「鰻魂碑」がありました。
シラスウナギの激減で価格高騰中のウナギですが、松野の食堂のご主人曰く、
「ニュースで高くなった、高くなったって云うのでお客さんが減ってる」そうで、
「でも、ウチは値上げもしてないから食べに来て」だそうです。
④車の人はここを右折して1kmほどで登山口。
徒歩の人は左折して残り500mほど。
「← 500m 河後森城跡
駐車場 1120m」
僕はスクーター移動ですが、左折しました。
登山口の前に行くところがあったので。
⑤昭和な雰囲気が残る通りを東へちょいっと行ったとこにある
信号交差点を左に曲がったら-
⑥松丸駅です。
道の駅から見えた「ぽっぽ温泉」もこちらで、
温泉の入り口は左側にあります。
2階には無料の足湯もありますぜ、下山後にいかが? (^_^)
入浴料は、大人520円、子人320円です。
男湯・女湯は、「明治の湯」と「滑床の湯」が週替わり。
泉質は、低張性弱アルカリ性冷鉱泉。
⑤次は、信号んとこに戻り、さらに東へ。
⑦駅前から250m位のところにある松野町の役場。
その同じ敷地内、東っ側の駐車場横にある-
「町民センター」に用があったのでした。
表に松野町出身の俳人・
松野町出身の歌人・政石蒙の蔵書が寄贈された政石蒙文庫もある、
1階のフロアにあるのが-
河後森城跡(城の山)の立体地形模型です!
かなり緻密にできてます。
それもふたつあって、窓際のは6畳ほどもある立派なものです。
周囲にいらない椅子が積んであったり、ホコリをかぶってたり、
お荷物感がちょっとにじみ出てたりはするんですが… (^^;)
馬蹄形な尾根に縄張りされた城跡の様を神様目線で一望できます。
松野町には「目黒山形関係資料」という、
江戸時代に製作された立体地形模型がありますが、
山形模型の影響を受けて作成されたんでしょうね。
これも分割して運べるのかな?
尾根に載ってただろう櫓や砦の模型たち。
模型の片隅に集められてました。
また飾り直される日は来るのかな?
表に出ると、向かいの郵便局の後ろに、
城の山の尾根が見えてますが-
ゴルフコースのような緑色の平地が見えてます。
あそこも城跡かな? 後で確かめてみようっと。
と云うわけで、寄り道終了、お山を目指します。
風呂ヶ谷と云う場所にある登山口を目指します。
この位置からだと、お山の裏側になります。
来た道を戻り-
④道標のある丁字路から-
さらに西へ進んで-
⑧すぐの丁字路を左折して-
一段上を通っている旧松丸街道へ向かいました。
ちなみにこの通り、旧土佐街道でした。
徒歩で行く場合、駅前からまっすぐ上がるのが正しい、一番の近道なんですが、
肝心の交差点に道標がなくて…。
また、車やバイクで向かう場合は、もっと西へ走り、
鰯川の橋を渡ったとこを左折するのが正解です。
正直、暑さでぼんやりしてて、行き当たりばったりになっちゃいました (^^;)
⑨旧街道に着いたら左へ曲がりました。
角には道標。
土佐・高知との国境に位置して大いに栄えた時代の
宿場や造り酒屋、豪商の商店が旧街道沿いに残ってます。
⑩この丁字路を右に曲がります。
今度の道標は見落とさなかったぞ。
⑪坂道を登り初めてすぐ、
階段がありました。
永昌寺に至る階段で、お寺の境内からも城跡へ登る道が付いています。
でも、今回は風呂ヶ谷から登りたかったのでパスし、
坂道をさらに上りました。
⑫すると、ひとつ上の車道にぶつかる感じで道が二手に分かれます。
舗装されているのは右の坂で、
上ると松野西小学校の校門があります。
左は歩道で、奥に大きな石碑が建っています。
正面の道が分かれるところには-
道標や「河後森城登山道」と彫られた石碑。
「← 河後森城登城口」の方へ左折すると-
歩道は二手に分かれますが、右は車道に上がる道で、
遊歩道(登山道)は左、石碑に向かう方です。
達筆な「河後森城趾」。
とても背の高い石碑です。
河後森城趾 |
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河後森城は伊予と土佐国境にあって、鎌倉時代から安土桃山時代にかけ軍事的にも重要な城として河原渕領を支配して栄え、城主は代々渡辺氏を称した。 |
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松野町町長 古川林三郎 撰文 |
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石碑のところに道標がないので、
右の道を登り、車道へ出てしまう人が多いようですが、
遊歩道は石碑の後ろに続いていて、
⑪の永昌寺からの道と合流して本城(山頂)まで登れます。
ちなみに、町作成の「河後森城跡ウォークマップ」では、
車道に出て風呂ヶ谷まで歩き、
石碑の裏の道は帰りに下ってくる感じで案内されています。
⑬二股の舗装した方を上ると松野西小学校の校門のところに出ます。
グラウンド沿いに進んでいけば風呂ヶ谷まで行けます。
…が、ここまで来て正直、ちょっと道に迷った感じになってしまい、
予定していたルートともズレ始めていたので、
迷った時はフリダシに戻る、で、一端、旧街道まで戻りました。
⑨と云うわけで、旧街道まで戻り、
今度は逆に、旧街道を西へ進みました。
⑭鰯川手前の角を左折します。
角には芝不器男の歌碑。
上ってった先の三叉路は-
⑮左へ。
「河後森城跡駐車場」の方へ。
⑯「森の国ドーム」という体育館を右に見ながら坂を上ると-
⑰松野西小学校の、さっきと反対側の校門があって、
さらに上ると、⑬のグラウンド沿いの道と合流、長谷池の横を通り-
⑱「古城園」「フレンドまつの」って施設がある土手の下の三叉路に出会います。
「← 河後森城跡」
「← P 河後森城 風呂ヶ谷登城口」
案内に従って三叉路を左折します。
歩道も整備された山道をゆるゆる下っていくと-
⑲また三叉路。
登山口(登城口)は左です。
この辺りは、松丸駅から見ると、お山の真裏です。
「← 河後森城 トイレ(やまぶき庵)→」
「← 河後森城 風呂ヶ谷駐車場」
またゆるゆると下って行くと-
⑳やっとこさ、風呂ヶ谷登山口(登城口)に到着。
写真の方向が風呂ヶ谷の入り口、登山道です。
谷は南東方面に抜けています。
南側の影になっている部分に別の登山道があり、登っていくと山の上に展望広場があるようです。
ひとりごと | ||
道の駅から登山口目指し、スクーター発進。 大門橋を渡ると「鰻魂碑」がありました。 松丸駅に立ち寄りましたが、駅舎の中には入りませんでした。 その後、役場の町民センターに寄り道しました。 さて、いよいよお山へ。 道標に従い、上がった坂で巨大な城跡石碑を見つけました。 と云うわけで、一端、旧街道に戻り、ドームの方からぐるっと上り直しました。 そんなこんなで、また時間をロスしてしまい、やっとこさ、風呂ヶ谷に着きました。 |
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