法蓮寺裏山から

花山(はなやま)
愛媛県東温市上林
標高330.2m
別名・天神森
※三角点はありません。
オノジ(おのじ)
愛媛県東温市上林
標高356.7m
別名・大野陣・大野地
※三角点はありません。

花山・オノジは、皿ヶ嶺の麓、上林にある、戦国時代の城趾と国盗りの激戦の伝承がいまに残る山山です。

花山は、上林小学校や保育園の裏山のような存在で、麓から比高にして100mほどです。

オノジは、 花山の南面、谷を挟んで400mほどしか離れていない場所にあります。
どちらも鍵山(象ヶ森)の西麓、舌状に延びた尾根の末端に位置しています。

花山には、築城時期不明の花山城がありました。
花山城が登場する最も古い記録は、菅式部介菅原高善が城主だった文中3年(1374)。
小笠原兵庫頭政長に攻められ、城を退き、現在の久万高原町面河に若山城を築いたという記録です。
次に登場するのは天文年間(1532~1555)で、河野家の重臣だった荏原郷棚居城主・平岡大和守房実の属城となっていました。
城代は相原土佐守でしたが、久万山の大除城主・大野紀伊守利直に天文22年8月に襲撃されます。
その戦の時、花山城の南に対する尾根に大野勢が陣地を構えたところが、オノジです。
オノジは“大野陣”が転訛したものです。
大野勢の戦術にまんまと堕ちた相原勢は殲滅され、花山城は大野氏のものとなりました。
現在の久谷窪野にあった真城(しんじょう)ヶ嶽城主・森伊豆守家継を城代として守らせました。
その後、豊臣秀吉の四国侵攻によって河野氏が滅亡すると花山城も開城。
森氏及び家臣一同は下野、帰農し、森氏は上林にて庄屋となりました。
現在でも上林・下林周辺には森姓が多く存在するそうです。

最後の城主・森氏の墓は花山城の西、法連寺境内に安置されています。

現在、花山城趾には尾根伝いの間道の上に林道が整備され、アクセスは良好です。
(林道建設時、堀切などが一部、破壊されました。)
最も高い1の郭には東屋が建設され、見晴らし良好な展望所となっています。

オノジには、尾根を越えて反対側の集落を結ぶ山道があります。
往事には郵便配達員も利用していた道です。
尾根の堀切から数十mのところに祠が祀られている場所が山頂です。
また、地元の人はオオノジンと呼んでいます。

12.3km
8.5km 900m 田窪
1km 見奈良
2km 1km
砥部拾町 8km 1km 3km
拝志 3km 下林 川内IC
花山 600m
札場 600m
オノジ
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