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旧街道~旧犬寄峠~柆野カヤマ林道起点
距離 約4km
距離 約1km
一般道
林道・農道・私道
下記写真の場所

久々の明神山界隈へ、今回のスタート地点は伊予市大平、中山町に向かう山間の国道56号線沿い、左へぐるっとターンするカーブの内側に喫茶店が並んでる場所。
写真右奥に見えているのは、秋葉山のある明神山塊の東尾根(秋葉山は西尾根方向にあるのでまだ見えません)。
56号線は明治36年(1903)頃、郡中から犬寄峠までが開通、その後、順次、開通されました。
犬寄峠までの標高差を詰めるために、道はくねくねカーブして標高を稼いでいたので、当時は「ぜんまい道」などとも呼ばれました。
このカーブはぜんまい道の名残みたいなものです。
カーブを道なりに曲がり上って行くと、今度は右にカーブして-

ホテルの看板が右に見えてきます。
その看板の足下の右カーブは-




カーブの外側が交通検問所になっていて、カーブを抜けたところには延長105m(標識では110m)の犬寄大橋が架かっています。
今回は犬寄大橋の手前、カーブの内側にある旧道へ入り、旧犬寄峠へ向かってみました。
こちらからは余分な遠回りになりますので、この先の犬寄隧道手前からか、その先の東峰隧道を抜けたところにある車道を入った方が時短です。

ぶんぶん飛ばしてる対向車に気をつけながら右折。
スロープ上の坂を上がります。
ぱっと見、ホテルの進入路っぽく見えますが、
伊予地区広域斎場「聖浄苑」へのアクセル路でもある旧道です。

道に入ってすぐ、大きな岩のたもとに木製の解説板があります。

中央構造線小手谷露頭(B)

伊予市指定文化財 天然記念物 昭和52年2月19日指定

小手谷露頭は、日本中央構造線活動で約000万年前、第3回目の活動を示す地点であり、中央構造線の北側の和泉砂岩層が隆起して南側の緑色片岩層の上にかぶっている状態である。
この露頭では、右の方が緑色片岩層で、左の黄褐色に見えるところが和泉砂岩層であり、その間の黒色のところが破砕層である。
A露頭(下の谷)は、和泉砂岩層がつき上げたときに起こった熱で破砕変質した約20mの層がはっきり見える。

伊予市教育委員会

解説板の後ろの岩塊がその露頭ですが、素人目には解説にあるような色づいた層は確認できませんでした (^^ゞ
小手谷露頭Aは橋の下を通っている旧大洲街道を少しそれた道沿いにあります。

犬寄まで1.5車線の道です。
国道から離れて交通量は激減、
国道から漏れ聞こえてくる走行音が響くのみ。
カーブの多いぜんまい道です。



国道から700mほどで、伊予地区広域斎場「聖浄苑」。
車道は写真右から斎場の裏をぐるっと回り込む形で、写真左上のガードレールへ出てきます。
大抵のクルマは斎場までしか来ないらしく、斎場より奥は路面に落ち葉が積もった状態でした。
くるくるカーブする道を、濡れ落ち葉でわずかにスリップする路面を注意しながら進むと-



切り通しがありました。
この写真だけ見ると、落ち葉も相まってかなり山奥な雰囲気です。

この道は明治時代からの旧道で、この切り通しも年季が入ったものです。
大型重機がなかった当時、まさに一心岩をも通すで作られたのでしょう。



山の中で急に人の気配がした鉄工所。
回り込むように建物の裏に出ると-




廃ホテルがあり、その先が三叉路になっていて、
犬寄隧道手前から上がってきた道と合流します。

むふふなホテルだった敷地内はすっかり廃れています。

鉄工所の所から先はクルマもよく通るのか、
アスファルトもはっきり、スリップもせず。
国道56号線の騒音が遠く近く響いてくる山道。
カーブも連続、うにゃらうにゃら走って-




また三叉路。
左の道は伊予大平駅付近からぐいっと上った平岡地区からの道で、
旧犬寄峠・犬寄地区は右の道へ。

「← 赤海(あかさこ)・平岡 ↓R56 中山・佐礼谷R56→」
近隣には「月の海」と書いて“つきのさこ”と読む地名もありますが、
「さこ」は「山と山の間」という意味で、海=seaじゃありません。
似た言葉は「狭所」「迫」があります。

三叉路を右折すると民家があり、
左にカーブしていくと-



まっすぐな道が犬寄地区へ向かって延びています。
集落手前の暗い竹林部分が古い犬寄峠ですが、
道を直線上に改良した折に切り下げられ、
集落の方が標高的には高くなってしまいました。


集落のど真ん中に旧犬寄峠の辻がある犬寄地区。
峠は普通、不便な山の上にあるから、寂しい場所だったりしますが、
民家がこんなに建ち並んでいる峠は意外と珍しいかも。

古くから大洲や双海に至る街道の要衝だったり、
地形的にも平らかで人が住み着き暮らしやすかったので、
十字路を中心にいまでも多くの方が住んでらっしゃいます。


明神山塊・秋葉山は双海方面へ右折します。

辻の角に立つ古い道標石柱。
大正11年5月の建立。
「郡中町へ三里七丁」
「右中山町ヘ一里三十一丁
 左佐礼谷役場へ二十五丁」

辻を右折し、民家と車庫の間を進み-




すぐに三叉路に出会いますが、ここはまた右折です。
双海方面は左折(県道広田双海線)。
写真奥の丘の上には標高333.1m「犬寄峠」4等三角点があります。

三叉路を右折し、奥へ。



三角点の丘の裏へ出ると、空がぱぁっと開け、明神山塊も丸見えです。
ちなみに、この場所のず~っと真下を国道56号線の犬寄隧道が通っています。

お山に向かって行く感じで。



左にカーブする何気ない場所ですが-

右側に祠がありました。
辛うじて「金毘羅」の文字が読み取れた石碑の奥-

石室に収まった石仏が仲良く並んでいました。
藩政時代はよく人が通う道が石仏の前を通っていたのかも。




「北伊予農協堆肥センター」の倉庫がある場所は、
また三叉路になっていて、また右折します。

倉庫の横を進みますが、この辺りのずぅ~っと真下には、
松山自動車道の明神山トンネルが通っています。



林道「柆野(くいの)カヤマ」線の起点に到着。
「カヤマ」は漢字で書くと「茅山」です。
林道の延長については標柱に明記はないですが、地図上で測ると約4.1kmほど。
明神山登山口までは3km、秋葉山登山口までは3.9kmの距離です。



犬寄峠は、いまでは国道56号線の犬寄隧道を抜けたところを指していますが、元々は旧国道が通っていた犬寄地区にありました。
「犬寄」と云う地名は、その昔、旅人を襲う山犬がいたことに由来しています。
その山犬にまつわる伝承のひとつとして、wikipwdiaの犬寄峠の所でも紹介されている「左衛門の犬退治」という話があります。でも、このタイトルも話も少々間違っていて、左衛門が退治したのは山猫で、山犬の災難に遭ったのは飛脚です。
その話はと云うと…。

昔々、大洲藩の御用飛脚が松山まで殿様の書状を運んでいたとき、夜も更け深夜、この峠にさしかかりました。
一匹の山犬がう~う~うなり吠えながら近づいてきました。
飛脚は追い払おうと刀で斬りかかったのですが、山犬は遠吠えし、すると近隣の山野から何百何千?の無数の山犬が集まってきました。
刀を振り回し、応戦するも多勢に無勢、飛脚は松の大木に待避しました。
しかし、山犬は、山犬の上に山犬乗せて~とばかりに、山犬ピラミッドで、木の上の飛脚まで迫ってきます。
「もはやこれまで」と観念した時、飛脚は刀の柄にある鶏の目貫金具を思い出しました。
その鶏は血潮の温みを得ると精を得て歌うと云われていました。
「この鶏の名作、まことに精あるものならば、見事鶏声を放てよ」
そう大声で祈ると、鶏の目貫金具が「コケコッコー」と鳴きました!
すると、山犬たちは驚き、夜が明けたものと勘違いして一目散に退散し、飛脚は助かったんだそうです。
さて、左衛門が登場するのはこの後日談。
山犬は去り際、左衛門の女房の山猫がおったらなぁと、残念そうにぼやきながら去って行きました。
左衛門とは三秋の猟師の畑野左衛門のことで、この話を聞いた大洲の殿様はその山猫をば退治しろと命じました。
左衛門は、愛しい女房をなぜ殺さねばならんのだ、そんなバカな!と当然拒否しますが、殿様の命には背くことはできません。
左衛門は仕方なく、女房に向かって猟銃を向けました。
そしてドンっ!と撃ち放しましたが、なんと女房は、鍋の鉄ブタでちゃりんっと受け流しました。
続きざまに撃つ続けるも、すべて弾かれてしまいました。
左衛門は女房からいつも7発の弾をもらって猟に出ていましたが、その7発全部、撃ちつくしてしまいました。
でも実は、左衛門は殿様から八幡大菩薩の祈りのこもった弾を一発、隠し持っており、女房はそのことを知りません。
最後の弾は、安心しきっていた女房を見事射止めました。
倒れた女房は次の瞬間、山猫に姿を変えていたそうです。

飛脚と左衛門がごっちゃになって、「左衛門の犬退治」となったようです。
山犬に襲われる話はよくありますが、正体は山猫だと疑いをかけられた女房を撃つ段は、さすがにちょっと…。
その昔、お山にはオオカミやら山犬やらが跋扈していましたから、旅人や女子供がよく襲われました。
「犬寄」と名前が付くほどですから、よっぽどだったんでしょうね。

また、その昔、松山や郡中の農家が峠の南側の山間部の農家へ牛を預ける「里牛」が行われていた頃、犬寄峠は牛の行きかう峠だったそうです。
里牛は昭和40年頃まで続き、最盛期には日に6、70頭の牛が預けられ、多い時には年に1000頭以上の牛が行き交ったそうです。

荷馬車も行き交い、賑やかだった犬寄ですが、国道56号線の開通、犬寄隧道、東峰隧道、犬寄大橋の建設で往来が移り変わり、旧道沿いの集落となり、静かな佇まいを見せています。

久しぶりに犬寄に来ましたが、以前訪ねたときはまだ、旧犬寄峠にもバスが通っていましたが、いまはバス停だった場所に名残のベンチがあるのみ。
でも、変わったと思えたものはそれくらいで、新しいものが目に付かないかわりに、逆に寂れた風もなく、相変わらずの風景がそこにありました。
これから何年経っても、いい意味で変わらないでいて欲しいと、勝手に思ってしまいました。

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