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伊曽の橋から
西麓から
 北麓から
八堂山(はちどうやま)
愛媛県西条市福武
標高196.5m
※三角点はありません。
八堂山は、弥生の時代から西条の人々に愛されるお山です。

えひめ森林浴88ヶ所 80番。

石鎚山脈の笹ヶ峰から北へ派生した大尾根の末端、西条平野に没する丘陵に位置しています。
地質的には、和泉層群と呼ばれる、後期白亜紀、約1億年前~6500万年前に海で形成された堆積岩類(海成層)で、石鎚層群と形容される三波川変成岩類でできた石鎚山系とは性質の違う岩石でできています。
それは八堂山のすぐ南を通っている中央構造線の活動によるものです。
また、すぐ北側を岡村断層が東西に走っています。
この断層も要因のひとつと云われている、江戸時代の慶長元年(1596)に起きた伊豫地震では、八堂山の一部が崩落、西麓斜面を削り取るような姿で大きく蛇行している加茂川をふさぎ、洪水が発生した記録が残っています。

八堂山の山名は、北麓にある加茂神社の別当寺・金剛院がこの山に構えていた七堂伽藍が1堂増えて8堂になったことに由来しています。

標高196.5mは、後背の1000mを越える石鎚山系の山並みと比べれば、決して目立つ存在ではないお山ですが、ふるさとのお山として親しまれています。
西条市の都市公園として、「市民の森」という名称で公園化されています。
ウメの名所として賑わう「梅林園」や、100種類以上のサクラが植えられている「百桜園」、全国の都道府県の木がある「県木の森」、市民が記念植樹した「記念の森」、そのほかにもツツジやツバキなど、四季折々の花を楽しむことができます。

昭和43年、西条農高の先生と生徒が野外調査登山中、数片の弥生式土器が発見されました。
公園の建設工事が始まった昭和45年、弥生式土器の発見が相次ぎ、工事を中止。
発掘調査が行われた結果、山頂を中心に、住居や倉庫跡、土器、石包丁などの遺物が出土、弥生時代の高地性集落の遺跡と判明しました。
山頂には、そのときに発見された遺構を元に茅葺き屋根の入母屋竪穴式住居と高床式円形倉庫が復元されています。
八堂山遺跡と名付けられた遺物や資料の展示を目的に、市民の森の中に西条市歴史考古館が建設されました。
歴史考古館は見晴らしを楽しむ展望台としての機能も兼ね備えています。

八堂山の麓、加茂川沿いにある武丈公園は、サクラの名所として市民の憩いの場となっています。
天保年間、明神木村の庄屋・加藤定右衛門がサクラを植え、隠居所を建てました。
定右衛門の俳名「武丈」から、彼の植えたサクラが武丈桜とよばれ、やがて、武丈の地名の由来にもなりました。
サクラは、明治時代、薪目的で伐採され、昭和に入っても堤防改修で伐採されたりと数を減らしました。
いまでも100本余りのサクラがあり、八堂山のサクラとあわせて春の観光名所となっています。

武丈公園の北には、太平洋戦争中、最初の神風特別攻撃隊・敷島隊の5名を祀る「五軍神慰霊碑」がある楢本神社があります。
楢本神社は、奈良時代の荘園・西条荘の守護神として創祀された神社です。
前の広場は、秋の西条まつりの際、だんじりと神輿の御旅所となっています。

八堂山の南、市之川の上流には、高品質の輝安鉱を産出した市之川鉱山の跡があります。
主成分のアンチモンは弾丸製造に必要な物質であったため、明治から昭和まで度重なる戦争の度、最盛期を迎え、別名「戦争鉱山」と呼ばれたこともありました。
輝安鉱の大きな結晶がよく採れたため、標本として世界中の博物館や研究所に所蔵されています。
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2km
39km 10km 加茂川橋 200m 1.2km 4km
常心交差点
900m 3km
武丈公園 市道福武沢線
300m
八堂山 市民の森
35km 18km
松山IC 小松IC 西条IC
JR予讃線
西条・高松行き
松山駅
伊予西条駅
伊予鉄バス
新居浜駅前行き
↑せとうちバス
↓行き
松山市駅 西条駅前
↑せとうちバス
↓今治・周桑営業所、中之池、西之川行き
西条駅前 常心 加茂川橋

八堂山

八堂山
伊予鉄道 →JR四国(鉄道) →せとうちバス
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