三郷の辻へ行こう!
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下記写真の場所
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今度は旧広田村側から登ってみます。
お山歩の始めは、国道379号線沿いにある道の駅「峡の郷ひろた」から。

  

道の駅「ひろた」ができたのは平成6年のこと。
砥部町じゃなく、まだ広田村だった頃ですねぇ。
当初は手前にある「ふるさと生活館」の方だけでしたが、
物産品直売所やレストランのある「峡の館」などが後からできて、
素敵な道の駅になりました。
国道を挟んだ山側にも研修施設などがあります。

毎年6月初旬、「ひろたほたるまつり」もこちらで開催されますね。

この場所は「広田鉱山」があった場所で-

玉谷川を挟んだ山手にそびえる朽ちた橋脚がその名残です。
明治から戦後にかけて、金や銀、銅、硫化鉄鉱などを産出していました。

ちなみに、峡の館の裏にあるいまでも渡れる橋は、
「玉銅橋」という鉱山時代の名残っぽい名前だったりします。

銚子滝の道端にあるコンクリートの廃墟はなんだろう?と思ったら、
採掘してきた鉱石を積み替える“ホッパー”という施設だったり、
砥部町内には廃坑やその名残がなにげに残っています。

直売所のテントも並ぶ「峡の館」。

さて、道の駅から南へ400mも進むと-



ガソリンスタンドがあるY字路があります。
旧村時代の中心地・総津へ入る別れで-

  

総津は右の直進、国道はゆったり左にカーブして
広田橋を渡ります。
そのY字路の付け、右側に-

美味しいお水が飲めるところがあります。
広田にはこういう美味しいお水スポットが、
国道沿いに点点とあって、夏はまさにオアシスです。



  

国道を道なりに広田橋を渡って200m先。
車屋さんのある丁字路が-

多居谷(おおいだに)地区への入口です。

左折して1.5車線の道を上って行きます。
入口は森に包まれた狭い谷ですが、
すぐに抜けて多居谷川沿いに棚田が並ぶ里山風景に変わります。



谷の入口を鎮守する三嶋神社の前を通過。。

お山に入らせていただきます、合掌。



  

この左カーブは本郷地区への入口。
ガードレール前に停まってる電動カーは、
向こうの畑でアヤメを育ててるおばあちゃんの。
街中じゃあまり見ない電動カーは里山じゃ大活躍です。

「本郷 右」
どんなところか、いつか訪ねてみたいなぁ。

細く長い谷をまだまだ上って行きます。
谷の奧の奥にある三郷の辻は恥ずかしがり屋なのか、
ちっとも顔を覗かせてくれません。



次の集落は奥組地区の入口。
鳥居は熊野神社の。
境内には奥組集会所があって神社っぽくありませんでした。
ここから写真右上に写ってる民家の辺りまでさらに上ります。

上の集落にジグザグっと上る直前。
谷に並んでる棚田が見事で立ち止まってしまいました。

石を丹念に積み上げた畦に区切られた田んぼのひとつひとつが細胞みたい。
空から見たら谷を昇る龍のウロコみたい?



  

ジグザグっと上ったところのほうが家がいっぱいあります。

その入口にある土蔵。
壊れかけだけどいい雰囲気出てました。

  

奥の家の前を左にくぃっと折り返し上ります。
道なりな感じのカーブじゃないのちょっと戸惑いました。

程なく山道に突入、もう人家はありません。
いつのまにかの林道野地線です。

道端に林道開設記念碑がありました。
地元の人がお金を出し合って造ったんですね。



  

この分岐で右に折り返しますが、
地図上では直進する方のみ載っています。
右に折り返す方は載っていませんが、
こちらの方がよく利用され、走りやすいです。
舗装も終わって砂利道をどんどん上ります。



  

分岐のある左カーブは轍なりに左折。

伐採作業が行われてるせいか、
路面は踏み固められていて、凸凹も少なく、
スクーターのタイヤにも優しかったです。



  

次のY字路ではで別れた道が左前方から上って来て合流します。
登山口は右ですが、曲がってすぐのところに-

広田中学校の手作りの道標があります。
山頂にある道標と同じものです。

「地域探訪3 (三郷の辻コース)
 広田中学校」



  

もう決して広くない林道を谷の奥へ詰めていると、
右に真新しい道が分かれています。
この道へくぃっと曲がり上るのが、
今回訪問したルート。

ちなみに広田中学校が設定した三郷の辻コースはさらに奥に進んだ-



  

谷を左に横切るカーブが登り口となっていました。

  

この標高700m弱にあるV字谷の入口が登り口で-

またあの道標が立っています。

もうひとつ、ひとつ古いバージョンの道標も。
「三郷の辻(931.9m)登山口→」
ヘタっと倒れて谷と違う方を指していますが-

  

道標後ろのV字谷の谷底に沿って、
赤テープが点点と奥へ続いていました。
でも、木も混んでちょっとキツそうでした。

ちなみに林道はもう少し続いていて-



ひとつ北にある谷で倒木で塞がれた形で車両の進入はここまで。
標高800m付近まで林道が付いているのは分かっていたので-

歩いてみましたが尾根を回り込んだところで、
ぷつりと行き止まってしまいました。

こちらからは上れないことが分かったので引き返しました。
の看板が立つ登り口ですが、
谷は木が混んで踏み跡もあやふやだったので、
さらに戻り-



の分岐から延びる新しい林道の支線を上りました。

上から見るとこんな風にくぃっと曲がって登ります。

ひとりごと

このページに使われている写真は三郷の辻に登ってから約2週間後、広田を再訪して撮ったものです。

初めて山頂に立った時、実は広田側の林道まで降りていました。
当初、広田側からも登れるだろうと思っていたので、山頂の広田中学校の道標を見て「やっぱり…」と思いました。
登山道の様子も気になり、尾根をたどってみました。
いくつも枝分かれする支尾根に戸惑いました(その時のことは次のページで述べます)。
林道まで無事たどり着き、そこでも中学校の道標に出会いました。
地図に載ってない、切り拓いたばかりの林道。
少し下ってみましたがキリがなさそうだし、あまり下りすぎると山頂まで登り返すのがしんどくなる。
もうひとつ行きたいお山もあったので、のんびりもしていられず、引き返し、一旦、お山を離れました。
帰宅後、この「三郷の辻へ行こう!」を編集していたら、引き返した広田側のことがとても気になってきました。
“広田側からも登れます…”だけじゃ、ちょっと不親切な感じまでしてきました。
たまたま、天気予報を見てたら晴れマークが並んでたので、それじゃあ、と再訪したのでした。
まぁ、ついでにほかのお山も登ってましたけど。

広田側の登り口は「多居谷」という地区にあります。
“おおいだに”って読みますが、よく調べるまで“たいたに”って読むのかと思ってました。
たいたに…、タイタニ…、タイタニック…(^_^;)なんちて。

昔から多居谷村と呼ばれていました。
豊臣秀吉が行った太閣検地の際にはすでに開拓され、中世以前から人々が住み着いていました。
地区の中心を多居谷川が流れています。
サイダニ、ツエケ谷、ツエガ谷、イラ谷、茗荷谷、チシュウ谷など、支流が刻んだ谷が文字通り、多くあります。
一方で、ツエケ谷の「ツエ」は「ツエヌケ」、地滑りを意味するなど、多居谷全体が地滑り地帯に指定されています。

広田の国道沿いは何度となく通ったことがあります。
でも、県道以外の脇道に入ることはほとんどありません。
お山に登るようになったここ数年のこと。
篠谷や満穂、仙波など、国道から離れた集落を訪ねるようになったのも。
多居谷のような行き止まりにある集落はなかなか行かない場所。
これが最初で最後になるかも知れません。

車屋さんのある入口こそ狭かったけど、森をひとつ抜ければ川沿いに棚田があったりします。
思ったより民家も点在していて、広田は懐が広い、そんな感じでした。
丁度田植えのシーズンで、田植機がのんびりトコトコ走り回ってました。
水を張った田んぼには山の緑や空の青が映り込んできれいでした。
谷の幅いっぱいに作られた段段の棚田をよくよく観察。
すると、ひとつひとつが板状に割った石を河床から高く積んだ畦で囲んでいます。
それが谷をずらっと埋めています。
台風とか大水が出たときなどは、流され破壊されたり、埋まったりしたんだろうなぁ。
けど、その度、根気よく、また石を積んで元通りにしてきたのでしょう。
何百年も。
そう思うと、日本人って凄いなぁってしみじみ思ってしまいました。
東日本大震災では多くの町が根こそぎ破壊されてしまいました。
よくよく考えれば、神代の時代から災害列島な日本では、築いては破壊され、また築いては破壊されの繰り返し。
でも、また築くの繰り返しを日本中でやって来たんですよね。
とっても根気強くて助け合う民族性は災害によって必然的に育まれてきたものかも知れないですね。

奥組の集落を抜けるとすっかり山道、林道です。
地図に載っているルートは茂っていて、奥で作業している車も通っていないようです。
自然によく踏まれた道を上り、どんどん奥へ。
2週間前、山頂から林道に降りたときは連休中で誰もいませんでした。
今回は、伐って間が無い丸太が転がっていたりして、平日なこの日は山仕事してる人がいそうな気配。
いつ、丸太を積んだトラックと出会ってもいいように、慎重に走行。
広田中学校の道標を見つけて、「こっちで正解(^_^)」と安心。
さらに奥へ進み、V字谷の登り口にたどり着きました。
でも、その場所は前回、山頂から降り立った林道とは景色も標高も全然、違う場所でした。
さらに奥へ進みましたが、行き止まってしまいました。
「あれ? じゃあ、途中で枝分かれしてる支線のどれかが繋がってるってこと?」
「そう云えば、削りたての真新しい道だったので、もしかしたら…」と思って、ひとつ戻った分かれ道を上ってみました。
でもそれが運良く正解で助かりました。
地理的感覚がまったくないお山の中のことです。
前回、山頂から降りてきてなければ、次のページで紹介する支線が使えることに気がつけなかったかも知れません。

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